2025年12月31日水曜日
2024年12月31日火曜日
2024
転職のギャップ期間に久々にアメリカに行き、旧知の方々に会うことから始まった1年でした。
アムトラックでひたすら大陸を横断するという贅沢な経験と、あのタイミングで行けたことを本当に感謝するような別れもあり、忘れられない旅になりました。
新しい仕事はとてもノビノビとやらせていただいている一方、今後もしっかりと必要とされるため、また一皮むけなければいけないと実感しています。
そして、新たな家族を迎えたことは、自分にとって何より大きい出来事でしょう。
不確定要素の塊である人生の面白さと、怖さをより強く感じながら、しっかりと走り続けていけたらと思います。
2023年12月31日日曜日
2022年12月31日土曜日
2022
世界は混沌としていましたが、私にとっても変化の多い一年でした。
年度末のコロナ罹患、年度明けからのデスマーチ、念願だった岩手山、岩木山、そして鳥海山といった東北の百名山の登頂。
アラバキや、ポタリング牡鹿といった愛すべきイベントたちへの参加を再開できたことも大きかったように思えます。
また、仙台を訪ねてくれる方も徐々に増え、旧交を温められたことも嬉しいことでした。
そして、式等はまだですが、素晴らしい方と結婚させていただくことができました。
その一方、別れもあり、愛着深い東北を次の4月で離れることとなりました。
2022年は、これまで自分を形作ってきたもの、自分を支えてくれてきたものを指でなぞりながら、これからに想いを馳せる1年となりました。
来たる1年もいい1年になるように、歩んでいけたらと思います。
2021年12月31日金曜日
2020年12月31日木曜日
2020
”あっという間に過ぎた”と感じる方の多い一年だったかと思われます。
私にとっても、やはりあっという間に過ぎたと感じさせる日々でした。
東北での生活も6年目となり、季節ごとの風物詩といえる毎年のイベントもたくさんできただけに、それらの多くが中止となった今年は、季節の移ろいを告げるのはもっぱら気候の役目となってしまったように思えます。
仕事面でも、私生活面でも、いろいろなことが思うようにいかず、もがいていた側面もありましたが、キーをひねれば非日常に連れて行ってくれる相棒と、様々な友人に大いに救われ、こうして立ち続けられていることには疑いの余地はありません。
来年は、久しく忘れかけていたものを大事にしつつ、少しでも跳躍の足がかりを固めていく一年にしていきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
2019年12月31日火曜日
2019年7月20日土曜日
2019年7月のカンボジア・ロイヤルレール
所用でカンボジアに行く機会があった。
幸い向こうでの休日もあったため、どこかに行こうと思ったものの、アンコールワットにシンプルに行くのはベタすぎるので、カンボジアの鉄道に乗ってくることにした。
少し調べたところ、数年前までは内戦の傷跡から旅客輸送は殆ど行われておらず、ここ数年でようやく少しづつ列車が走るようになったとのことである。
つまり、今が黎明期、せっかくならばと、乗りに行くことにした。
カンボジアの鉄道はプノンペンを中心に「皆実線」と「北線」の2線があり、北はタイ国境まで、南はシアヌークビルまで伸びている。
今回は、胡椒の名産地、カンポットに行ってみたかったので、南線に乗ってみることにした。
チケットを買おうとRoyal Rail(もう民営化して王立ではないらしい)のWebサイトを見ると、なんとWeb予約ができるらしい。
喜んで週末のカンポットまでのきっぷを買おうとするも、クレジットカードを受け付けてくれない。
仕方ないので、夜のプノンペン中央駅に行き、チケット窓口で購入した。
窓口のスタッフの人は英語もしっかりと話せるし、わりと夜遅くまでやっているようなので、これが一番確実だった。
ダイヤは日曜だけ2本/日。ほかは1本/日。朝と夜の便を使えば、日曜日だけはシアヌークビルまでの日帰りが可能である。
運賃はプノンペン⇒カンポットは片道7$。距離は170km程度。安い。
列車は早くなることも遅れることもあるので、30分前までには駅に着けとのこと。早く着いて待ってくれないらしい。
