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2013年6月2日日曜日

雲南旅行記 Day6 大理 喜洲

ちまちま書きためて、ゴールを目指すことを目標に、久々の更新。


この日は喜洲へ向かう。
朝クルーズ付きのツアーをユースのカウンターで勧められるが自由にぶらぶらあるくことができないので自力で向かうことに。
出発前に腹ごしらえ。福建料理の汚いお店でしたが、味はしっかり。賭けには勝った!



バスに西門から乗る。正確には西門から少し離れた駐車場から。「喜洲」と書いてあるボードをダッシュボードに乗せているので、それに上手く乗り込めば多分大丈夫。古くはないが、汚く使い込まれた良い感じの中国バス。走りだすと最初はやたらゆっくりでコレで喜州までたどり着けるのかと心配ではあったが、市街を抜ければ猛スピードで田んぼやトウモロコシ畑の中を突っ切る幹線道路を突っ走る。




時折洱海からの灌漑水路とクロスしながら走る。見える畑の作物があまり良い感じの生育でなかったのが気になる。バスの車掌をやっている白族風のおばさんに入場料を安く買ってもらい、喜州の観光施設の中へ。いきなり付きっきりのガイドさんにハンドオフされて、そのままいそいそとショーへ。ショーはクオリティこそアットホームだけど、民族衣装に民族歌唱もありの盛り沢山な雰囲気。



やったら美声なんですよこれが。



その腹に文字通り茶を噴きそうになること数回。


その実、お茶の販売ショーではあるんだけどね。
そして、ショーが終わればそのままお茶屋さんへ。中国では実にお決まりな流れである。お茶屋さんではプーアル茶やローズヒップ、药茶など幾つかのお茶を試し飲む。まあ値段もそこそこなのでちょっとだけおみやげを買って帰る。ここで、お茶屋さんに同行者が「特に韓国人っぽい」と言われる。
お茶屋さんを出るともうガイドさんは居ない。さすがである。合理的。




観光施設の中をめぐると藍染や大理石や乾物屋さんなどの地元の伝統的な商品を扱うお店が多い。そうか、ここはそういうための場所だったのか。でもなんだか緩い。冷やかしもそこそこに観光施設を出る。


せっかくなので喜州の中をぶらつくことにしようということに。特にあてもなく、街を歩く。ちょうど中学校の休み時間の終わりと重なっていたこともあって、中学生がどっと自転車で街を走り抜けていく。こうしてみるとどこもある意味ではそんなに変わらないなあ。






シクロのような、ロードのような感じのドロハンバイクが男子生徒には人気な模様。

街のお店のラインナップは文具屋さんやスポーツ用品といった学校の近くらしいお店や、家電屋、携帯屋、太陽熱温水器点、油屋、街の鉄工所といった具合に様々。面白い。こうして見ると、結構中国には手に職を持って生きている職人が多いのかもしれない。日本の高度経済成長期とかもそうだったのかなとすこし思いを馳せる。



道が悪い。


パソコンが普及して、すっかり都市部では見なくなった网吧(ネカフェ)もここでは健在。ネトゲにハマっているような若者が中にたくさんいた。


その後も町をぶらぶら。いろいろなものを見ながら昔の名家の屋敷に着く。とても贅沢な雰囲気とは裏腹の結構コンパクトなスケール感。当時から塀が張り巡らされた喜洲の町ならではのスケール感なのかもしれない。


洒落た中庭。


不思議な開口と、面白い二階の回廊構成を持つお屋敷。梁や天井にも細工がなされていたり、この他にも西洋風の建物があったりと、なかなかに贅を尽くした館なのであった。


喜州の四方街。その名前がついている通り、旧市街の中心部の広場。今回の雲南旅行ではまだ都市の旧市街がしっかりと残された都市をたくさんめぐることができた。中国の古い都市の設計思想の根本にある四方街の考え方は個人的にはとても好きなものの一つ。

