2015年12月31日木曜日

2015

今年もあっという間に過ぎていったものです。
学生時代が終わり、働き始め、初めて地元を離れて暮らし、初めて一人で生活するというということに、悩んだり苦しんだり、得も言われぬ達成感を得たり、そんな日々でした。

そんな中でも、何人もの友人に仙台まで会いに来てもらったり、東京に帰った折に遊んでもらえたりしたことは、なによりも心強かったですし、仙台で事あるごとに共に遊びに行ってくれた武蔵時代からの友人には本当に何度も助けられていたと感じております。

行き急ぐように色々な決断を下しながらの日々ではありましたが、来年からはもう少し着実に歩んで行く必要があるのだとは思います。

今年も皆様に大変お世話になりました。
来年もどうかよろしくお願いします。

2015年3月19日木曜日

Lapland Skyline Day5

朝起きて、朝食を食べていると、中国人のおばさんがサンタビレッジへの道の説明を受けている。声をかけて、のっけていくことにする。荷物を預けて、車内を整理し、サンタビレッジ経由でC1を返却する最後のドライブに出る。

おばさんは南京から来たらしい。サンタビレッジで別れる。サンタビレッジでは手紙を書き、サンタさんに会いに行く。サンタさん、結構俗っぽい。でも、楽しませようとしてくれているのはとてもありがたかった。


サンタパークを早々に出て、シェルのスタンドに入る。給油。給油を終えたら最後のスティントへ。
ガッツリと回しながらC1と最後のコミュニケーションをとる。何の華もないけれど、真面目で可愛い車だったな。


C1を返して、空港から市内に戻ろうとしたら、エアポートタクシーは1時間半待たないとこないという。なので、ネットでもしながら待つ。散歩をしたりしながら時間を潰し、タクシーで市内に戻る。相変わらずフィンランドの人々は正直だ。駅でおろしてもらい、アアルトの図書館に出かける。


光と図書館というなかなか難しい課題をスマートに解決していてさすが巨匠。

その後は市内を歩く。極めて北の国にもかかわらず、オープンカフェのスペースや中心のプロムナードや広場が設定されているのは間違いなく「都市」だ。



こればかりは他のラップランドの街とは違う。その後は歩いてアルクティクムに向かう。

ラップランドを始めとした北極圏の文化や自然にフォーカスした博物館。見応えがありながら、見やすい展示が多く、結構夢中に時間を過ごす。気候変動や冬戦争など、ロヴァニエミの歴史はなかなかに凄惨なものがあり、決してのほほんと過ごしてきたわけではないことがよく分かる。



アルクティクムに行った後は世界最北のマクドナルドに行って食事。何故かビッグアメリカだけど。
そして、急いで宿に戻り、タクシーを待つ。とおもいきやおみやげの紙袋がない。なんとゴミだと思われて捨てられていたようだ間一髪。ハラハラしながらもタクシーに乗って出発。ロヴァニエミの空港につく。
チェックインをし、するすると搭乗。そのままぼんやりしている間に飛行機は離陸。あっという間にラップランドの大地は遠くに消え、ヘルシンキの懐かしい光景が。
ヘルシンキ周辺に来ると、ラップランドとは違って農地や宅地が多いことが当たり前だけど実感できた。ヴァンター着。1日パスを買って、荷物をロッカーに入れて615バスで市内へ。駅に着いたら干したカンタレリをスーパーで買って、宿のあるスオメンリンナへ。フェリーから見るヘルシンキの夕日は今までこの街で見たどの夕日よりも綺麗だった。

宿に着き、チェックイン。子どもたちの団体がいるらしい。ルームメイトはシンガポールから来たプログラマーの人と少しキッチンで話して寝る。


こうして、サマースクールの後に訪れた念願のラップランド旅行は終わった。何もない場所をひた走り、そこに息づく自然や人々の文化、具体的には彼の地に住むことの叡智とそれと対峙しつつも包み込む自然の圧倒的な力にそれなりにリアリティを持って接することができたことは何よりも良かった。決してドラスティックなものだけではなく、何度も反芻するように思い返しているうちにじわじわとその意味がわかってくるもの。そんなものにあふれていた旅行であったように思える。
すこし自分のモノの見方が変わった時にまた訪れられたらと思う。

2015年3月5日木曜日

Lapland Skyline Day4

朝起き、朝食を食べたあと、エノンテキオの街をぶらつこうと考えていたが、よく考えばあまり大きな街ではないので、情報はない。ということで、レセプションの人におすすめの場所を聞く。どうやら近くのトレイルの上の丘がオススメらしい。早速ネイチャーセンターまでクルマを走らせる。

宿からすぐにネイチャーセンターを発見。いそいそとトレイルに繰りだそうとしたら、昨日出会ったラップランドクラシックの方々が記念写真を撮ろうとしていた。とてもいいご縁だと思う。トレイルを歩き出す。