不安だったので、「帰りの列車が運休したら、バスとかで帰ってこれます?」的なことを聞いたら、「代替バスがでますよ。でも、鉄道は運休しませんから、大丈夫です!」と返ってきた。妙に自信あるなあ。
そんな感じで、無事にチケットを手に入れ、出発の日まで待つこととした。
当日朝、トゥクトゥクで駅まで行き、列車到着まで時間をつぶす。
ホームは一面二線の簡素なもの。ホームに入るためには改札はいらない。
駅構内には、アルストム?製の気動車を改造した客車や、古めの客車が止まっている。
空港列車の塗装が施してあるものもあったが、聞いたところ空港に鉄道を使って行く人は皆無とのこと。
遅くて、本数も少なければ、それはタクシーを使うのだろう。
しばらくすると、ビルの向こうに延びる線路の先からけたたましい警笛が。
そしてしばらくした後、このお世辞にもかっこいいとは言えない鉄道車両が現れた。
世の中に多くの鉄道車両があり、鉄道車両の見た目に対して文句を付ける人も多い世の中において、そんな種々の文句が些末なことに思えるほど強烈な見た目のこの車両。
終点シアヌークビルまでの8時間をこれで旅する人がいるという事実は、なかなかパンチがある。
そもそも、空港アクセス列車として使用するために導入したというこのメキシコ製車両がシアヌークビル便の長距離運用に入っていることも強烈な事実だけれども、こんなステップを使う空港列車があってたまるものかとも思えた。
乗り込むと、バスのよう。薄い窓枠のおかげで視界がものすごくいい。その窓枠に目を向けば、このビス打ち。2018年製の新車とのことだけれども、にわかには信じられない。メキシコの工業技術はこんなものではないのでは。。。
そんなこんなで出発。線路はメーターゲージ。時々揺れが大きい箇所もあるものの、意外としっかりとした乗り心地。
途中渡る踏切では、踏切作業員の人が遮断器を手動で下げている。本数が少ないので、それは合理的なオペレーションなのだろう。
市内を抜けると程なく、緑色の大地を走るように。肥沃そうな田畑と、小さな山が続く、とても良い車窓。大きな窓も相まって、旅情が素晴らしい。
最初の停車駅、タケウの街へ。日本人的にはPKOで自衛隊が駐留した町として名前だけは聞いたことがあった。
ここまでいくつもの駅があるというWikipediaの情報があったものの、ただの一つも見つけられなかったので、それらの駅は簡易乗降場的なもので、現在は運用されていないものなのだろう。
多くの乗客が一旦降りて、体を伸ばしたり、軽食を食べたりと休憩を楽しむ。
ついでに、車両の写真を撮った。
運転席はこんな感じ。なんと、グラスコックピット。
そうこうしているうちに列車は走り出し、次のカンポットへ向かう。
途中、いきなり工場の引き込み線みたいなところに入り、20分ぐらい停車。
しばらくして、対向列車が勢いよく本線を走り抜けていった。なるほど、こんな退避もあるのか。
この間のやり取りはすべてハンディ無線でやっていた。聞いたところによると、プノンペンからシアヌークビルまでの300km程度の長い長い1閉塞区間となっていて、日曜日のように列車の本数が多い日は手動で行き違いをしているとのこと。なるほど。
列車は30分遅れくらいでカンポット駅に到着。
隣の線には貨物列車も。
駅前にはトゥクトゥクが数台待機している。PassAppが使えるかどうかを試そうとおもったものの、待っているのも面倒くさいので、そこにいたものに乗る。料金交渉結果、少し高いかな程度に収められたので良しとする。
カンポットは、フランス時代の建物が残る、川沿いののどかな町。
胡椒の産地としても有名で、ここの胡椒は世界的にも評価されているらしい。確かに、本当に香りがよく、非常に美味しかった。
特に、生胡椒の炒めものは、今回の滞在中食べたものの中で一番美味しかった。
市内の市場をぶらついたり、地元のアートショップを覗いてみたり、博物館を見てみたりとゆったりとした一日を過ごし、気がついたら夕方。列車の時間も近い。
駅に向かい、列車を待つ。
そういえば博物館で見た、ノロドム・シハヌークがカンポットを訪問したときの写真に、カンポットの駅舎が写り込んでいたが、その駅舎は確かに今のものそのものであった。
1960年代の、まだカンボジアがつかの間ののどかさを享受していた時代、結構モダンな建築物も作られたみたいだけれども、その後の歴史の荒波に飲まれ、多くが姿を消したとのこと。
