2010年5月6日木曜日

The Resistance

課題も一応の終結を見て、MUSEのマイスペで公開されている映像を見ながら日記を書いている。

映像になってみて改めて、MUSEの持つものすごいファシズムを感じる。武道館ではその渦の中に確かにいたのだけど、こうして画面の外から見てみるとその中央集権的なパワーの凄さを感じる。

オーディエンスの唱和が必要とされる部分ではスクリーンアートに歌詞を出し、時に激しく動いてオーディエンスの興奮を誘った後に、ステージの中心に大きく足を広げて立つことでオーディエンスのパフォーマンスへの陶酔を引き寄せる。
手拍子を必要としている時はしっかりとそれを伝えるモーションを盛り込む。

一見普通にやってしまうと野暮ったく胡散臭くなってしまうそんなパフォーマンスも、優秀なスクリーンアートのクリエーターや、マシューのパフォーマンスの妙でうまい具合に洗練させることで、MUSEをオーディエンス全体の意識の頂点に据えることに成功させているようにも思える。
はたから見れば馬鹿げていたり大仰に見える可能性すらあるそれらのパフォーマンスも、それに巻き込まれている人間にとってはものすごいものなのである。
PA装置を開発したのはナチスとはよくいう話だしね。


八十年代後半のZooropaツアーでU2が作った昨今の支配型スタジアムロックの雛形を、よりリニアに、より肉感的に、より鮮やかにしたものがMUSEのステージワークなのだと思う。
U2の当時のステージがステージの奥に現実世界を置いて、そのフレームにパッケージされた現実とステージをつなげることで世論扇動的、マスコミ式なステージワークをしていたとするのならば、MUSEのそれの先には現実世界はなく、ただ彼らの作った虚構的な世界観が広がっている。そしてそれをファシズム的に強要し、共に心酔させることを主眼に置いているとも言えるのではないかと思える。
それがなんとなくMUSEにファシズムを感じる理由なのだと勝手に自己解釈している。

無論それに人々が心酔するに十分耐えうる素晴らしい虚構が存在するから彼らは魅力的なのだけれども。

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