2010年5月31日月曜日

清陵ラン2010

清陵祭が盛り上がっている中、ガン無視で長野の方へ走りに行くのが我がサークルの恒例となっている。


新宿発のバスに乗り長野駅へ。
快晴の中、上信越をひた走る。



だいぶ早く着いてしまったところをカヤさんに発見してもらい、二人で谷口吉生設計の信濃美術館の別館ほかいくつかの建物を見て回る。



そんなことをしているうちに集合時間に。一気に輪行解除をする面々。




善光寺にも行ってきた。



雨の中野尻湖にたどり着き、その日はアベさんとはっちゃけていつの間にか寝てた模様。
翌朝の野尻湖。出発時点では曇っていたけど、朝の湖はやはりいい。



坂の途中のカフェでのんびりクダを巻いたりしながらも昼には戸隠に到着。雲の立ち込める先には戸隠神社。空気と相まってものすごく神秘的な感じがする。行かなかいで蕎麦食べてたけど。



その日はいろいろと食べたりしながら戸隠の宿坊街に着き、温泉に入り、宿に泊まる。この日の夜もなんだかんだで話し込んでかなり遅くまで起きていたようだけど、いまいち覚えていない。

戸隠からはだいたい下り。湖で休憩をしたりしながら一気に長野まで下る。途中にあったループ橋に感動。



昼食はサークル伝統?のカレー屋さんへ。辛口(この上に極辛、超辛口、激辛の三等級がある。)ですでに食道が痛くなるような辛さ。恐るべし。上の等級を食べた人はみな汗だくだった。



長野駅で解散後はウエノと二人で碓氷峠を下りに軽井沢へ。



霧の軽井沢を出発し、タイトでウエットなワインディングを下っていく。
途中で新線の遺構を発見。架線もレールも残ったままで時が止まったようにそこに眠っていた。



旧線の遺構も次々と出てくる。



めがね橋と我らが相棒達。ちょっとオーバー。



この地形にこれだけのスケールのアーチをどうやって組んだのかを考えるとぞくぞくする。



その後路面が乾いて来たので、ちょっとずつペースをあげながら一気に横川駅まで下る。時間が時間だったので釜飯は食べなかったけど。



その後は安中まで走って輪行。



とても充実度の高いランだった。

プランナーの方々に感謝です。

2010年5月24日月曜日

週イチでもよい、更新を

いろいろとやったことを考えると長く感じられる一週間も終わってしまえばあっという間で、うまく日々をこなせているかどうかとゆっくり考えることもできてはいない。

金曜は中尾さんとゆっちーと三人で飲んだ。何があったにせよ、今こうして色々な事を笑いあいながら話すことが出来ることが本当にありがたい。真面目に生きていればきっと次につながるのだと信じるしかない。最近真面目に生きられている自信がないこともまた事実。

昨日今日とたまっていたことを片付ける。
今日は課題の立面図を作った。後は・・・トレースか・・・。
今日の夜は日帰り状況中のあさこさんとマヤマの異色の三人で渋谷で会食。帰りにHMVのワールドミュージックコーナーのワゴンをあさって帰る。
お疲れ様でした。たまにはイレギュラーな組み合わせで会うのも面白い。


KEANEが新しいアルバムの中でYMOの以心電信をカヴァーしている。



どちらもかなーり思い入れのある組み合わせなのでたまらない。

2010年5月16日日曜日

収穫加速の法則

徐々に忙しくなってきた日々。
ここ一週間は、いろいろな事を並列して抱え込んだせいでそれこそ完全にハングアップしていたようだ。
まだ、残した事を片付けることで手一杯。
それでも、いくつかの事象は先に進めるための建設的な一歩になっていると信じたい。

