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2015年3月19日木曜日

Lapland Skyline Day5

朝起きて、朝食を食べていると、中国人のおばさんがサンタビレッジへの道の説明を受けている。声をかけて、のっけていくことにする。荷物を預けて、車内を整理し、サンタビレッジ経由でC1を返却する最後のドライブに出る。

おばさんは南京から来たらしい。サンタビレッジで別れる。サンタビレッジでは手紙を書き、サンタさんに会いに行く。サンタさん、結構俗っぽい。でも、楽しませようとしてくれているのはとてもありがたかった。


サンタパークを早々に出て、シェルのスタンドに入る。給油。給油を終えたら最後のスティントへ。
ガッツリと回しながらC1と最後のコミュニケーションをとる。何の華もないけれど、真面目で可愛い車だったな。


C1を返して、空港から市内に戻ろうとしたら、エアポートタクシーは1時間半待たないとこないという。なので、ネットでもしながら待つ。散歩をしたりしながら時間を潰し、タクシーで市内に戻る。相変わらずフィンランドの人々は正直だ。駅でおろしてもらい、アアルトの図書館に出かける。


光と図書館というなかなか難しい課題をスマートに解決していてさすが巨匠。

その後は市内を歩く。極めて北の国にもかかわらず、オープンカフェのスペースや中心のプロムナードや広場が設定されているのは間違いなく「都市」だ。



こればかりは他のラップランドの街とは違う。その後は歩いてアルクティクムに向かう。

ラップランドを始めとした北極圏の文化や自然にフォーカスした博物館。見応えがありながら、見やすい展示が多く、結構夢中に時間を過ごす。気候変動や冬戦争など、ロヴァニエミの歴史はなかなかに凄惨なものがあり、決してのほほんと過ごしてきたわけではないことがよく分かる。



アルクティクムに行った後は世界最北のマクドナルドに行って食事。何故かビッグアメリカだけど。
そして、急いで宿に戻り、タクシーを待つ。とおもいきやおみやげの紙袋がない。なんとゴミだと思われて捨てられていたようだ間一髪。ハラハラしながらもタクシーに乗って出発。ロヴァニエミの空港につく。
チェックインをし、するすると搭乗。そのままぼんやりしている間に飛行機は離陸。あっという間にラップランドの大地は遠くに消え、ヘルシンキの懐かしい光景が。
ヘルシンキ周辺に来ると、ラップランドとは違って農地や宅地が多いことが当たり前だけど実感できた。ヴァンター着。1日パスを買って、荷物をロッカーに入れて615バスで市内へ。駅に着いたら干したカンタレリをスーパーで買って、宿のあるスオメンリンナへ。フェリーから見るヘルシンキの夕日は今までこの街で見たどの夕日よりも綺麗だった。

宿に着き、チェックイン。子どもたちの団体がいるらしい。ルームメイトはシンガポールから来たプログラマーの人と少しキッチンで話して寝る。


こうして、サマースクールの後に訪れた念願のラップランド旅行は終わった。何もない場所をひた走り、そこに息づく自然や人々の文化、具体的には彼の地に住むことの叡智とそれと対峙しつつも包み込む自然の圧倒的な力にそれなりにリアリティを持って接することができたことは何よりも良かった。決してドラスティックなものだけではなく、何度も反芻するように思い返しているうちにじわじわとその意味がわかってくるもの。そんなものにあふれていた旅行であったように思える。
すこし自分のモノの見方が変わった時にまた訪れられたらと思う。

2015年3月5日木曜日

Lapland Skyline Day4

朝起き、朝食を食べたあと、エノンテキオの街をぶらつこうと考えていたが、よく考えばあまり大きな街ではないので、情報はない。ということで、レセプションの人におすすめの場所を聞く。どうやら近くのトレイルの上の丘がオススメらしい。早速ネイチャーセンターまでクルマを走らせる。

宿からすぐにネイチャーセンターを発見。いそいそとトレイルに繰りだそうとしたら、昨日出会ったラップランドクラシックの方々が記念写真を撮ろうとしていた。とてもいいご縁だと思う。トレイルを歩き出す。