センターの人が言うとおり、ポストが短い間隔で設置してあって、それには分かりやすいサインが書いてあるので迷う心配もない。

まずはまっすぐに丘の頂上へ。湖と森が見下ろせる頂上は非常にいい所だ。冬はスキー場になるらしく、リフトもある。


山頂にはフィンランド独特のトンガリ屋根を持った小屋が。中ではシニアの方々が談笑していた。その中におじゃまして少しお話する。どうやら遠くから車できているらしく、遠い人は北カレリアの方から来ているらしい。トヨタのオーリスに乗っているらしく、僕の乗ってきたC1の写真を見せたら兄弟だと喜んでいた。


すこし話した後はゆっくりと歩き出す。コルピクラーニの出てきそうな小屋を経て、4kmのトレイルに入る。結局その後は一組しか会わなかった。時間帯のせいかもしれないけれど、大分ゆとりのある公園だ。

苔と、針葉樹、岩で構成されたまさにラップランドらしい道を歩く。

途中から車道になる。景色もさることながら、自動車の道から外れていた事もあって風の音以外は何もしない。

ゆっくりとこういうところを歩くのはやはり気持ちがいい。センターに歩いて戻り、そこからクルマをまた走らせる。今日は国境を縫うように走ろうと思う。まずはムオニオの街に足を向ける。

相変わらず走りやすいフィンランドの道。国境を超える直前のスタンドで給油。現金を消化しておこうという安易な考えでベンダーに50EUR札を突っ込んでしまった。給油を終えてお釣りを受け取ろうと事務所に向かうと、ここでは返金できないとのこと。大変参った。センターに問い合わせてくれとのことなので電話で問い合わせると英語対応をする権限のある人から1時間後に電話があるから待っててくれとのこと。仕方ない。走りだそう。


まずはスウェーデンへ。国境は相変わらずあっさり。今回は狭い橋で川を渡るので少し風情はある方かも。スウェーデンの道は制限速度こそ低いものの、線形もカーブが多く、幅は狭く、舗装も悪い。制限速度いっぱいで走ると、限界の低いC1では本当にラリーカーのような気分が味わえる。

植生自体はノルウェーみたいに一気に変わるわけではないけれども、なかなか気分は変わる。国境から離れた地域ではフィンランドの電波が入らないので飛ばし、電波の入る川沿いの地域ではゆっくり走りを繰り返す。走っていると電話が。彼いわく銀行口座に振り込む形でしか返金はできないとのこと。色々話してメールでフォームを送ってもらうことに。その後はいいペースでロヴァニエミを目指す。途中何度かトナカイに遭遇したり、休憩を取ったりしながら夕方にロヴァニエミに到着。
ホステルに荷物をおいてから丘に向かう。

街を見下ろす丘には多くの人が寒いにもかかわらず結構な台数のクルマがいる。丘にはバスケットをもったグループもちらほら。フィンランドの人々は本当にお出かけに手を抜かない。丘の上には岩場と高射砲の跡が。そうか、ここは激戦地だったのだ。


近くのホテルに向かい、展望台に上る。こっちのほうが眺望は良い。アアルトがデザインした街のプランはここから見れないのが残念だ。丘に登るリフト下をダウンヒルバイクで走って行く若者がいた。街中にもDHバイクはいたし、こっちではメジャーなスポーツなのかもしれない。日本よりは少なくとも。よく考えたら今日は急いでいたせいもあって昼食もとっていなかった。

スーパーで安いハンバーグとインスタント麺を買って帰る。キッチンで自炊をし、たらふく食べて寝る。

出雲空港で見たサーブ

というタイトルを見て多くの人は旅客機のサーブ340のことであろうと想像するであろう。
しかし、実は意外なところにもう一つのサーブが隠れていた。

まれに重量級の車両の中にはアメリカ製ピックアップがいたりするものの、通常はほぼほぼ日本車で構成される空港のオフィシャルカー。出雲空港のオフィシャルカーが3台仲良く並んでいるなかにサーブ9000は平然と佇んでいた。日本ではもうあまり見る機会のないサーブの乗用車のなかでも、それなりに古い9000。見た感じ右ハンドルなのでディーラー車であろう。調べたところによると9000は1997年には日本への導入が終わっているようなので、このクルマは20年選手ぐらいになる可能性もある。
どんな経緯で導入されたかはよくわからないが、旅客機購入のバーターとしての導入とかだったら面白い。
なんと調べたところ、日本全国の空港にはランウェイのグリップをテストする特殊車両として、サーブが多数導入されているとの事だった。詳しくは下記のリンクを。
どうやらこれまで自分が見つけられていなかっただけでサーブは日本全国の空港にいたようだ。実際ブログなどでは山陰のみならず北陸や東北の空港でもサーブの目撃情報が見られた。

グリップテスターの動作風景は以下のとおり。この動きは前輪駆動の高性能車に定評のあるサーブならではなのかもしれない。



それにしても、耐久性や確実性が要求されるオフィシャルカーとしてそれだけの長い期間9000が活動している(隣のADやヴィッツよりも古いのは間違いないわけで。)というのは、サーブがきっと優秀なクルマであることの証明にもなっているのかもしれない。

きっと部品などの調達もこれからより厳しくなっていくのだろう。サーブが日本代理店のみならず世界からフェードアウトしつつある中で、島根の地でなるだけ生きながらえることを祈っている。