軸線がスパッと抜けるようなシステマティックに作られている都市では体験できない、迷いながら徐々にその都市の地理を身体に溶け込ませていく感覚をそんな都市では得ることができる気がする。そして、迷いながら四方街に出た時に頭のなかの地図と都市の地図の整合作業が一つ完了し、その次の地図のすり合わせの旅がまた四方街から始まる。そんな気がするのである。



壁に藍染をかければそこは即売場に。



そうこうしながらバスのりばへ戻る。同行者はお腹がすいたというので懲りずに粑粑(小麦をパンケーキみたいに焼いたもの。)に挑戦。


ピーナッツで失敗をした前回の教訓を元に今度はしょっぱい系で。ネギとお肉の乗ったふっくらしたのを持って帰ってきた。
味も美味しいらしく満足だった模様。


こんな感じのバスでした。


バスは喜洲へ戻る。とりあえず歩いてホステルへ。

夕食までは少し時間があるので色々と歩きまわって見ることに。城壁にのぼったりしながら時間を潰す。近くの温度計を見るとなんと10度台全然そんな寒く感じていなかったのに。。。


大きな裾野の蒼山に張り付くように広がる大理旧市街の街なみ。城壁内一番古い市街地の外はそれなりに普通の建築物が立ち並ぶ。区画の作り方とかは城壁内のルールを結構踏襲しているようにも思える。



城壁の上では塔をスケッチする青年が。雲を頂く蒼山と、大きく横たわる洱海。確かにここは描きたくなるような町、大理である。

ご飯を食べにユースの近くの通りまで戻る。イスラム系(多分ウイグルとか)の人がやっている料理屋さんに入って炒飯と炒め物を食べる。とても美味しかった。

宿に帰ってビールを開け、プリペイド枠に余っている通話をするべく少しだけ日本と話したりしながら夜はふける。



おまけ


レンガを利用したなんともいい加減な輪止め。1枚の斜面上の大理の旧市街地ならではの後継かもしれない。ちなみに、このすぐそばでは家の増築工事が行われていて、大量のレンガがその現場に積み上げられていた。どう考えてもそこから失敬してきていることは明白。



多くの人が犬を飼っていた麗江とは対照的に、ここでは猫も結構飼われている印象。
子猫のかわいさはどこでも変わらずすごいものがあるのですね。





2013年3月8日金曜日

雲南旅行記 Day5 麗江-大理


夕方に麗江を発つため、黒龍譚公園を歩いて訪れる。
朝の公園は良いものだ。


市松模様好きにはたまらない。

人が少ない時間帯を狙ってか、結婚写真を公園内で撮っているカップルが多数。結構本格的なカメラマンがついて、ライティングアシスタントを引き連れて写真を撮っている。なかなか見ているだけでおもしろい。


貸し衣装とレタッチ用のPCが置いてあるブースがいたるところに置いてあることからも、そういう用意周到な人々以外にも結構ここで写真を撮りたがる人が多いのかもしれない。それにしても便利な時代である。





公園をめぐり終わって、麗江初日に入ったお店に入る。ここのお店の料理は本当においしかった。
写真の豚肉とにんにくとネギとしょうがと唐辛子を炒めただけの料理が今回の中国旅行で一番美味しかった一皿だった。帰国後に何度となく再現しようと調理をしているけれども、、、なかなか難しい。



お腹をふくらませた後は駅に向かう。昼過ぎ発の大理行きの列車に乗る。
この中国の駅ならどこにでもかならずある彩度のきつい電光掲示板もなんだか見慣れてきた。
大分早く駅に着いてしまったので、売店で飲み物を買ったりしながら時間を潰す。



