今年も残すことあと僅かということで、すこしだけ。
今年は、何かと欲張った一年だった気がします。初めてやったこと、行った所も多かった一方、念願となっていた久々の再会を沢山果たせた、そんな感じの一年間でした。
3月の半ばに来年からの進路が決まって、急に将来が迫ってくるような感覚を覚えたせいもあるかも知れませんが、常に残弾を使い切るつもりで楽しむ事ができたと自分では思っています。
その、欲張りすぎた故に自分が自分のキャパシティの使い切る事があまり上手でないことなども強く感じることとなりました。
まずは研究、そして、4月からの新生活をしっかりとこなしていくことが来年のミニマムサクセスとなります。
今年も様々なことでお世話になりました。また、来年からもどうかよろしくお願いいたします。
楽しく、実り多い一年になりますように。
思い出深い初上陸
・キーウエスト
・長崎県
他
思い出深い初挑戦
・棚田で田植え
・自転車レース
他
得たスキル
・技術士補登録資格
・ホタテ焼き
他
ベスト買い物
・ダッチオーブン
・クロームキャスト
他
2014年8月19日火曜日
サロマ湖畔ユースを思う
先日北海道に行った際に、宿泊したサロマ湖畔ユースホステル。
まさに道東といった具合の自然に囲まれた湖畔に、ぽつんと佇むユースホステル。
大してまじめに建築をやってこなかった鈍い自分ではあるが、宿泊をすることでその建築をじっくり摂取して、その味わいを知ることは最も心に残る接し方の一つだと常々感じている。
今回はちゃんと調べることなく訪問をしてしまったが、この建物は遠藤新とならぶライトの弟子、田上義也氏の作品とのこと。ライト風だとは思っていたけど、そのような由緒正しき建築だったとは。
夜が明けて、他の宿泊客が出て行った後にすこし館内を探検すると、実にユースホステルに対しての愛情に満ちた建築だと感じた。
エントランスの目の前にある階段は入り口から左右に男女を振り分け、そのそれぞれの踊場にはいかにもライト的なあつらえものの小さな机を持った談話室が。男女ゾーンの廊下を隔てるのは壁ではなくガラスで、秩序と開放感を重視したユースホステルの古き良き健全さを余すことなく表現しているようにも思えた。
食堂や一回の談話室もユースらしさのなかに、そのスタンダードを越えた華美でない贅沢さを感じた。
帰ってから調べて初めて知ったのだけれども、田上義也氏は北海道でのユースホステル建築の大家でもあったらしい。この他にも幾つものユースホステルを設計しており、その一部は現存しているとのこと。
以前宿泊した美幌ユースホステルも彼の設計だったようだ。
山留めが上手く行っていないらしく、基礎のメンテが大変であるというペアレントの談。汽水湖であるサロマ湖の湖畔にあって、細かなところの痛みもひどいらしい。
明日館講堂にも似て、塔のルーバーが破損していたり、やはりライト風建築の風化の仕方は似てしまうのかも知れない。
ただでさえ北海道のメジャーな観光ルートからは外れ、人の少ないサロマにあって、この凝った建築のメンテナンスを考えると大赤字の経営のようで、近い将来取り壊しを検討しているとのことだった。
明るく、気立ての良いペアレントの口から語られる言葉は何処か寂しげで、残酷でもあった。
2004年の夏に宿泊した美幌ユースも去年の春に閉館してしまったようだし、この建築もまた一般の人がその生きている姿に触れることのできる最後の時期を迎えてしまっているのかもしれない。
昔、彼の地に走っていた鉄道もとうに絶え、そもそも旅行のあり方が変わってきている時代にあって、それまでの社会的な意義を終えようとしている一つのあたたかな建築をいと惜しくおもう。
まさに道東といった具合の自然に囲まれた湖畔に、ぽつんと佇むユースホステル。
大してまじめに建築をやってこなかった鈍い自分ではあるが、宿泊をすることでその建築をじっくり摂取して、その味わいを知ることは最も心に残る接し方の一つだと常々感じている。
今回はちゃんと調べることなく訪問をしてしまったが、この建物は遠藤新とならぶライトの弟子、田上義也氏の作品とのこと。ライト風だとは思っていたけど、そのような由緒正しき建築だったとは。
夜が明けて、他の宿泊客が出て行った後にすこし館内を探検すると、実にユースホステルに対しての愛情に満ちた建築だと感じた。
エントランスの目の前にある階段は入り口から左右に男女を振り分け、そのそれぞれの踊場にはいかにもライト的なあつらえものの小さな机を持った談話室が。男女ゾーンの廊下を隔てるのは壁ではなくガラスで、秩序と開放感を重視したユースホステルの古き良き健全さを余すことなく表現しているようにも思えた。
食堂や一回の談話室もユースらしさのなかに、そのスタンダードを越えた華美でない贅沢さを感じた。
帰ってから調べて初めて知ったのだけれども、田上義也氏は北海道でのユースホステル建築の大家でもあったらしい。この他にも幾つものユースホステルを設計しており、その一部は現存しているとのこと。
以前宿泊した美幌ユースホステルも彼の設計だったようだ。
山留めが上手く行っていないらしく、基礎のメンテが大変であるというペアレントの談。汽水湖であるサロマ湖の湖畔にあって、細かなところの痛みもひどいらしい。
明日館講堂にも似て、塔のルーバーが破損していたり、やはりライト風建築の風化の仕方は似てしまうのかも知れない。
ただでさえ北海道のメジャーな観光ルートからは外れ、人の少ないサロマにあって、この凝った建築のメンテナンスを考えると大赤字の経営のようで、近い将来取り壊しを検討しているとのことだった。