そういった意味では、尖った屋根の、どこか気取った雰囲気を持つこの駅舎は、去りし時代の空気を今に伝える数少ない生き証人なのかもしれない。
今回の日帰りカンポットをやってよかった。中国化が急激に進んで、その下のレイヤーが徐々に見えにくくなっているようなプノンペンの町にいるときよりも、きっとずっとカンボジアを感じられた気がする。
もちろん、欧米列強が入る前の姿はまた違ったものだったのだろうけど、その下のレイヤーを見るためには、今回は時間がなさすぎた。
また、いつか。
犬の親子がじゃれ合っている駅のロビーでそんな事を考えていると、徐々に日も暮れていき、列車の定刻から30分が経っていた。
そして、太陽が消えていった西から、警笛の音とともに、あの気動車がやってくる。
相変わらず見た目は良くないけれども、夕闇にマスクされて、こころなしか嫌いになれないようにも見える。
またいつかこの国に来たときには、この気動車は、カンポットは、プノンペンは、どうなっているのだろう。
プノンペンはきっと変わっているのだろう。
それを見てみたい。
カンポットは、今のままでいてほしい。
2018年12月31日月曜日
2018
今年もこの投稿を唯一の投稿としてしまいました。
総じて、比較的自由に、なんでもフラットに取り組むことのできた1年でした。
スキーだったり、楽器だったり、これまで好きであっても全然向き合って来なかったことたちと、ちょっとだけでも向き合えたことは、意外なほどに感慨をもたらしてくれました。
その一方で、何かを練習したり、何かを極めていくことの難しさや、それを厭わない人の凄さを感じることも多い1年でした。
そして、今の自分がメインフィールドとしている場所で、しっかりと伸びていくことの難しさと大切さを感じた1年でもありました。
ブレイクスルーはあまりない1年でしたが、後退せずに進めていたのなら、それはそれで悪くはない1年だったのかもしれません。
今年も大変お世話になりました。
来年もまた、何卒よろしくいたします。
総じて、比較的自由に、なんでもフラットに取り組むことのできた1年でした。
スキーだったり、楽器だったり、これまで好きであっても全然向き合って来なかったことたちと、ちょっとだけでも向き合えたことは、意外なほどに感慨をもたらしてくれました。
その一方で、何かを練習したり、何かを極めていくことの難しさや、それを厭わない人の凄さを感じることも多い1年でした。
そして、今の自分がメインフィールドとしている場所で、しっかりと伸びていくことの難しさと大切さを感じた1年でもありました。
ブレイクスルーはあまりない1年でしたが、後退せずに進めていたのなら、それはそれで悪くはない1年だったのかもしれません。
今年も大変お世話になりました。
来年もまた、何卒よろしくいたします。
2017年12月31日日曜日
2017
結局今年もこの投稿が唯一の投稿になりそうです。
遊びでは、ここ数年で一番自転車に乗った1年にできたと思います。
新たに京都生まれのクロモリを迎え、ライドの楽しみ方がぐっと広がったように感じます。東京でも、仙台でも、自転車に乗る仲間を増やせたのも、その喜びを強くしてくれたのでしょう。
仕事では、少しだけできることの幅が広がって、これまでよりも楽しく、自由に取り組ませてもらっていると改めて感じています。
全然分からないことばかりで始めた新しい分野にも、石の上にも三年といったところで、その先をしっかりと見たくなるような気持ちを抱いています。
いずれにせよ、大きく身の回りが変わったりという事はなかったものの、じわじわと進み続けることだけはできたのではないかと考えています。
今年沢山会えた人も、そうではなかった人も、お世話になりました。
また、2018年もよろしくお願いいたします。
遊びでは、ここ数年で一番自転車に乗った1年にできたと思います。
新たに京都生まれのクロモリを迎え、ライドの楽しみ方がぐっと広がったように感じます。東京でも、仙台でも、自転車に乗る仲間を増やせたのも、その喜びを強くしてくれたのでしょう。
仕事では、少しだけできることの幅が広がって、これまでよりも楽しく、自由に取り組ませてもらっていると改めて感じています。
全然分からないことばかりで始めた新しい分野にも、石の上にも三年といったところで、その先をしっかりと見たくなるような気持ちを抱いています。