中国の汽車旅といえば、どこからともなく漂ってくる方便面(カップ麺)の匂いであろう。車端にある高温のお湯で満たされた大型ポットから、各自持ち寄った方便面にお湯を注ぐ。高校の時に初めて中国の夜行列車に乗ったときは、密閉空間でカップ麺を食べていることにとても驚いたけれども、今となっては特に不思議にも思わず、むしろ寝台車両にはカップ麺が欠かせないとすら感じてしまっているのだから慣れは恐ろしい。
昼にたらふく食べたはずなのに、しっかりとおやつを食べてしまった。

となりのコンパートメントにいた大人数の家族連れのお父さんがスマホで小さな双子の写真をひたすら撮っているのが面白かった。そして、めっちゃ甘々だったお父さんがそのスマホに電話が来るなりさっと仕事の表情に切り替わったのもとてもコミカルであった。どこでも小さい子のいる家族は見ていて飽きない。
近くに座ったおじさんが少しだけ日本語がわかるようで、ちょっとだけ日本語絡みの話で盛り上がった。中国を旅行していると程度の差異はあれどわりと日本語が分かる人が多いのが興味深い。


洱海が見えてくるともうすぐ大理に着くことを知らせる放送が流れる。夜行ではあまり当たらない古い車輌はこうやって写真に撮ると画になる。

大理に着く。駅前は例に漏れずタクシーの客引きが激しい。それをかき分けて、古城行きのバスのりばと思しきところへ向かう。タクシーの運ちゃんも英語で話しかけてきたり、しきりに時間の早さをアピールしてきたりするが、ここはやはりバスで。

そんなに大きな都市ではないはずなのに、バスは結構綺麗。街並みも麗江とは打って変わってそれなりに都会らしい。そこからしばらくバスは古城に向かって洱海沿いの道を走る。徐々に市街地が切れると素朴な田舎の風景が広がる。しばらく経ってバスは古城近くへ。距離にして十数キロ。新市街地と旧市街地としてはそれなりに離れている方だとは思う。
そういったまちの構造故か最もプリミティブな市民の足は中国の大都市でよく見られる電動バイクではなく、一時期日本でも話題になったヤマハYBR125とかそこらへんの125ccの小型バイクであることも興味深い。イメージだとそれらのバイクはもう少し田舎で使われているイメージだったのだけれども、ここ大理の場合は二つの市街地を行き来するためには電動バイクでは航続距離が不十分なため都市でも使用されているのではないかとなんとなく推測できる。



大理最初のご飯は店先に野菜やらザリガニやらが並んでいるお店に。
味は結構塩味が強かったため、ビールが良くすすんだ。

ユースホステルのロビーで白酒をちびちび飲みつつ同行者と語らい、夜は更けていった。





2012年10月19日金曜日

雲南旅行記 Day4 麗江

移動の疲れと、山の疲れがどっと出たせいか、雨のせいか、昼前まで部屋でだらだらと過ごす。

今日は束河古鎮へ行く事にした。
古城の入り口からタクシーに乗り、古鎮の入り口まで。15元ぐらいで行ってくれるとのこと。メーターも回ってはいたけれどもメーターよりも安い金額の言い値だった。中国の田舎だとわりとメーターよりも相場を重視してそうな印象。



店先で売っている食べ物。見た目や揚げる音は美味しそうだけど、油の匂いがヤバイ。これは確実にヤバイやつだ。日本人の温室育ちな胃には無理です。






古鎮の中にはお店や宿の他にもチベット寺院があったりと見所は多い。
麗江や束河古鎮自体が茶馬古道のルート上にあり、チベットとの交易ルートとして栄えた歴史もあってか、ところどころにチベットとのつながりを示すものが多い。



犬が多いのも非常によい。どの犬も人懐っこく、いたるところで好き勝手に昼寝をしているのがとてもかわいい。




古鎮の中は結婚写真の格好の撮影スポットとなっているらしく、いたるところに写真屋さんがある。それにしても、この写真のセンス。日本ではない。。。




麗江同様に道という道に水路が張り巡らされていて、時にはこんなかんじに利用されていたり。なんだかカラフルで素敵。




三眼井実用中。

このあと、雲南名物の粑粑を屋台から買って食べた。甘いのかしょっぱいのかと聞かれて甘いのを頼んだらピーナッツ系の味のものが来た。想像してたふわふわな感じのものとは違いマッシブなデニッシュのような感じ。決して美味しくないわけではないのだけれど、ちょっと量が多すぎる、そして、クドすぎた。。。