センターの人が言うとおり、ポストが短い間隔で設置してあって、それには分かりやすいサインが書いてあるので迷う心配もない。

まずはまっすぐに丘の頂上へ。湖と森が見下ろせる頂上は非常にいい所だ。冬はスキー場になるらしく、リフトもある。


山頂にはフィンランド独特のトンガリ屋根を持った小屋が。中ではシニアの方々が談笑していた。その中におじゃまして少しお話する。どうやら遠くから車できているらしく、遠い人は北カレリアの方から来ているらしい。トヨタのオーリスに乗っているらしく、僕の乗ってきたC1の写真を見せたら兄弟だと喜んでいた。


すこし話した後はゆっくりと歩き出す。コルピクラーニの出てきそうな小屋を経て、4kmのトレイルに入る。結局その後は一組しか会わなかった。時間帯のせいかもしれないけれど、大分ゆとりのある公園だ。

苔と、針葉樹、岩で構成されたまさにラップランドらしい道を歩く。

途中から車道になる。景色もさることながら、自動車の道から外れていた事もあって風の音以外は何もしない。

ゆっくりとこういうところを歩くのはやはり気持ちがいい。センターに歩いて戻り、そこからクルマをまた走らせる。今日は国境を縫うように走ろうと思う。まずはムオニオの街に足を向ける。

相変わらず走りやすいフィンランドの道。国境を超える直前のスタンドで給油。現金を消化しておこうという安易な考えでベンダーに50EUR札を突っ込んでしまった。給油を終えてお釣りを受け取ろうと事務所に向かうと、ここでは返金できないとのこと。大変参った。センターに問い合わせてくれとのことなので電話で問い合わせると英語対応をする権限のある人から1時間後に電話があるから待っててくれとのこと。仕方ない。走りだそう。


まずはスウェーデンへ。国境は相変わらずあっさり。今回は狭い橋で川を渡るので少し風情はある方かも。スウェーデンの道は制限速度こそ低いものの、線形もカーブが多く、幅は狭く、舗装も悪い。制限速度いっぱいで走ると、限界の低いC1では本当にラリーカーのような気分が味わえる。

植生自体はノルウェーみたいに一気に変わるわけではないけれども、なかなか気分は変わる。国境から離れた地域ではフィンランドの電波が入らないので飛ばし、電波の入る川沿いの地域ではゆっくり走りを繰り返す。走っていると電話が。彼いわく銀行口座に振り込む形でしか返金はできないとのこと。色々話してメールでフォームを送ってもらうことに。その後はいいペースでロヴァニエミを目指す。途中何度かトナカイに遭遇したり、休憩を取ったりしながら夕方にロヴァニエミに到着。
ホステルに荷物をおいてから丘に向かう。

街を見下ろす丘には多くの人が寒いにもかかわらず結構な台数のクルマがいる。丘にはバスケットをもったグループもちらほら。フィンランドの人々は本当にお出かけに手を抜かない。丘の上には岩場と高射砲の跡が。そうか、ここは激戦地だったのだ。


近くのホテルに向かい、展望台に上る。こっちのほうが眺望は良い。アアルトがデザインした街のプランはここから見れないのが残念だ。丘に登るリフト下をダウンヒルバイクで走って行く若者がいた。街中にもDHバイクはいたし、こっちではメジャーなスポーツなのかもしれない。日本よりは少なくとも。よく考えたら今日は急いでいたせいもあって昼食もとっていなかった。

スーパーで安いハンバーグとインスタント麺を買って帰る。キッチンで自炊をし、たらふく食べて寝る。

2014年8月7日木曜日

Lapland Skyline Day3

今日は昨日ホステルで仲良くなった青年と一緒に朝食。このノールカップユースは食事が豪華だ。マリネやパンですっかりお腹いっぱいに食べる。

部屋の件も色々ととりはからってもらったし、なかなかにアタリのホステルな気がする。
出発の準備を整え、今日の旅の友に声をかけて出発。今日は一緒にアルタまで行くのだ。
朝のE69は本当に交通量が少ない。そもそも、昨日夜も道路の音は殆ど聞こえなかったし、この時期はオフシーズンなのかもしれない。彼といろんなことを話しながらクルマを進める。1人旅の良さは何にも代えがたいが、たまには誰かと一緒もいい。途中何度もクルマを止めながら進んでいく。
彼はミスチルが好きらしい。





 途中フィヨルドの海岸に立ち寄る。フィヨルド全体の水はその岩の地面を流れて最後に海岸にたどり着く。海への道の最後は海岸の小石の間からにじみだした短い川になって地上を走る。長さにしてわずかに数百メートルの旅ながら、ドラマチック。