いずれにせよ、大きく身の回りが変わったりという事はなかったものの、じわじわと進み続けることだけはできたのではないかと考えています。
今年沢山会えた人も、そうではなかった人も、お世話になりました。
また、2018年もよろしくお願いいたします。
2016年12月30日金曜日
2016
今年もあと僅かということで、ご挨拶も兼ねて。
今年一年は沢山の峠を越えた、そんな一年だったように思えます。
今まで積み上げてきた事を沢山崩したり失ったりしながら、悪戦苦闘を繰り返した日々は、捉えようによってはとても苦しい時間だったのですが、こういう状況に置かれなければ見えてこなかったものに溢れていたようにも思えます。
驚くほど沢山の失敗をしながら、そんな状態の自分を突き放さずにいてくれた人々には感謝をいくらしても足りないのだと思います。
その一方で、ここまで全力を出し切って遊びきった一年も無かった気がします。
何年ぶりか分からないくらい久しぶりに飛行機に一度も乗らない一年を過ごしましたが、休みの多くの部分を小さな赤い相棒やら、自転車やら、新幹線やら、フェリーやらで関東以北のいろいろな場所に、色々な人々と訪れる事に費やした一年は、感覚が麻痺する程に刺激的でした。
東北というフィールドですら、まだまだこんなに行ったことのない場所や、食べたことのないモノで溢れているのですから、まだまだ何処かに行くことに躊躇したりしている場合ではないのでしょう。
まだまだ先の見えないノルドシュライフェのようなコースですが、コーナーの終わりは遠慮することなく立ち上がっていくべきなのかもしれません。
今年も大変お世話になりました。また、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2015年12月31日木曜日
2015
今年もあっという間に過ぎていったものです。
学生時代が終わり、働き始め、初めて地元を離れて暮らし、初めて一人で生活するというということに、悩んだり苦しんだり、得も言われぬ達成感を得たり、そんな日々でした。
そんな中でも、何人もの友人に仙台まで会いに来てもらったり、東京に帰った折に遊んでもらえたりしたことは、なによりも心強かったですし、仙台で事あるごとに共に遊びに行ってくれた武蔵時代からの友人には本当に何度も助けられていたと感じております。
行き急ぐように色々な決断を下しながらの日々ではありましたが、来年からはもう少し着実に歩んで行く必要があるのだとは思います。
今年も皆様に大変お世話になりました。
来年もどうかよろしくお願いします。
学生時代が終わり、働き始め、初めて地元を離れて暮らし、初めて一人で生活するというということに、悩んだり苦しんだり、得も言われぬ達成感を得たり、そんな日々でした。
そんな中でも、何人もの友人に仙台まで会いに来てもらったり、東京に帰った折に遊んでもらえたりしたことは、なによりも心強かったですし、仙台で事あるごとに共に遊びに行ってくれた武蔵時代からの友人には本当に何度も助けられていたと感じております。
行き急ぐように色々な決断を下しながらの日々ではありましたが、来年からはもう少し着実に歩んで行く必要があるのだとは思います。
今年も皆様に大変お世話になりました。
来年もどうかよろしくお願いします。
2015年3月19日木曜日
Lapland Skyline Day5
朝起きて、朝食を食べていると、中国人のおばさんがサンタビレッジへの道の説明を受けている。声をかけて、のっけていくことにする。荷物を預けて、車内を整理し、サンタビレッジ経由でC1を返却する最後のドライブに出る。
おばさんは南京から来たらしい。サンタビレッジで別れる。サンタビレッジでは手紙を書き、サンタさんに会いに行く。サンタさん、結構俗っぽい。でも、楽しませようとしてくれているのはとてもありがたかった。
サンタパークを早々に出て、シェルのスタンドに入る。給油。給油を終えたら最後のスティントへ。
ガッツリと回しながらC1と最後のコミュニケーションをとる。何の華もないけれど、真面目で可愛い車だったな。
C1を返して、空港から市内に戻ろうとしたら、エアポートタクシーは1時間半待たないとこないという。なので、ネットでもしながら待つ。散歩をしたりしながら時間を潰し、タクシーで市内に戻る。相変わらずフィンランドの人々は正直だ。駅でおろしてもらい、アアルトの図書館に出かける。