中は結構お店が多く密度が高いようにも感じられた古鎮も、端まで来ると大分のどかな感じになってくる。建物と建物の間の路地や、道、などからこの外れのまちなみが比較的昔の姿をそのままとどめているのではないかと思わせる。




外れの路地を一歩入れば少し寂れてどこか贅沢な宿が連なる風景が。

そんなこんなでひと通り古鎮の中をぶらついたので古城へ戻ることに。
タクシーを捕まえようとしたら一緒に古城に戻るという女の人がいたのでシェアをすることに。
深センから来たこと、彼女もまた僕らと同じく明日大里に向かうということ、上司が日本人なのでちょっとだけ日本語が分かるということなどを話した。
古城前にタクシーで着き、その人と話しながら古城のゲートに向かっていたら、昨日玉龍雪山であった女の子たち数人とばったり。「友達?」「いや、タクシーに一緒に乗った人!」程度の会話しかしなかったけど、奇遇なものだ。小さい町とはいえ、外国人だから目立ちやすいとはいえ、ピンポイントで会うとは。


古城内に戻り、散歩をする。

古城内はクルマは基本入れない。なので、どのようにインフラを回しているのか疑問だったが、散歩の途中に幾つか面白いものを見た。



一つはゴミ収集車。なるほど、これ一台ならぎりぎり走れる通りが多そうだ。いろんなゴミをいちいち分類なんかせずに一気に突っ込んでく感じがわりとワイルド。



もう一つが消防署。小型のトラックサイズの消防車と、バギータイプの消防車が数台。水路が街中に張り巡らされているのでポンプを積んだバギー程度の消防車でもきっと十分なんだろうなとおもわれる。


休憩に入ったillyのコーヒーショップの値段がわりと(かなり)高かった。わりと外資系は容赦しない値段設定を付けてくるし、それに平然と入るお金持ちも多いのも今の中国らしいところか。




歩いて古城の縁の山を登ると景色の良いポイントが。おみやげ屋特製の展望台も盛況。




瓦の海とも表現される麗江。なかなか独特の景観。




立体的に瓦屋根が連なっていく間を抜けていく通路。尾道とかが好きな人にはたまらないのではないかと思う。




夕食を食べても満ち足りないお腹は屋台で満たそう!ということで夜の屋台が集まっているエリアに。いろんな料理ができたてで食べられるここは、屋台にありがちな不衛生な感じもないしとても良かった。

そんなこんなで4日目の夜も更けていった。
ゆったりと過ごすはずがたくさん歩いた一日だった。

2012年9月29日土曜日

雲南旅行記 day3 麗江一日目

まだ薄暗い中夜行列車は麗江に近づく。車窓からは薄くもやのかかった山々が見える。



同席の大学生たちにお別れをした後駅に降り立つ。できたばかりの駅はいかにも中国の新しい駅といった風情。どうやら麗江に至る鉄路も2009年にできたばかりのものなのだとか。




麗江は駅が市街と離れているのでタクシーで中心まで向かう。駅から市街まではのどかな風景が広がる。確かに田舎の小さな都市に来ているのだという実感が湧いてくる。

タクシーの車窓からは山の輪郭が綺麗に見える。




古城(中国の旧市街地はこう呼ばれることが多いそうだ)の入り口でタクシーを降り、本日の宿であるユースへ向かう。ユースも古城のに溶け込んだ造り。
チェックインをしようとしたら二人用部屋がいっぱいのようなのでしばらくロビーで待つ。