明るく、気立ての良いペアレントの口から語られる言葉は何処か寂しげで、残酷でもあった。
2004年の夏に宿泊した美幌ユースも去年の春に閉館してしまったようだし、この建築もまた一般の人がその生きている姿に触れることのできる最後の時期を迎えてしまっているのかもしれない。
昔、彼の地に走っていた鉄道もとうに絶え、そもそも旅行のあり方が変わってきている時代にあって、それまでの社会的な意義を終えようとしている一つのあたたかな建築をいと惜しくおもう。
2014年8月7日木曜日
Lapland Skyline Day3
今日は昨日ホステルで仲良くなった青年と一緒に朝食。このノールカップユースは食事が豪華だ。マリネやパンですっかりお腹いっぱいに食べる。
部屋の件も色々ととりはからってもらったし、なかなかにアタリのホステルな気がする。
出発の準備を整え、今日の旅の友に声をかけて出発。今日は一緒にアルタまで行くのだ。
朝のE69は本当に交通量が少ない。そもそも、昨日夜も道路の音は殆ど聞こえなかったし、この時期はオフシーズンなのかもしれない。彼といろんなことを話しながらクルマを進める。1人旅の良さは何にも代えがたいが、たまには誰かと一緒もいい。途中何度もクルマを止めながら進んでいく。
彼はミスチルが好きらしい。
途中フィヨルドの海岸に立ち寄る。フィヨルド全体の水はその岩の地面を流れて最後に海岸にたどり着く。海への道の最後は海岸の小石の間からにじみだした短い川になって地上を走る。長さにしてわずかに数百メートルの旅ながら、ドラマチック。
途中道を間違えてハンメルフェストの手前まで行ってしまいそうだったが、途中で引き返し、アルタへ再び向かう。ハンメルフェストにも憧れがあったので、行ってみても楽しかったのだろうけど。
途中燃料が足りなくなって、警告灯を点けてしまうが、それでもなんとかしながらアルタに。給油を終えた後、彼に昼食を御馳走になる。いやあ悪いですね。その後は一緒にアルタの石絵を見にいく。とてもすごい。こんなに昔の人々が残した記録が今もこうして屋外にある石に残っているというのがなんとも衝撃的だった。
北極海ともここでお別れ。
彼を宿でおろして、1人で一路エノンテキオを目指す。今日はどこか太陽が夕暮れ時の表情をしている。
カウトケイノの街までは渓谷から丘陵まで非常に変化に飛んだいいドライビングロードだ。狭いし、流れも速いし、シフトチェンジも頻繁なのでなんども景色を撮るために足を止めながら,
息つく暇もないエキサイティングな道を走る。
岩の壁のノルウェーフィヨルドの谷。泥で出来たノルウェーの丘陵部。そして、石と森で作られたラップランド。そのどれも雄大で、本当に飽きない。
カウトケイノの町はとても小さく、川沿いにこぢんまりとした教会があるのが目立つ。心が癒やされる。
ラップランドはまだ8月の終わりなのにどこか秋の足音が聞こえるような、そんな淋しげな雰囲気にも満ちていた。クルマを止め、道を離れれば色鮮やかながら穏やかな景色が広がる。
夕日の中国境を越え、エノンテキオの街につく。ここは宿が多く、どちらかと言うとラップランド観光の基地となっているようだ。遊歩道や町に張り巡らされたトレイルのつくりをみて、ここがフィンランドなのだと実感する。
ノルウェーはとても美しいけど、やはり僕はフィンランドが好きなのだとよく分かる。
宿について、車を停めると、ここ毎日最低でも400kmずつ、今日一日で500km弱走ったとは思えないくらいにまだまだ走りたいと感じている自分がいた。
1Lマニュアル、リアウィンドウも開かない極めて簡素で健気な旅の相棒とこれほどまでに仲良くなれるとは思ってもいなかった。
宿に着き、部屋に入るとどうやら清掃が行われていなかったようだ。フロントに清掃を頼みに行ったら、すぐに対応してもらえた。サウナに入って体を温め、フロントで飲み物を買おうとしたらお代はいいと言われる。こちらこそもしわけない!ということで、フィンランドに敬意を評してヤッファを飲む。砂糖とライムのクラシカルな味わい。この垢抜けない感じがなんともいい。
Wi-Fiが通じるロビーでPCを開いていたら、団体さんと話すことに。この人達はなんと一週間で130kmの距離を歩くラップランドツアー「Lapland Classic」の参加者なんだとか。聞けば、毎年開かれているツアーらしく、世界中から多様な参加者が集まって、ひたすら歩くというものらしい。
それはすごい。結構年配の方ばかりに見えるのに。色々と話して仲良くなる。その団体のうちフランスから来たご夫妻は息子さんの奥さんが日本人なのだとのこと。すこし色あせた結婚式の時の写真をずっと大事に持ち歩いているようで、とてもあたたかい気分になった。
色々と話して親交を深めているうちに夜はふける。
部屋の件も色々ととりはからってもらったし、なかなかにアタリのホステルな気がする。
出発の準備を整え、今日の旅の友に声をかけて出発。今日は一緒にアルタまで行くのだ。
朝のE69は本当に交通量が少ない。そもそも、昨日夜も道路の音は殆ど聞こえなかったし、この時期はオフシーズンなのかもしれない。彼といろんなことを話しながらクルマを進める。1人旅の良さは何にも代えがたいが、たまには誰かと一緒もいい。途中何度もクルマを止めながら進んでいく。
彼はミスチルが好きらしい。