途中道を間違えてハンメルフェストの手前まで行ってしまいそうだったが、途中で引き返し、アルタへ再び向かう。ハンメルフェストにも憧れがあったので、行ってみても楽しかったのだろうけど。






途中燃料が足りなくなって、警告灯を点けてしまうが、それでもなんとかしながらアルタに。給油を終えた後、彼に昼食を御馳走になる。いやあ悪いですね。その後は一緒にアルタの石絵を見にいく。とてもすごい。こんなに昔の人々が残した記録が今もこうして屋外にある石に残っているというのがなんとも衝撃的だった。









北極海ともここでお別れ。
彼を宿でおろして、1人で一路エノンテキオを目指す。今日はどこか太陽が夕暮れ時の表情をしている。

カウトケイノの街までは渓谷から丘陵まで非常に変化に飛んだいいドライビングロードだ。狭いし、流れも速いし、シフトチェンジも頻繁なのでなんども景色を撮るために足を止めながら,
息つく暇もないエキサイティングな道を走る。












岩の壁のノルウェーフィヨルドの谷。泥で出来たノルウェーの丘陵部。そして、石と森で作られたラップランド。そのどれも雄大で、本当に飽きない。






カウトケイノの町はとても小さく、川沿いにこぢんまりとした教会があるのが目立つ。心が癒やされる。









ラップランドはまだ8月の終わりなのにどこか秋の足音が聞こえるような、そんな淋しげな雰囲気にも満ちていた。クルマを止め、道を離れれば色鮮やかながら穏やかな景色が広がる。




夕日の中国境を越え、エノンテキオの街につく。ここは宿が多く、どちらかと言うとラップランド観光の基地となっているようだ。遊歩道や町に張り巡らされたトレイルのつくりをみて、ここがフィンランドなのだと実感する。
ノルウェーはとても美しいけど、やはり僕はフィンランドが好きなのだとよく分かる。

宿について、車を停めると、ここ毎日最低でも400kmずつ、今日一日で500km弱走ったとは思えないくらいにまだまだ走りたいと感じている自分がいた。
1Lマニュアル、リアウィンドウも開かない極めて簡素で健気な旅の相棒とこれほどまでに仲良くなれるとは思ってもいなかった。

宿に着き、部屋に入るとどうやら清掃が行われていなかったようだ。フロントに清掃を頼みに行ったら、すぐに対応してもらえた。サウナに入って体を温め、フロントで飲み物を買おうとしたらお代はいいと言われる。こちらこそもしわけない!ということで、フィンランドに敬意を評してヤッファを飲む。砂糖とライムのクラシカルな味わい。この垢抜けない感じがなんともいい。

Wi-Fiが通じるロビーでPCを開いていたら、団体さんと話すことに。この人達はなんと一週間で130kmの距離を歩くラップランドツアー「Lapland Classic」の参加者なんだとか。聞けば、毎年開かれているツアーらしく、世界中から多様な参加者が集まって、ひたすら歩くというものらしい。
それはすごい。結構年配の方ばかりに見えるのに。色々と話して仲良くなる。その団体のうちフランスから来たご夫妻は息子さんの奥さんが日本人なのだとのこと。すこし色あせた結婚式の時の写真をずっと大事に持ち歩いているようで、とてもあたたかい気分になった。
色々と話して親交を深めているうちに夜はふける。

2014年7月20日日曜日

今更ながらチョイモビ

今更ながら、横浜市と日産が共同でやっているモビリティ社会実験「チョイモビ」を使うことにしました。

以下雑感垂れ流し。



この実験はヨーロッパなどで始まっているEVカーシェアの流れを日本でもということで、横浜市と日産が共同で横浜市内限定のサービスを行っているというもの。
何が新しいかというと、登録さえすればEVを身近にだれでも使えるという点、そして日本では法律上認められていないレンタカー無人店舗での乗り捨てをできるような制度を実験としてに用意することで、2地点間の移動にカーシェアリングを利用できるようなシステムになっている点であろうか。
たしかに現状の日本でのカーシェアは、自宅や仕事場の近隣の駐車場から、自家用車のちょい乗り用途を代替することはできても、都市内全体で自動車を共有するということはできていない。そもそも、自動車を不特定多数のユーザーがフレキシブルに共有する社会を法律が想定できていなかったというだけで、法規や駐車場オペレーションさえ改善する事ができれば、現在大規模にサービスを展開しているカーシェアリング業者も同様のサービスができるのかもしれない。