光と図書館というなかなか難しい課題をスマートに解決していてさすが巨匠。
その後は市内を歩く。極めて北の国にもかかわらず、オープンカフェのスペースや中心のプロムナードや広場が設定されているのは間違いなく「都市」だ。
こればかりは他のラップランドの街とは違う。その後は歩いてアルクティクムに向かう。
ラップランドを始めとした北極圏の文化や自然にフォーカスした博物館。見応えがありながら、見やすい展示が多く、結構夢中に時間を過ごす。気候変動や冬戦争など、ロヴァニエミの歴史はなかなかに凄惨なものがあり、決してのほほんと過ごしてきたわけではないことがよく分かる。
アルクティクムに行った後は世界最北のマクドナルドに行って食事。何故かビッグアメリカだけど。
そして、急いで宿に戻り、タクシーを待つ。とおもいきやおみやげの紙袋がない。なんとゴミだと思われて捨てられていたようだ間一髪。ハラハラしながらもタクシーに乗って出発。ロヴァニエミの空港につく。
チェックインをし、するすると搭乗。そのままぼんやりしている間に飛行機は離陸。あっという間にラップランドの大地は遠くに消え、ヘルシンキの懐かしい光景が。
ヘルシンキ周辺に来ると、ラップランドとは違って農地や宅地が多いことが当たり前だけど実感できた。ヴァンター着。1日パスを買って、荷物をロッカーに入れて615バスで市内へ。駅に着いたら干したカンタレリをスーパーで買って、宿のあるスオメンリンナへ。フェリーから見るヘルシンキの夕日は今までこの街で見たどの夕日よりも綺麗だった。
宿に着き、チェックイン。子どもたちの団体がいるらしい。ルームメイトはシンガポールから来たプログラマーの人と少しキッチンで話して寝る。
こうして、サマースクールの後に訪れた念願のラップランド旅行は終わった。何もない場所をひた走り、そこに息づく自然や人々の文化、具体的には彼の地に住むことの叡智とそれと対峙しつつも包み込む自然の圧倒的な力にそれなりにリアリティを持って接することができたことは何よりも良かった。決してドラスティックなものだけではなく、何度も反芻するように思い返しているうちにじわじわとその意味がわかってくるもの。そんなものにあふれていた旅行であったように思える。
すこし自分のモノの見方が変わった時にまた訪れられたらと思う。
おばさんは南京から来たらしい。サンタビレッジで別れる。サンタビレッジでは手紙を書き、サンタさんに会いに行く。サンタさん、結構俗っぽい。でも、楽しませようとしてくれているのはとてもありがたかった。
サンタパークを早々に出て、シェルのスタンドに入る。給油。給油を終えたら最後のスティントへ。
ガッツリと回しながらC1と最後のコミュニケーションをとる。何の華もないけれど、真面目で可愛い車だったな。
C1を返して、空港から市内に戻ろうとしたら、エアポートタクシーは1時間半待たないとこないという。なので、ネットでもしながら待つ。散歩をしたりしながら時間を潰し、タクシーで市内に戻る。相変わらずフィンランドの人々は正直だ。駅でおろしてもらい、アアルトの図書館に出かける。
その後は市内を歩く。極めて北の国にもかかわらず、オープンカフェのスペースや中心のプロムナードや広場が設定されているのは間違いなく「都市」だ。
こればかりは他のラップランドの街とは違う。その後は歩いてアルクティクムに向かう。
ラップランドを始めとした北極圏の文化や自然にフォーカスした博物館。見応えがありながら、見やすい展示が多く、結構夢中に時間を過ごす。気候変動や冬戦争など、ロヴァニエミの歴史はなかなかに凄惨なものがあり、決してのほほんと過ごしてきたわけではないことがよく分かる。
アルクティクムに行った後は世界最北のマクドナルドに行って食事。何故かビッグアメリカだけど。
そして、急いで宿に戻り、タクシーを待つ。とおもいきやおみやげの紙袋がない。なんとゴミだと思われて捨てられていたようだ間一髪。ハラハラしながらもタクシーに乗って出発。ロヴァニエミの空港につく。
チェックインをし、するすると搭乗。そのままぼんやりしている間に飛行機は離陸。あっという間にラップランドの大地は遠くに消え、ヘルシンキの懐かしい光景が。