しばらくのゴタゴタの後(前に泊まっていた香港の若者が宿泊料でゴネてたり、ツアーに参加しないかと熱心に勧誘されたり)街に歩き出す。朝のもやのかかった景色とはまた別の鮮やかな色味の麗江古城がそこにはあった。

この日は玉龍雪山に向かおうということでガイドブックにあった「7路」バスに乗るために新市街地のバスターミナルまで歩く。「7路」の大きな看板と、行き先表示板を掲げたバンが止まっているのを見つけ、話を聞けば「玉龍雪山までは15元だが、満員に為らないと発車しない。急ぎなら包车(チャーター)をしてくれ」と言われた。数分待っても人が来ないので包车することに。。。

ちなみにその日の夜に先にあった人民広場まで歩いたところ中型バスのたくさん停まっている駐車場が。。。。そして、そこにも朝見た「7路」の同じ看板が。。。大きなバスのほうが本物で、僕らが最初に見つけたのは完全に偽バスでした。。。しかし、全く同じデザインの看板を用意するとは何事か。。。

してやられたことも知らず包车した中国製の越野车(野を超えゆく車→オフロードカー)で玉龍雪山へ向かう。ドライバーは途中止まって酸素ボンベのお店で酸素ボンベを買わせたりとまあ手馴れている。



何もないただただ雄大な景色の中を走っていく。ドライバー曰く「日本の車いいよね。欲しい」とのこと。僕らの中国語の発音があまり良くないこともあり、そんな簡単なやり取り以外の確実性の求められるやり取りはすべて筆談で行おうとするドライバー。ちゃんとしっかり説明してくれたりするのは非常にありがたいが、まあ、マメな人である。



一時間ぐらい走って入り口まで着き、そこからエリア内バスでロープウェイ乗り場まで行く。
ロープウェイに乗ると一気に海抜4506mの世界へ。



あいにく曇っていてなにも見えませんでしたが、空気が薄い!寒い!
せっかくなので遊歩道の端っこまで歩いて行く事にする。

途中ハルビンから来た女の子たちに絡まれ、一緒にワイワイと登る事に。
ものすごい勢いではしゃいで、苦しくなったらボンベを吸うといったパワフルっぷりには脱帽。



登った先は海抜4680m。登っただけで息が切れる。酸素ボンベ缶一つで登っていい高さではないですよ。。。





ガスが晴れてきて、少しずつ山体が見える様になった。目の前には氷河が広がる。話によると北半球で最も南にある氷河なのだとか。そして、こんな高さまでロープウェイが来ているにもかかわらず、法律で禁じられているため玉龍雪山の最高峰は未だ未踏峰なのだとか。とても不思議な山である。





山から降り、バスに乗ると次は青い湖に降ろされる。玉龍雪山から流れて来た水で青くなっているんだとか。



中国では花嫁写真の撮影が盛ん。風光明媚な場所だと必ずと言っていいほどドレスを着た女の人と、カメラを持った撮影隊が歩いている。
ドレスの下がジーンズとスニーカーなのはさすが中国。




景色を存分に堪能した後、ドライバーのお兄さんに電話をして迎えに来てもらう。景色の良い所で車を止めてもらったりしながらゆっくりと古城へ戻る。聞けば15年も運転手をしているそうだ。いい人だった。思えば結構わがままも聞いてもらったし、包车も悪くなかったかも。




古城に戻り、散歩する。建物が密集し、いたるところに水路が流れている。茶馬古道の中で発展した麗江の街は文化的に豊かな雰囲気を持っていた。




新市街のお店で夕食を食べた後、古城を散歩する。夜も昼に負けず劣らず人であふれている麗江の街。




いろいろなバーやカフェで行われているライブの音が街中のいたるところから聴こえてくる。水路では灯籠のようなものを流したりしている人の姿も多く見られた。




広場に行けば中国の夜の広場でよく見られるゲリラダンスが。
麗江は中国らしいところと、中国にはなかなかない洗練が見られた不思議な街だ。

3日目終わり。