最近映画を見てないなといまさらながら思う。
やっぱりB級のアメリカンニューシネマとかをちょびちょび見ることもできた去年の今頃は恵まれていたのかもしれない。

ここ最近写真の撮り方が完全にわからなくなっている。
以前は出来の善し悪しはともかくコレだっと決めてシャッターを切ることができたのに、最近はその感覚がつながる感触をつかめなくなっている。
思うに18-105という馬鹿みたいにフレキシブルなレンズを使いすぎたことも一因としてあるのではないかと思ってしまう。
平面の中に立体を押し込めるときに、その配置に対してもっと真摯に当たらなければならないはずなのに、足を動かすこともせずにレンズのズームリングを握ってそれっぽいところで止めて、適当にテーブルにぶちまけるように配置をするクセが付いてしまったようだ。
単焦点だと必然的に前後左右に足を使って動くから、配置を意識的に決められるのだけれど。ファインダーから入ってくる映像を使ってリアルタイムで大量にスタディをし続ける感覚というか。
写真に向きあわなければいけない機会を新しい写真講評会という形で与えてもらえたのは本当にありがたいのだけれども、いままでいかに自分が写真に大していい加減に向き合ってきたかを痛感するはめになってしまい、なかなか四苦八苦といったところ。本当に、上手いとパッと見思える写真をとれるようになりたいものだ。

2010年5月9日日曜日

下町さんぽ

去年の今日は、MOT散歩をしていたことをPicasaで知る。似たようなことだけれど、今日は写真部の最後の新歓イベントの撮影会(要は散歩)をしてきた。
上野公園周辺と、浅草周辺。


途中までは35mmF2のみで、スカイツリーが見えてきたらさすがに画角が不足してきたので18-105mmを使用。
お天気だったせいもあるだろうけど、久しぶりの35mmF2の使い心地に感動。やっぱり軽くてカッチり写ってなおかつ構図を強く意識せざるを得ないこのレンズは本当に大好きなレンズだ。
詳しい人から見るとアレな機材かもしれないけど、僕はこれが大好き。



上野公園にて



端午の節句を過ぎて少し疲れ気味の面々



アリクイ



これからペンギンも¥にはつらい季節



人が見ているのか、ハシビロコウがみているのか。



小さい頃から上野のモノレールは特別な乗り物



おじいさん



SFチックに撮ろうとするとなぜかただあざといだけの写真になる



伸びすぎ・・・まだ6割にも達してないというのに・・・

2010年5月6日木曜日

The Resistance

課題も一応の終結を見て、MUSEのマイスペで公開されている映像を見ながら日記を書いている。

映像になってみて改めて、MUSEの持つものすごいファシズムを感じる。武道館ではその渦の中に確かにいたのだけど、こうして画面の外から見てみるとその中央集権的なパワーの凄さを感じる。

オーディエンスの唱和が必要とされる部分ではスクリーンアートに歌詞を出し、時に激しく動いてオーディエンスの興奮を誘った後に、ステージの中心に大きく足を広げて立つことでオーディエンスのパフォーマンスへの陶酔を引き寄せる。
手拍子を必要としている時はしっかりとそれを伝えるモーションを盛り込む。

一見普通にやってしまうと野暮ったく胡散臭くなってしまうそんなパフォーマンスも、優秀なスクリーンアートのクリエーターや、マシューのパフォーマンスの妙でうまい具合に洗練させることで、MUSEをオーディエンス全体の意識の頂点に据えることに成功させているようにも思える。
はたから見れば馬鹿げていたり大仰に見える可能性すらあるそれらのパフォーマンスも、それに巻き込まれている人間にとってはものすごいものなのである。
PA装置を開発したのはナチスとはよくいう話だしね。


八十年代後半のZooropaツアーでU2が作った昨今の支配型スタジアムロックの雛形を、よりリニアに、より肉感的に、より鮮やかにしたものがMUSEのステージワークなのだと思う。
U2の当時のステージがステージの奥に現実世界を置いて、そのフレームにパッケージされた現実とステージをつなげることで世論扇動的、マスコミ式なステージワークをしていたとするのならば、MUSEのそれの先には現実世界はなく、ただ彼らの作った虚構的な世界観が広がっている。そしてそれをファシズム的に強要し、共に心酔させることを主眼に置いているとも言えるのではないかと思える。
それがなんとなくMUSEにファシズムを感じる理由なのだと勝手に自己解釈している。

無論それに人々が心酔するに十分耐えうる素晴らしい虚構が存在するから彼らは魅力的なのだけれども。