途中フィヨルドの海岸に立ち寄る。フィヨルド全体の水はその岩の地面を流れて最後に海岸にたどり着く。海への道の最後は海岸の小石の間からにじみだした短い川になって地上を走る。長さにしてわずかに数百メートルの旅ながら、ドラマチック。
途中道を間違えてハンメルフェストの手前まで行ってしまいそうだったが、途中で引き返し、アルタへ再び向かう。ハンメルフェストにも憧れがあったので、行ってみても楽しかったのだろうけど。
途中燃料が足りなくなって、警告灯を点けてしまうが、それでもなんとかしながらアルタに。給油を終えた後、彼に昼食を御馳走になる。いやあ悪いですね。その後は一緒にアルタの石絵を見にいく。とてもすごい。こんなに昔の人々が残した記録が今もこうして屋外にある石に残っているというのがなんとも衝撃的だった。
北極海ともここでお別れ。
彼を宿でおろして、1人で一路エノンテキオを目指す。今日はどこか太陽が夕暮れ時の表情をしている。
カウトケイノの街までは渓谷から丘陵まで非常に変化に飛んだいいドライビングロードだ。狭いし、流れも速いし、シフトチェンジも頻繁なのでなんども景色を撮るために足を止めながら,
息つく暇もないエキサイティングな道を走る。
岩の壁のノルウェーフィヨルドの谷。泥で出来たノルウェーの丘陵部。そして、石と森で作られたラップランド。そのどれも雄大で、本当に飽きない。
カウトケイノの町はとても小さく、川沿いにこぢんまりとした教会があるのが目立つ。心が癒やされる。
ラップランドはまだ8月の終わりなのにどこか秋の足音が聞こえるような、そんな淋しげな雰囲気にも満ちていた。クルマを止め、道を離れれば色鮮やかながら穏やかな景色が広がる。
夕日の中国境を越え、エノンテキオの街につく。ここは宿が多く、どちらかと言うとラップランド観光の基地となっているようだ。遊歩道や町に張り巡らされたトレイルのつくりをみて、ここがフィンランドなのだと実感する。
ノルウェーはとても美しいけど、やはり僕はフィンランドが好きなのだとよく分かる。
宿について、車を停めると、ここ毎日最低でも400kmずつ、今日一日で500km弱走ったとは思えないくらいにまだまだ走りたいと感じている自分がいた。
1Lマニュアル、リアウィンドウも開かない極めて簡素で健気な旅の相棒とこれほどまでに仲良くなれるとは思ってもいなかった。
宿に着き、部屋に入るとどうやら清掃が行われていなかったようだ。フロントに清掃を頼みに行ったら、すぐに対応してもらえた。サウナに入って体を温め、フロントで飲み物を買おうとしたらお代はいいと言われる。こちらこそもしわけない!ということで、フィンランドに敬意を評してヤッファを飲む。砂糖とライムのクラシカルな味わい。この垢抜けない感じがなんともいい。
Wi-Fiが通じるロビーでPCを開いていたら、団体さんと話すことに。この人達はなんと一週間で130kmの距離を歩くラップランドツアー「Lapland Classic」の参加者なんだとか。聞けば、毎年開かれているツアーらしく、世界中から多様な参加者が集まって、ひたすら歩くというものらしい。
それはすごい。結構年配の方ばかりに見えるのに。色々と話して仲良くなる。その団体のうちフランスから来たご夫妻は息子さんの奥さんが日本人なのだとのこと。すこし色あせた結婚式の時の写真をずっと大事に持ち歩いているようで、とてもあたたかい気分になった。
色々と話して親交を深めているうちに夜はふける。
2014年7月20日日曜日
今更ながらチョイモビ
今更ながら、横浜市と日産が共同でやっているモビリティ社会実験「チョイモビ」を使うことにしました。
以下雑感垂れ流し。
料金に関しては、一分単位の時間制ということもあり、渋滞を避けたルート選択をしっかりできるユーザーならば相当お得に使えるのではないかと思う。二人乗ることもできると考えれば、20円/分の料金設定は、タクシーやバスに対しても競争力があるかも知れないとも。
今回実際に使って感じたことは、小型モビリティの可能性と物足りなさであり、今後の法改正などを受けて普通車のコンパクトカーや軽自動車のカーシェアが2地点間での移動を可能にされたときに、あえて今回のような小型モビリティを都市内カーシェアに使う意義が見出しにくいということでもある。それは、小型モビリティにメリットがないということでは決してなく、現状では危険の多い都市内の自動車交通の中にその小型モビリティを混ぜて走らせることのデメリットの方が大きくなってしまっているということのようにも感じられた。
安全補助技術の普及やドライバーのマナーとスキルの向上の果てには小型モビリティを使用したカーシェアが真価を発揮する時が来るかも知れないけれど、現状ではリーフなどの「乗用車」然とした車両をシステムの核にしたほうが結果としてユーザへの敷居を下げて、システムとしての浸透を図れるのではないかという考えも浮かんだ。
以下雑感垂れ流し。
この実験はヨーロッパなどで始まっているEVカーシェアの流れを日本でもということで、横浜市と日産が共同で横浜市内限定のサービスを行っているというもの。
何が新しいかというと、登録さえすればEVを身近にだれでも使えるという点、そして日本では法律上認められていないレンタカー無人店舗での乗り捨てをできるような制度を実験としてに用意することで、2地点間の移動にカーシェアリングを利用できるようなシステムになっている点であろうか。