今回の実験で使用している車両は、ルノーがヨーロッパですでに発売しているTwizyというEVのバッジエンジニアリング版の車両「NISSAN New Mobility CONCEPT」というもの。基本的にはルノーの製品を最低限日本で運用できるように改造しているものなので、ウインカーとワイパーのレバーはISO準拠の位置である。
ヨーロッパではサブAセグメント車として、いわば日本で言う「ミニカー」に近い法的位置づけのクルマではあるが、今回の実験では登録上は軽自動車(ただし、特例措置によって高速道路や自動車専用道の走行は認められていない)という位置づけになっており、そこもヨーロッパの規格に準拠した車両をそのまま日本に持ってきたことに対する苦悩を感じられる。

足回りは見た感じ前後ともストラットで、カウルからアームが張り出した様子はスポーツカーのような勇ましさ。


クレジットカードと免許証さえあればだれでも登録ができ、登録完了後の講習会を受講さえすればすぐさまチョイモビユーザーになれるという手軽なシステムになっている。
インターネットやスマートフォンアプリ経由で近隣の車両と、返却場所を選択し、その手続から30分以内にその車両にキーである会員カードをかざすと乗車ができるという仕組みになっている。

実際にカードが発給されたその日に、講習会を受けた日産本社から相鉄沿いまで試しに乗ってみようと考えた。まずアプリを使って近隣の空き車両を見つけることはすぐに出来たものの、残念ながらなかなか都合のいい返却場所が見当たらない。おそらく車両の台数より少し多い程度の駐車場しかチョイモビのステーションとして提供されていないのだろう。利用率が向上すれば状況は幾分か改善されるのかもしれないけれど、都市内をフレキシブルに移動するための手段にするにはまず車両の数よりもステーションのバッファー量を大幅に増やす必要があるのではないかと感じた。
また、今回のステーションが殆ど市街中心部に集中していることも若干の物足りなさを感じた。斜面住宅地や、鉄道空白地帯の多い横浜の住宅地の特性上、本来こういった簡易的なモビリティはそれらのエリアの足を補完する意味合いを持たせることでより存在意義が強まるようにも感じられる。その点、山手の丘の上や、三渓園にステーションを設けていることはそれらの意味合いを持ったユースに対してのデータを集める目的が大きいのかもしれない。



車両に乗って完全な主観から感じたものは、独特な面白さと、その一方での安全性への不安であろうか。
これまで乗ったことのあるEVやHVとは異なり、出足を意図的に遅くしてあるというのは非常に面白い。スタートはスロットルべた踏み程度で他の一般車の流れに乗るのにちょうどいい一方、30km/hからの加速はいかにもEVらしいトルクに満ちた真っ直ぐなものなので、スロットル開度を頻繁に変えながらの運転となる。窓のないオープンエアということもあり、モーターの音も普段聞き慣れた国産のHVやEVの音とは異なり、粗野で大きく感じられ、スロットルを頻繁に開け閉めすると聞こえてくる力行と回生の音の変化は、あたかもフォーミュラーE やルマンカーのオンボード映像のよう。スロットルと回生量のグラフが出るのもその気分を助長する。パワステのないことによるハンドルへのゴツゴツした感覚もまたよい。
足回りは硬く、ロールをほとんどしない。しかしながら、優秀なものかというと少し違うようにも感じられ、その硬さはサスペンションのストロークの不足から来るんじゃないかというような感じのもの。停車中にコツコツとフロアを軽く足で叩いただけで、小刻みに車体が反応するような程度のショックアブソーバーの性能。
横浜に多い速度の速い交差点や下り坂のような状況を一般車の流れに乗って走るだけで明確にアンダーステアが出るし、ABS、ESPやトラクションコントロールのような類もなく、そもそもMRに近い駆動方式なので、不慣れなドライバーが下り坂のカーブなど雨天などの悪条件下での操作を間違えればスピンをする可能性は十分にある気がする。
ボディが小さく、四隅は把握しやすいので、路地だろうが駐車だろうが、特に困ることはまずない。
シザードアは駐車の時などに上げっぱなしにして車体の周りを見るにも便利かもしれない。