ヘルシンキ周辺に来ると、ラップランドとは違って農地や宅地が多いことが当たり前だけど実感できた。ヴァンター着。1日パスを買って、荷物をロッカーに入れて615バスで市内へ。駅に着いたら干したカンタレリをスーパーで買って、宿のあるスオメンリンナへ。フェリーから見るヘルシンキの夕日は今までこの街で見たどの夕日よりも綺麗だった。
宿に着き、チェックイン。子どもたちの団体がいるらしい。ルームメイトはシンガポールから来たプログラマーの人と少しキッチンで話して寝る。
こうして、サマースクールの後に訪れた念願のラップランド旅行は終わった。何もない場所をひた走り、そこに息づく自然や人々の文化、具体的には彼の地に住むことの叡智とそれと対峙しつつも包み込む自然の圧倒的な力にそれなりにリアリティを持って接することができたことは何よりも良かった。決してドラスティックなものだけではなく、何度も反芻するように思い返しているうちにじわじわとその意味がわかってくるもの。そんなものにあふれていた旅行であったように思える。
すこし自分のモノの見方が変わった時にまた訪れられたらと思う。
2015年3月5日木曜日
Lapland Skyline Day4
朝起き、朝食を食べたあと、エノンテキオの街をぶらつこうと考えていたが、よく考えばあまり大きな街ではないので、情報はない。ということで、レセプションの人におすすめの場所を聞く。どうやら近くのトレイルの上の丘がオススメらしい。早速ネイチャーセンターまでクルマを走らせる。
宿からすぐにネイチャーセンターを発見。いそいそとトレイルに繰りだそうとしたら、昨日出会ったラップランドクラシックの方々が記念写真を撮ろうとしていた。とてもいいご縁だと思う。トレイルを歩き出す。
センターの人が言うとおり、ポストが短い間隔で設置してあって、それには分かりやすいサインが書いてあるので迷う心配もない。
まずはまっすぐに丘の頂上へ。湖と森が見下ろせる頂上は非常にいい所だ。冬はスキー場になるらしく、リフトもある。
山頂にはフィンランド独特のトンガリ屋根を持った小屋が。中ではシニアの方々が談笑していた。その中におじゃまして少しお話する。どうやら遠くから車できているらしく、遠い人は北カレリアの方から来ているらしい。トヨタのオーリスに乗っているらしく、僕の乗ってきたC1の写真を見せたら兄弟だと喜んでいた。
すこし話した後はゆっくりと歩き出す。コルピクラーニの出てきそうな小屋を経て、4kmのトレイルに入る。結局その後は一組しか会わなかった。時間帯のせいかもしれないけれど、大分ゆとりのある公園だ。
苔と、針葉樹、岩で構成されたまさにラップランドらしい道を歩く。
途中から車道になる。景色もさることながら、自動車の道から外れていた事もあって風の音以外は何もしない。
ゆっくりとこういうところを歩くのはやはり気持ちがいい。センターに歩いて戻り、そこからクルマをまた走らせる。今日は国境を縫うように走ろうと思う。まずはムオニオの街に足を向ける。
相変わらず走りやすいフィンランドの道。国境を超える直前のスタンドで給油。現金を消化しておこうという安易な考えでベンダーに50EUR札を突っ込んでしまった。給油を終えてお釣りを受け取ろうと事務所に向かうと、ここでは返金できないとのこと。大変参った。センターに問い合わせてくれとのことなので電話で問い合わせると英語対応をする権限のある人から1時間後に電話があるから待っててくれとのこと。仕方ない。走りだそう。
まずはスウェーデンへ。国境は相変わらずあっさり。今回は狭い橋で川を渡るので少し風情はある方かも。スウェーデンの道は制限速度こそ低いものの、線形もカーブが多く、幅は狭く、舗装も悪い。制限速度いっぱいで走ると、限界の低いC1では本当にラリーカーのような気分が味わえる。
植生自体はノルウェーみたいに一気に変わるわけではないけれども、なかなか気分は変わる。国境から離れた地域ではフィンランドの電波が入らないので飛ばし、電波の入る川沿いの地域ではゆっくり走りを繰り返す。走っていると電話が。彼いわく銀行口座に振り込む形でしか返金はできないとのこと。色々話してメールでフォームを送ってもらうことに。その後はいいペースでロヴァニエミを目指す。途中何度かトナカイに遭遇したり、休憩を取ったりしながら夕方にロヴァニエミに到着。ホステルに荷物をおいてから丘に向かう。
街を見下ろす丘には多くの人が寒いにもかかわらず結構な台数のクルマがいる。丘にはバスケットをもったグループもちらほら。フィンランドの人々は本当にお出かけに手を抜かない。丘の上には岩場と高射砲の跡が。そうか、ここは激戦地だったのだ。