たしかに現状の日本でのカーシェアは、自宅や仕事場の近隣の駐車場から、自家用車のちょい乗り用途を代替することはできても、都市内全体で自動車を共有するということはできていない。そもそも、自動車を不特定多数のユーザーがフレキシブルに共有する社会を法律が想定できていなかったというだけで、法規や駐車場オペレーションさえ改善する事ができれば、現在大規模にサービスを展開しているカーシェアリング業者も同様のサービスができるのかもしれない。
今回の実験で使用している車両は、ルノーがヨーロッパですでに発売しているTwizyというEVのバッジエンジニアリング版の車両「NISSAN New Mobility CONCEPT」というもの。基本的にはルノーの製品を最低限日本で運用できるように改造しているものなので、ウインカーとワイパーのレバーはISO準拠の位置である。
ヨーロッパではサブAセグメント車として、いわば日本で言う「ミニカー」に近い法的位置づけのクルマではあるが、今回の実験では登録上は軽自動車(ただし、特例措置によって高速道路や自動車専用道の走行は認められていない)という位置づけになっており、そこもヨーロッパの規格に準拠した車両をそのまま日本に持ってきたことに対する苦悩を感じられる。
足回りは見た感じ前後ともストラットで、カウルからアームが張り出した様子はスポーツカーのような勇ましさ。
クレジットカードと免許証さえあればだれでも登録ができ、登録完了後の講習会を受講さえすればすぐさまチョイモビユーザーになれるという手軽なシステムになっている。
インターネットやスマートフォンアプリ経由で近隣の車両と、返却場所を選択し、その手続から30分以内にその車両にキーである会員カードをかざすと乗車ができるという仕組みになっている。
実際にカードが発給されたその日に、講習会を受けた日産本社から相鉄沿いまで試しに乗ってみようと考えた。まずアプリを使って近隣の空き車両を見つけることはすぐに出来たものの、残念ながらなかなか都合のいい返却場所が見当たらない。おそらく車両の台数より少し多い程度の駐車場しかチョイモビのステーションとして提供されていないのだろう。利用率が向上すれば状況は幾分か改善されるのかもしれないけれど、都市内をフレキシブルに移動するための手段にするにはまず車両の数よりもステーションのバッファー量を大幅に増やす必要があるのではないかと感じた。
また、今回のステーションが殆ど市街中心部に集中していることも若干の物足りなさを感じた。斜面住宅地や、鉄道空白地帯の多い横浜の住宅地の特性上、本来こういった簡易的なモビリティはそれらのエリアの足を補完する意味合いを持たせることでより存在意義が強まるようにも感じられる。その点、山手の丘の上や、三渓園にステーションを設けていることはそれらの意味合いを持ったユースに対してのデータを集める目的が大きいのかもしれない。
車両に乗って完全な主観から感じたものは、独特な面白さと、その一方での安全性への不安であろうか。
これまで乗ったことのあるEVやHVとは異なり、出足を意図的に遅くしてあるというのは非常に面白い。スタートはスロットルべた踏み程度で他の一般車の流れに乗るのにちょうどいい一方、30km/hからの加速はいかにもEVらしいトルクに満ちた真っ直ぐなものなので、スロットル開度を頻繁に変えながらの運転となる。窓のないオープンエアということもあり、モーターの音も普段聞き慣れた国産のHVやEVの音とは異なり、粗野で大きく感じられ、スロットルを頻繁に開け閉めすると聞こえてくる力行と回生の音の変化は、あたかもフォーミュラーE やルマンカーのオンボード映像のよう。スロットルと回生量のグラフが出るのもその気分を助長する。パワステのないことによるハンドルへのゴツゴツした感覚もまたよい。
足回りは硬く、ロールをほとんどしない。しかしながら、優秀なものかというと少し違うようにも感じられ、その硬さはサスペンションのストロークの不足から来るんじゃないかというような感じのもの。停車中にコツコツとフロアを軽く足で叩いただけで、小刻みに車体が反応するような程度のショックアブソーバーの性能。
横浜に多い速度の速い交差点や下り坂のような状況を一般車の流れに乗って走るだけで明確にアンダーステアが出るし、ABS、ESPやトラクションコントロールのような類もなく、そもそもMRに近い駆動方式なので、不慣れなドライバーが下り坂のカーブなど雨天などの悪条件下での操作を間違えればスピンをする可能性は十分にある気がする。
ボディが小さく、四隅は把握しやすいので、路地だろうが駐車だろうが、特に困ることはまずない。
シザードアは駐車の時などに上げっぱなしにして車体の周りを見るにも便利かもしれない。
ボディが小さく、四隅は把握しやすいので、路地だろうが駐車だろうが、特に困ることはまずない。
シザードアは駐車の時などに上げっぱなしにして車体の周りを見るにも便利かもしれない。
安全性に関しては、さっきのダイナミックセーフティもさることながら、やはりほぼオープンな事もあって衝突安全性がまず不安になる。ちなみに、EURO NCAPのテスト映像は以下のとおり。健闘していると捉えるべきか、それとも。
料金に関しては、一分単位の時間制ということもあり、渋滞を避けたルート選択をしっかりできるユーザーならば相当お得に使えるのではないかと思う。二人乗ることもできると考えれば、20円/分の料金設定は、タクシーやバスに対しても競争力があるかも知れないとも。
