2012年3月4日日曜日

メ芸行ってきた

前評判では例年より産業的なものが多いという話が多かったので、今年はいいかなとは思っていたのだけれども、去年夏にやっていたGalaxyのSpace Balloon Projectの気球の実物の会場展示があるというので今年も行ってみることにした。

確かに"大きく"産業的なものが多く、これまでみたいにメディアアート作品の会場展示はあまり多くないように思えた。
スマートフォンやHD画質でのYoutube視聴環境が普及したことでプロダクトしての"作品"に親しむ機会が増えてきたということもあるだろうし、タッチパネルと素晴らしいレスポンススピードを持ったデバイスや、DTM、HD画質で幅広い動画静止画表現を可能にするデジタル一眼、アンドロイドやiOSという容易にソフトを開発できるプラットフォーム作品を作るフィールドなどの普及がより"メディアアート的"なものを世界に広く拡散させる事に大きく寄与したということは言うまでもないだろう。

一つ転換期にはあるんだとは外野ながらに思う。


さて、Space Balloon Project。気球は実物を見ると、思った以上にワンオフ感たっぷりのあたたかいものであった。気球と本体のリンケージとか、通信モジュールのキャビネットとか、とてもロボコン的な楽しさを感じて面白かった。

会場では当時の映像をダイジェストにしたものを、中継中に使用していた音源をバックに流していた。
バックの音源はコトリンゴや坂本美雨、高木正勝、口ロロといったいかにもなメンバーが担当していた。



久しぶりに見ると懐かしくなり、そういえばこんな曲流れていたなといった具合に口ロロの曲を少し聴いて見ることに。
それまでラジオで流れてくるのを聴いたりする程度で、あんまりしっかりと口ロロの曲を聞いたことはなかったのだが、この機会にちょっとづつ聴いて見ることにした。

いとうせいこうは今でもこんなことやるんだと思うような曲や、純粋にかっこいいなと思う曲などなかなかに聴きごたえはあるグループである。そして、時々人を食うことなくするっと後ろに回りこんでくる感じのトラックや歌詞が非常にかっこいい。

Space Balloon Projectで使われていた"いつかどこかで"というタイトルの曲は、大量の人のなんてことないようなリリックを既存の曲のトラックに貼っつけてもう一度作りなおした構成の曲で、リアルタイムで見ていたときは後ろの風景と、ギャラクシーの画面に映ったツイッターのポストを映すというスタイルのため、この曲の雰囲気自体が人々のなんてことのない日常をさらっと風呂敷で包むような"大きな"曲のたぐいだと思っていた。
しかし、口ロロの他の曲を元のトラック含めひと通り聴いたあとでこの曲を改めて聴くと、日常が乗っかっている不安定であったり不条理であったりするような基盤から組み立てていっている曲のようにも感じられる。

なんとなくゾッとしたのは、5分過ぎからの「常磐線いわき発富岡行きの電車を寝過ごす」というような一見他愛のないような雰囲気の部分。この電車はおそらく去年の震災前はいわきからの下り最終列車だった列車で、運転区間の大半が現在の福島第一原発事故の警戒区域に当たる地域に入っている。あの時期に発表された曲であえて一瞬だけこういうフレーズを混ぜ込むのはおそらくなんの意図もないとは考えられない。
このフレーズを聴いたあとに他のフレーズを聴いてみると、そこに放り込まれている日常がたしかになんてことのない日常が恐ろしく不安定で、手探りなものにも聞こえてくる。
おそらく、そこにあったなんでもない日常が切断されるともすれば不条理な事態が、当たり前のことで決して遠い世界の話ではないのだろうという確かな感覚だけは震災から一年を経てもそれなりにしっかりと残っている。
その感覚を自分は、社会は、どのくらいしたら失ってしまうものなのか。
将来的にやりたいこととも常にリンクし続ける問題だけに、簡単には答えはでないだろう。


来週でちょうど震災から一周年。