近くのホテルに向かい、展望台に上る。こっちのほうが眺望は良い。アアルトがデザインした街のプランはここから見れないのが残念だ。丘に登るリフト下をダウンヒルバイクで走って行く若者がいた。街中にもDHバイクはいたし、こっちではメジャーなスポーツなのかもしれない。日本よりは少なくとも。よく考えたら今日は急いでいたせいもあって昼食もとっていなかった。
スーパーで安いハンバーグとインスタント麺を買って帰る。キッチンで自炊をし、たらふく食べて寝る。
宿からすぐにネイチャーセンターを発見。いそいそとトレイルに繰りだそうとしたら、昨日出会ったラップランドクラシックの方々が記念写真を撮ろうとしていた。とてもいいご縁だと思う。トレイルを歩き出す。
センターの人が言うとおり、ポストが短い間隔で設置してあって、それには分かりやすいサインが書いてあるので迷う心配もない。
まずはまっすぐに丘の頂上へ。湖と森が見下ろせる頂上は非常にいい所だ。冬はスキー場になるらしく、リフトもある。
山頂にはフィンランド独特のトンガリ屋根を持った小屋が。中ではシニアの方々が談笑していた。その中におじゃまして少しお話する。どうやら遠くから車できているらしく、遠い人は北カレリアの方から来ているらしい。トヨタのオーリスに乗っているらしく、僕の乗ってきたC1の写真を見せたら兄弟だと喜んでいた。
すこし話した後はゆっくりと歩き出す。コルピクラーニの出てきそうな小屋を経て、4kmのトレイルに入る。結局その後は一組しか会わなかった。時間帯のせいかもしれないけれど、大分ゆとりのある公園だ。
苔と、針葉樹、岩で構成されたまさにラップランドらしい道を歩く。
途中から車道になる。景色もさることながら、自動車の道から外れていた事もあって風の音以外は何もしない。
ゆっくりとこういうところを歩くのはやはり気持ちがいい。センターに歩いて戻り、そこからクルマをまた走らせる。今日は国境を縫うように走ろうと思う。まずはムオニオの街に足を向ける。
相変わらず走りやすいフィンランドの道。国境を超える直前のスタンドで給油。現金を消化しておこうという安易な考えでベンダーに50EUR札を突っ込んでしまった。給油を終えてお釣りを受け取ろうと事務所に向かうと、ここでは返金できないとのこと。大変参った。センターに問い合わせてくれとのことなので電話で問い合わせると英語対応をする権限のある人から1時間後に電話があるから待っててくれとのこと。仕方ない。走りだそう。
まずはスウェーデンへ。国境は相変わらずあっさり。今回は狭い橋で川を渡るので少し風情はある方かも。スウェーデンの道は制限速度こそ低いものの、線形もカーブが多く、幅は狭く、舗装も悪い。制限速度いっぱいで走ると、限界の低いC1では本当にラリーカーのような気分が味わえる。
植生自体はノルウェーみたいに一気に変わるわけではないけれども、なかなか気分は変わる。国境から離れた地域ではフィンランドの電波が入らないので飛ばし、電波の入る川沿いの地域ではゆっくり走りを繰り返す。走っていると電話が。彼いわく銀行口座に振り込む形でしか返金はできないとのこと。色々話してメールでフォームを送ってもらうことに。その後はいいペースでロヴァニエミを目指す。途中何度かトナカイに遭遇したり、休憩を取ったりしながら夕方にロヴァニエミに到着。ホステルに荷物をおいてから丘に向かう。
街を見下ろす丘には多くの人が寒いにもかかわらず結構な台数のクルマがいる。丘にはバスケットをもったグループもちらほら。フィンランドの人々は本当にお出かけに手を抜かない。丘の上には岩場と高射砲の跡が。そうか、ここは激戦地だったのだ。
近くのホテルに向かい、展望台に上る。こっちのほうが眺望は良い。アアルトがデザインした街のプランはここから見れないのが残念だ。丘に登るリフト下をダウンヒルバイクで走って行く若者がいた。街中にもDHバイクはいたし、こっちではメジャーなスポーツなのかもしれない。日本よりは少なくとも。よく考えたら今日は急いでいたせいもあって昼食もとっていなかった。
スーパーで安いハンバーグとインスタント麺を買って帰る。キッチンで自炊をし、たらふく食べて寝る。
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