今回実際に使って感じたことは、小型モビリティの可能性と物足りなさであり、今後の法改正などを受けて普通車のコンパクトカーや軽自動車のカーシェアが2地点間での移動を可能にされたときに、あえて今回のような小型モビリティを都市内カーシェアに使う意義が見出しにくいということでもある。それは、小型モビリティにメリットがないということでは決してなく、現状では危険の多い都市内の自動車交通の中にその小型モビリティを混ぜて走らせることのデメリットの方が大きくなってしまっているということのようにも感じられた。
安全補助技術の普及やドライバーのマナーとスキルの向上の果てには小型モビリティを使用したカーシェアが真価を発揮する時が来るかも知れないけれど、現状ではリーフなどの「乗用車」然とした車両をシステムの核にしたほうが結果としてユーザへの敷居を下げて、システムとしての浸透を図れるのではないかという考えも浮かんだ。
2014年7月17日木曜日
Lapland Skyline Day2
今日はついにノールカップ攻略の日。
この旅の最も大きな目的の一つはヨーロッパ最北端の地であるノールカップに行くことであった。小さい頃から幾度となく本で目にした彼の地の名前は、最果て好きの私の興味を掻き立ててやまなかった。
朝は九時前までゆっくりと睡眠を取り、朝ごはんをいただく。久しぶりにヘルシンキのユーロホステル以外の朝ごはんである。
お宿の人々は親切で、実に暖かく接してくれた。少しお礼を言って出かける。
クルマに乗り、ゆっくりと走っていたら道にトナカイが。昨日もよく見たけど、今日も早速。トナカイの写真を撮った後はノールカップに向けて92号線を走る。
二日目のドライブはシートポジションや北欧流の運転の仕方に慣れてきた事もあって、比較的楽に感じる。センターラインのない広い真っ直ぐな道を制限速度いっぱいで駆け抜ける。C1の乗り方も大分掴めてきた。簡素な足ながら堅く締めてあり、結構高速域でもしっかりとしているので、北欧のスピードにもなんとか対応しているようだ。岩で出来た丘を幾つも越えて、クルマは国境に向かう。クローネも持たず、フィンランドのSIMがローミングをしないように携帯も切り、道路標識を頼りに進む。
国境に到着。当たり前だけど、パスポートチェックなどもない。味気ないけどね。税関の事務所にノールカップへの道を聞いたら、カウンターで話し込んでいたトラッカーのおじちゃんや、職員のひとやらにいた全員に「あっち!」と言われたのがとてもおかしかった。
クルマをカラショクにすすめる。ここでもスーパーの人に少し道を聞いたりして、正しいルートに乗る。ノルウェーの人はみんな優しい。ノルウェーに入り、風景は激変した。
今までは針葉樹の森が広がっていたのに、ノルウェーの景色は氷河が作ったのであろうダイナミックな景色の中にこれまたたくましく木々が生息しているような感じなのである。遥か彼方まで続く道と、大きな山々。ダイナミックだ。
E6とE69の分岐まで来る。ここからは本当にノールカップ街道。
制限速度はノルウェー一般道の標準の90キロのまま。しかしながら道は大分荒れて、狭くなっている。それなりにスリリングかつ気持ちのいいドライビングコースだ。
ちょっと飛ばすと、C1の操縦特性がよく分かる。クイックで、アンダーステアも大きい。遅いけど、シフト、ブレーキとスロットルをコーナーの度にしっかり使って日常域でスポーツしている感覚は本当に楽しい。
途中なんども車を止めてはフィヨルドや海の写真を撮る。途中虹が何度か見えた。その都度律儀に止まっては写真を取ろうとしていたのだけれど、ある一回はホニングスヴォーグに向かうおばさんと一緒に停車した。タバコを吸うおばさんと少しだけ会話を交わし、また二台とも走りだす。ノルウェーの人の運転ペースは速い。ゆっくり走る僕は置いていかれてしまった。
そうこうしているうちにすぐにマーゲロイ島へのトンネルに。話に聞いていた料金所もなく、そのまま通過。どうやら償却が終了し、無料化されたとのこと。さすが北欧、きっちりしている。
それにしても、このトンネル、相当深い。7キロの全長のうち、3キロずつぐらいは急な坂道になっていた。北の硬い岩盤の海底をくりぬいたすごい土木技術にただただ感動する。
マーゲロイトンネルを抜けてしばらく走るとホニングスヴォーグへの分岐と、その直前にあるユースホステル。もうとうとうここまで来たのだ。そのままノールカップへと足を向ける。強風と、霧雨の中ひたすら走る。
途中数分の通行止めに遭遇。何かと思えば映画の撮影らしい。山の向こうから爆音が聞こえる。解除されて進んでみると、ブリフェンの86と、オレンジのM3ほか、アメ車数台が。なんの映画だろう。もしかしたらワイスピ系かもしれない。(当時はこの程度の認識でしたが、どうやらこれはノルウェー版ワイスピのような「Børning」という映画の撮影だったようです。この間ニュースサイトにこの映画の記事が上がっていたらしく、それを発見したときはとてもびっくりしました。)
大絶景の中を進む。時折景色の中に見えるノールカップのドームが興奮を掻き立てる。
そんなこんなでを止めては進みを繰り返し、ついにノールカップに到着をする。
料金所のお姉さんと少し話し、学割で入れてもらえることに。HSSの学生証が通じてうれしい。
ついに着いてしまった。これより北にはもうヨーロッパはないと考えると本当に感慨深い。
ポーランドからきたというスズキとKTM乗りの夫妻に出会い、少し話す。シャンパンを開けていたのがとても楽しそうだった。それにしてもバイクだけどいいのだろうか?