安全性に関しては、さっきのダイナミックセーフティもさることながら、やはりほぼオープンな事もあって衝突安全性がまず不安になる。ちなみに、EURO NCAPのテスト映像は以下のとおり。健闘していると捉えるべきか、それとも。



料金に関しては、一分単位の時間制ということもあり、渋滞を避けたルート選択をしっかりできるユーザーならば相当お得に使えるのではないかと思う。二人乗ることもできると考えれば、20円/分の料金設定は、タクシーやバスに対しても競争力があるかも知れないとも。


今回実際に使って感じたことは、小型モビリティの可能性と物足りなさであり、今後の法改正などを受けて普通車のコンパクトカーや軽自動車のカーシェアが2地点間での移動を可能にされたときに、あえて今回のような小型モビリティを都市内カーシェアに使う意義が見出しにくいということでもある。それは、小型モビリティにメリットがないということでは決してなく、現状では危険の多い都市内の自動車交通の中にその小型モビリティを混ぜて走らせることのデメリットの方が大きくなってしまっているということのようにも感じられた。
安全補助技術の普及やドライバーのマナーとスキルの向上の果てには小型モビリティを使用したカーシェアが真価を発揮する時が来るかも知れないけれど、現状ではリーフなどの「乗用車」然とした車両をシステムの核にしたほうが結果としてユーザへの敷居を下げて、システムとしての浸透を図れるのではないかという考えも浮かんだ。

2014年7月17日木曜日

Lapland Skyline Day2

今日はついにノールカップ攻略の日。
この旅の最も大きな目的の一つはヨーロッパ最北端の地であるノールカップに行くことであった。小さい頃から幾度となく本で目にした彼の地の名前は、最果て好きの私の興味を掻き立ててやまなかった。

朝は九時前までゆっくりと睡眠を取り、朝ごはんをいただく。久しぶりにヘルシンキのユーロホステル以外の朝ごはんである。
お宿の人々は親切で、実に暖かく接してくれた。少しお礼を言って出かける。
クルマに乗り、ゆっくりと走っていたら道にトナカイが。昨日もよく見たけど、今日も早速。トナカイの写真を撮った後はノールカップに向けて92号線を走る。



二日目のドライブはシートポジションや北欧流の運転の仕方に慣れてきた事もあって、比較的楽に感じる。センターラインのない広い真っ直ぐな道を制限速度いっぱいで駆け抜ける。C1の乗り方も大分掴めてきた。簡素な足ながら堅く締めてあり、結構高速域でもしっかりとしているので、北欧のスピードにもなんとか対応しているようだ。岩で出来た丘を幾つも越えて、クルマは国境に向かう。クローネも持たず、フィンランドのSIMがローミングをしないように携帯も切り、道路標識を頼りに進む。



国境に到着。当たり前だけど、パスポートチェックなどもない。味気ないけどね。税関の事務所にノールカップへの道を聞いたら、カウンターで話し込んでいたトラッカーのおじちゃんや、職員のひとやらにいた全員に「あっち!」と言われたのがとてもおかしかった。
クルマをカラショクにすすめる。ここでもスーパーの人に少し道を聞いたりして、正しいルートに乗る。ノルウェーの人はみんな優しい。ノルウェーに入り、風景は激変した。



今までは針葉樹の森が広がっていたのに、ノルウェーの景色は氷河が作ったのであろうダイナミックな景色の中にこれまたたくましく木々が生息しているような感じなのである。遥か彼方まで続く道と、大きな山々。ダイナミックだ。
E6とE69の分岐まで来る。ここからは本当にノールカップ街道。



制限速度はノルウェー一般道の標準の90キロのまま。しかしながら道は大分荒れて、狭くなっている。それなりにスリリングかつ気持ちのいいドライビングコースだ。




ちょっと飛ばすと、C1の操縦特性がよく分かる。クイックで、アンダーステアも大きい。遅いけど、シフト、ブレーキとスロットルをコーナーの度にしっかり使って日常域でスポーツしている感覚は本当に楽しい。
途中なんども車を止めてはフィヨルドや海の写真を撮る。途中虹が何度か見えた。その都度律儀に止まっては写真を取ろうとしていたのだけれど、ある一回はホニングスヴォーグに向かうおばさんと一緒に停車した。タバコを吸うおばさんと少しだけ会話を交わし、また二台とも走りだす。ノルウェーの人の運転ペースは速い。ゆっくり走る僕は置いていかれてしまった。