写真を取り、しばらくぼーっとモニュメントの近くにいると、何組かの写真を撮ることになった。
ノールカップの郵便局は専用のスタンプを押してくれるらしく、それを目当てに幾つか手紙を書くためにレストランに入る。
レストランの店員のお兄さんは観光客に関するアンケートを大学から依頼されているらしく、久しぶりのサンプルである日本人に喜んでいたようだ。3から4日に一度しか日本人は来ないのだとか。それは確かに少ない。なんだか嬉しいような、少し淋しいような。
手紙を投函した後は、地下の資料館を散策。地上からでは全くわからないけど、この施設はめちゃめちゃ立派だ。地下に大きなシアターや教会、ディナースペースまである。
少し待って映画を見る。ノールカップの一年を描いた作品。やはり映像で見てもノールカップの景色は綺麗だ。しかし、それよりももっと素晴らしい景色を今日走りながら見ているのだと考えるとなかなか感慨深い。
映画を見終え、岬にもう一度立って別れを告げた後はクルマでホニングスヴォーグの街に戻る。途中、先ほどの撮影隊とすれ違ったりとなにかと面白い。
ギアをフルに使って少しハイペースで走るとこの道が素晴らしいドライビングロードだということがよく分かる。すぐに宿についてしまったのが惜しいくらいだ。
宿に着き、チェックイン。部屋が空いているらしく、厚意で一人部屋にしてもらう。ノルウェーの人はフィンランドの人にも増して、親切だ。どちらかと言うと直接的な感じで。
荷物をおいた後ちょっとだけホニングスヴォーグの街を見に出かけた。
世界最北の都市と言われるその町は、なんだか、どこか日本の三陸の港町のようにも感じられるようなスケール感で、とてもこじんまりとしている。しかしながら、スーパーもあれば銀行もあり、飛行場までもが近くにある。もちろんノールカップ観光の玄関口の一つとしての側面はあるだろうからの充実した都市インフラなんだろうけど、そのインフラがこうした小さな町の活力に与えている影響はきっととても大きなものなんだろうと思ってしまう。
宿に戻って荷物をおいて一段落した後。コモンスペースに行くと、日本から来たという青年が。
よく考えて見れば数日間まったく日本人と会わなかったなと思い、先ほどのアンケートを渡された際の店員さんの言葉の意味を実感する。
彼は名古屋のある大学の医学生らしく、翌日アルタまで行こうと考えているがバスの便がよくなく、困っているとの事だった。幸い自分もアルタに行きたかったので、少しだけ一緒に旅をすることにした。
この旅の最も大きな目的の一つはヨーロッパ最北端の地であるノールカップに行くことであった。小さい頃から幾度となく本で目にした彼の地の名前は、最果て好きの私の興味を掻き立ててやまなかった。
お宿の人々は親切で、実に暖かく接してくれた。少しお礼を言って出かける。
クルマに乗り、ゆっくりと走っていたら道にトナカイが。昨日もよく見たけど、今日も早速。トナカイの写真を撮った後はノールカップに向けて92号線を走る。
二日目のドライブはシートポジションや北欧流の運転の仕方に慣れてきた事もあって、比較的楽に感じる。センターラインのない広い真っ直ぐな道を制限速度いっぱいで駆け抜ける。C1の乗り方も大分掴めてきた。簡素な足ながら堅く締めてあり、結構高速域でもしっかりとしているので、北欧のスピードにもなんとか対応しているようだ。岩で出来た丘を幾つも越えて、クルマは国境に向かう。クローネも持たず、フィンランドのSIMがローミングをしないように携帯も切り、道路標識を頼りに進む。
国境に到着。当たり前だけど、パスポートチェックなどもない。味気ないけどね。税関の事務所にノールカップへの道を聞いたら、カウンターで話し込んでいたトラッカーのおじちゃんや、職員のひとやらにいた全員に「あっち!」と言われたのがとてもおかしかった。
クルマをカラショクにすすめる。ここでもスーパーの人に少し道を聞いたりして、正しいルートに乗る。ノルウェーの人はみんな優しい。ノルウェーに入り、風景は激変した。
今までは針葉樹の森が広がっていたのに、ノルウェーの景色は氷河が作ったのであろうダイナミックな景色の中にこれまたたくましく木々が生息しているような感じなのである。遥か彼方まで続く道と、大きな山々。ダイナミックだ。
E6とE69の分岐まで来る。ここからは本当にノールカップ街道。
制限速度はノルウェー一般道の標準の90キロのまま。しかしながら道は大分荒れて、狭くなっている。それなりにスリリングかつ気持ちのいいドライビングコースだ。
ちょっと飛ばすと、C1の操縦特性がよく分かる。クイックで、アンダーステアも大きい。遅いけど、シフト、ブレーキとスロットルをコーナーの度にしっかり使って日常域でスポーツしている感覚は本当に楽しい。
途中なんども車を止めてはフィヨルドや海の写真を撮る。途中虹が何度か見えた。その都度律儀に止まっては写真を取ろうとしていたのだけれど、ある一回はホニングスヴォーグに向かうおばさんと一緒に停車した。タバコを吸うおばさんと少しだけ会話を交わし、また二台とも走りだす。ノルウェーの人の運転ペースは速い。ゆっくり走る僕は置いていかれてしまった。
そうこうしているうちにすぐにマーゲロイ島へのトンネルに。話に聞いていた料金所もなく、そのまま通過。どうやら償却が終了し、無料化されたとのこと。さすが北欧、きっちりしている。
それにしても、このトンネル、相当深い。7キロの全長のうち、3キロずつぐらいは急な坂道になっていた。北の硬い岩盤の海底をくりぬいたすごい土木技術にただただ感動する。
マーゲロイトンネルを抜けてしばらく走るとホニングスヴォーグへの分岐と、その直前にあるユースホステル。もうとうとうここまで来たのだ。そのままノールカップへと足を向ける。強風と、霧雨の中ひたすら走る。
途中数分の通行止めに遭遇。何かと思えば映画の撮影らしい。山の向こうから爆音が聞こえる。解除されて進んでみると、ブリフェンの86と、オレンジのM3ほか、アメ車数台が。なんの映画だろう。もしかしたらワイスピ系かもしれない。(当時はこの程度の認識でしたが、どうやらこれはノルウェー版ワイスピのような「Børning」という映画の撮影だったようです。この間ニュースサイトにこの映画の記事が上がっていたらしく、それを発見したときはとてもびっくりしました。)
大絶景の中を進む。時折景色の中に見えるノールカップのドームが興奮を掻き立てる。
そんなこんなでを止めては進みを繰り返し、ついにノールカップに到着をする。
料金所のお姉さんと少し話し、学割で入れてもらえることに。HSSの学生証が通じてうれしい。
ついに着いてしまった。これより北にはもうヨーロッパはないと考えると本当に感慨深い。
ポーランドからきたというスズキとKTM乗りの夫妻に出会い、少し話す。シャンパンを開けていたのがとても楽しそうだった。それにしてもバイクだけどいいのだろうか?
写真を取り、しばらくぼーっとモニュメントの近くにいると、何組かの写真を撮ることになった。
ノールカップの郵便局は専用のスタンプを押してくれるらしく、それを目当てに幾つか手紙を書くためにレストランに入る。
レストランの店員のお兄さんは観光客に関するアンケートを大学から依頼されているらしく、久しぶりのサンプルである日本人に喜んでいたようだ。3から4日に一度しか日本人は来ないのだとか。それは確かに少ない。なんだか嬉しいような、少し淋しいような。
手紙を投函した後は、地下の資料館を散策。地上からでは全くわからないけど、この施設はめちゃめちゃ立派だ。地下に大きなシアターや教会、ディナースペースまである。
少し待って映画を見る。ノールカップの一年を描いた作品。やはり映像で見てもノールカップの景色は綺麗だ。しかし、それよりももっと素晴らしい景色を今日走りながら見ているのだと考えるとなかなか感慨深い。
映画を見終え、岬にもう一度立って別れを告げた後はクルマでホニングスヴォーグの街に戻る。途中、先ほどの撮影隊とすれ違ったりとなにかと面白い。
ギアをフルに使って少しハイペースで走るとこの道が素晴らしいドライビングロードだということがよく分かる。すぐに宿についてしまったのが惜しいくらいだ。
宿に着き、チェックイン。部屋が空いているらしく、厚意で一人部屋にしてもらう。ノルウェーの人はフィンランドの人にも増して、親切だ。どちらかと言うと直接的な感じで。
荷物をおいた後ちょっとだけホニングスヴォーグの街を見に出かけた。
世界最北の都市と言われるその町は、なんだか、どこか日本の三陸の港町のようにも感じられるようなスケール感で、とてもこじんまりとしている。しかしながら、スーパーもあれば銀行もあり、飛行場までもが近くにある。もちろんノールカップ観光の玄関口の一つとしての側面はあるだろうからの充実した都市インフラなんだろうけど、そのインフラがこうした小さな町の活力に与えている影響はきっととても大きなものなんだろうと思ってしまう。
宿に戻って荷物をおいて一段落した後。コモンスペースに行くと、日本から来たという青年が。
よく考えて見れば数日間まったく日本人と会わなかったなと思い、先ほどのアンケートを渡された際の店員さんの言葉の意味を実感する。
彼は名古屋のある大学の医学生らしく、翌日アルタまで行こうと考えているがバスの便がよくなく、困っているとの事だった。幸い自分もアルタに行きたかったので、少しだけ一緒に旅をすることにした。
2014年7月12日土曜日
Lapland Skyline Day1
昨年夏に一月弱フィンランドに滞在をした。
その滞在の最後にヘルシンキを離れ、ラップランドを一人クルマで旅した。
小さな旅ながら、その記憶を忘れないように書き留めておく。
朝からサウナに入る。ここまではいつものルーティンではあるが、今日はこのホステルに滞在する最終日。サウナを出た後荷物をまとめる。この時ばかりはバタバタしていて感慨に耽る余裕もない。
朝食にルームメイトと向かい、いつもと変わらないメニューのビュッフェを食べる。そして、部屋に戻り荷物の最終チェックを済ませ、出発をする。別れ際、彼と少し話して部屋を出る。
本当に3週間ありがとう。君とルームメイトでとても幸せだった。
ホステルを出ると、同じコースの友人のルームメイトの子と一緒になる。鍵を事務局に返しに行くらしい。少し会話を交わす。最後は握手とハイタッチ。みんな素敵な人たちだ。
感傷に浸りながら、空港行きのバスに乗り込む。
空港に着き、荷物を預ける。重さはぴったり22.5kg。運がいい。
スムーズに離陸をした後のフライトはあっという間。A319のフライトは晴れていたこともあって安定そのもの。
ドアを出ればそこはラップランド。真夏にもかかわらず、ロバニエミは少し肌寒い。