そうこうしているうちにすぐにマーゲロイ島へのトンネルに。話に聞いていた料金所もなく、そのまま通過。どうやら償却が終了し、無料化されたとのこと。さすが北欧、きっちりしている。
それにしても、このトンネル、相当深い。7キロの全長のうち、3キロずつぐらいは急な坂道になっていた。北の硬い岩盤の海底をくりぬいたすごい土木技術にただただ感動する。
マーゲロイトンネルを抜けてしばらく走るとホニングスヴォーグへの分岐と、その直前にあるユースホステル。もうとうとうここまで来たのだ。そのままノールカップへと足を向ける。強風と、霧雨の中ひたすら走る。



途中数分の通行止めに遭遇。何かと思えば映画の撮影らしい。山の向こうから爆音が聞こえる。解除されて進んでみると、ブリフェンの86と、オレンジのM3ほか、アメ車数台が。なんの映画だろう。もしかしたらワイスピ系かもしれない。(当時はこの程度の認識でしたが、どうやらこれはノルウェー版ワイスピのような「Børning」という映画の撮影だったようです。この間ニュースサイトにこの映画の記事が上がっていたらしく、それを発見したときはとてもびっくりしました。)



大絶景の中を進む。時折景色の中に見えるノールカップのドームが興奮を掻き立てる。





そんなこんなでを止めては進みを繰り返し、ついにノールカップに到着をする。
料金所のお姉さんと少し話し、学割で入れてもらえることに。HSSの学生証が通じてうれしい。




ついに着いてしまった。これより北にはもうヨーロッパはないと考えると本当に感慨深い。





ポーランドからきたというスズキとKTM乗りの夫妻に出会い、少し話す。シャンパンを開けていたのがとても楽しそうだった。それにしてもバイクだけどいいのだろうか?

写真を取り、しばらくぼーっとモニュメントの近くにいると、何組かの写真を撮ることになった。
ノールカップの郵便局は専用のスタンプを押してくれるらしく、それを目当てに幾つか手紙を書くためにレストランに入る。
レストランの店員のお兄さんは観光客に関するアンケートを大学から依頼されているらしく、久しぶりのサンプルである日本人に喜んでいたようだ。3から4日に一度しか日本人は来ないのだとか。それは確かに少ない。なんだか嬉しいような、少し淋しいような。
手紙を投函した後は、地下の資料館を散策。地上からでは全くわからないけど、この施設はめちゃめちゃ立派だ。地下に大きなシアターや教会、ディナースペースまである。
少し待って映画を見る。ノールカップの一年を描いた作品。やはり映像で見てもノールカップの景色は綺麗だ。しかし、それよりももっと素晴らしい景色を今日走りながら見ているのだと考えるとなかなか感慨深い。
映画を見終え、岬にもう一度立って別れを告げた後はクルマでホニングスヴォーグの街に戻る。途中、先ほどの撮影隊とすれ違ったりとなにかと面白い。



ギアをフルに使って少しハイペースで走るとこの道が素晴らしいドライビングロードだということがよく分かる。すぐに宿についてしまったのが惜しいくらいだ。

宿に着き、チェックイン。部屋が空いているらしく、厚意で一人部屋にしてもらう。ノルウェーの人はフィンランドの人にも増して、親切だ。どちらかと言うと直接的な感じで。

荷物をおいた後ちょっとだけホニングスヴォーグの街を見に出かけた。





世界最北の都市と言われるその町は、なんだか、どこか日本の三陸の港町のようにも感じられるようなスケール感で、とてもこじんまりとしている。しかしながら、スーパーもあれば銀行もあり、飛行場までもが近くにある。もちろんノールカップ観光の玄関口の一つとしての側面はあるだろうからの充実した都市インフラなんだろうけど、そのインフラがこうした小さな町の活力に与えている影響はきっととても大きなものなんだろうと思ってしまう。

宿に戻って荷物をおいて一段落した後。コモンスペースに行くと、日本から来たという青年が。
よく考えて見れば数日間まったく日本人と会わなかったなと思い、先ほどのアンケートを渡された際の店員さんの言葉の意味を実感する。
彼は名古屋のある大学の医学生らしく、翌日アルタまで行こうと考えているがバスの便がよくなく、困っているとの事だった。幸い自分もアルタに行きたかったので、少しだけ一緒に旅をすることにした。