ラップランドを主張する賑やかなバゲッジクレームから荷物を受け取り、レンタカーのブースに向かうと、どうやらプロパーな予約をする前に仮押さえしていたRentalcars.comの予約がキャンセルされていないためにダブルブッキングになっているとのこと。参った。しかし、帰国後になっても課金はされていない。よくわからない。
とりあえずRentalcarsに確認のメールを送って出発。
クルマはヨーロッパでPSAとトヨタが共同開発したAセグメント三兄弟のうちのシトロエンC1。このクルマが登場した時から、その割り切りに割り切ったミニマムなパッケージングと見た目にすごく惹かれていたこともあり、念願の邂逅と言える。
トラフィックの少ないフィンランドでは、久しぶりのマニュアルと左ハンドルに慣れるのはそこまで時間はかからなかったけれども、Google Mapをナビに使用していたこともあり、最初は少し道に迷った。
しかし、慣れてくれば道が実にシンプルということもあり、途中からは順調にすすむ。陽が傾きかけた車窓の景色は本当に美しい。
C1も非力ながら、一人乗りには十分な動力性能があるので健気に走るし、なにより気ままで車旅はやはり良いものではある。
途中ソダンキュラでスーパーに寄り、食料を調達。
Ivaro、Inariと順調に足を進める。途中時々止まって写真を撮ったりもしたが、あまりにも美しい景色が多すぎて、一向に進めずなかなかに悩ましい。
宿に夜8時頃に到着。この日の宿はNeljän Tuulen TupaというInariの町から外れた小さな宿。こぢんまりとしたいい宿だ。どこかコルピクラーニが出てきそうなウッディな趣もある。自由に使っていいという自転車を借りてちょっと近くを見て回り、部屋に戻って日誌を一気に書く。ヘルシンキ滞在最後の数日、寝ている時間以外は本当に片時のヒマもなく動き続けていたので、意外なほどに日誌がたまってしまっていた。少し前の記憶だけど、やはりしっかりと思い出しておくことは絶対に重要だ。シャワーに入って寝よう。
その滞在の最後にヘルシンキを離れ、ラップランドを一人クルマで旅した。
小さな旅ながら、その記憶を忘れないように書き留めておく。
朝からサウナに入る。ここまではいつものルーティンではあるが、今日はこのホステルに滞在する最終日。サウナを出た後荷物をまとめる。この時ばかりはバタバタしていて感慨に耽る余裕もない。
朝食にルームメイトと向かい、いつもと変わらないメニューのビュッフェを食べる。そして、部屋に戻り荷物の最終チェックを済ませ、出発をする。別れ際、彼と少し話して部屋を出る。
本当に3週間ありがとう。君とルームメイトでとても幸せだった。
ホステルを出ると、同じコースの友人のルームメイトの子と一緒になる。鍵を事務局に返しに行くらしい。少し会話を交わす。最後は握手とハイタッチ。みんな素敵な人たちだ。
感傷に浸りながら、空港行きのバスに乗り込む。
空港に着き、荷物を預ける。重さはぴったり22.5kg。運がいい。
スムーズに離陸をした後のフライトはあっという間。A319のフライトは晴れていたこともあって安定そのもの。
ドアを出ればそこはラップランド。真夏にもかかわらず、ロバニエミは少し肌寒い。
ラップランドを主張する賑やかなバゲッジクレームから荷物を受け取り、レンタカーのブースに向かうと、どうやらプロパーな予約をする前に仮押さえしていたRentalcars.comの予約がキャンセルされていないためにダブルブッキングになっているとのこと。参った。しかし、帰国後になっても課金はされていない。よくわからない。
とりあえずRentalcarsに確認のメールを送って出発。
クルマはヨーロッパでPSAとトヨタが共同開発したAセグメント三兄弟のうちのシトロエンC1。このクルマが登場した時から、その割り切りに割り切ったミニマムなパッケージングと見た目にすごく惹かれていたこともあり、念願の邂逅と言える。
トラフィックの少ないフィンランドでは、久しぶりのマニュアルと左ハンドルに慣れるのはそこまで時間はかからなかったけれども、Google Mapをナビに使用していたこともあり、最初は少し道に迷った。
しかし、慣れてくれば道が実にシンプルということもあり、途中からは順調にすすむ。陽が傾きかけた車窓の景色は本当に美しい。
C1も非力ながら、一人乗りには十分な動力性能があるので健気に走るし、なにより気ままで車旅はやはり良いものではある。
途中ソダンキュラでスーパーに寄り、食料を調達。
Ivaro、Inariと順調に足を進める。途中時々止まって写真を撮ったりもしたが、あまりにも美しい景色が多すぎて、一向に進めずなかなかに悩ましい。
宿に夜8時頃に到着。この日の宿はNeljän Tuulen TupaというInariの町から外れた小さな宿。こぢんまりとしたいい宿だ。どこかコルピクラーニが出てきそうなウッディな趣もある。自由に使っていいという自転車を借りてちょっと近くを見て回り、部屋に戻って日誌を一気に書く。ヘルシンキ滞在最後の数日、寝ている時間以外は本当に片時のヒマもなく動き続けていたので、意外なほどに日誌がたまってしまっていた。少し前の記憶だけど、やはりしっかりと思い出しておくことは絶対に重要だ。シャワーに入って寝よう。
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