あとちょっとで今年も終わり。
なにか成果が出たことも、そうでなかったことも、色々とあったけれども、たくさん色々なことに甘えてしまった一年でもあったなと少し反省。
例年になく色々なところに行けた一年でもあった。今年ほどは無理かも知れないけど、来年もたくさん知らない景色を見たいと思う。
皆様たくさんありがとうございました。来年もどうかよろしくお願いいたします。
2012年12月1日土曜日
アクセラと長野へ
先週末は長野方面へ行って来ました。クルマはアクセラスカイアクティブ!キャンペーンで休前日から2連休を開けた朝まで借りて1万円ちょっとという価格というチャンスだったため、今回は僕だけが運転するのわけではないこともあり、レンタカーで借りてきました。
スタッドレスを履いて渋滞の高速と山道ばっかりの行程で満タン法で15l弱/kmという脅威の燃費。
雪の降った美ヶ原もしっかりとした足取りで走ってくれた。
ハンドルはダイレクトで軽すぎず(油圧式かと思ってあとで調べたら電動油圧式なる方法なのだとか。油圧ポンプを電動で動かすということらしい。)、ATもロックアップが早いのか恐ろしくダイレクトな感触。ブレーキも踏んだ分だけしっかりと来てくれるような感じ。いつものGHインプに比べてトルクもあるしATも優秀なのであんまり意識してアクセルワークを作らなくても自然と低燃費で走ってくれる。
ただ、GHインプは堅いボディとしなやかなサスペンションで走ってくれるけど、アクセラはボディもサスも硬くて長い時間乗ると身体に来やすい印象が。シートは比べると確実にGHのほうがいいなあ。。あと、エンジンがなめらかに吹け上がっていく感じはやっぱりボクサーはすごいのだと実感。一日に何百キロも走る状況だと地味にこの違いは大きいのかも。
運転席はメーター類の配置も含めて対照的。包まれ感のあるGHインプに比べてアクセラは開放的でそれぞれのメーターは手の届かないような遠くに置かれている。個人的には身内びいきではあるかも知れないけど、GHの方が小さいクルマに乗っているような感覚がして車体感覚が掴みやすくて好きだけど、これも好みでしょうか。
ただ、初めて乗ったとは思えないくらい扱いやすいタッチで、i-DMや燃費計などの表示のバリエーションが豊富なこともあって運転そのものをエンターテイメントにしようという空気がとても楽しい。
i-Stopも違和感なく停止と再始動をしてくれるし、視界も思ったより悪くないし、全体的に好きになったクルマでした。
ハイブリッドやEVだけがエコカーじゃない!という謳い文句は伊達ではないのですね。
2012年11月5日月曜日
朝採り
4時に起きてあざひがくんと青梅街道を飛ばして横田までスポッティングに。
本題はATIのDC-8。エンジンがCFM56に換装された近代化バージョンではあるものの、美しい機体だった。米軍基地内の諸施設と後ろの山々、朝焼け前を照らすナトリウムランプのオレンジの中を細い胴体が飛び立っていく姿はさながらアメリカの地方空港に来ているかのような錯覚を与えてくれた。
しかしまあ、撮影は難しい。半年以上飛行機を撮っていないのに、曇った朝に一番目の飛行機をぶっつけ本番でノーVRできっちりと撮れるわけがなかった。。リハビリしてからもう一度撮りに行きたい。今度はちゃんと良いポイントも見つけよう。
本題はATIのDC-8。エンジンがCFM56に換装された近代化バージョンではあるものの、美しい機体だった。米軍基地内の諸施設と後ろの山々、朝焼け前を照らすナトリウムランプのオレンジの中を細い胴体が飛び立っていく姿はさながらアメリカの地方空港に来ているかのような錯覚を与えてくれた。
しかしまあ、撮影は難しい。半年以上飛行機を撮っていないのに、曇った朝に一番目の飛行機をぶっつけ本番でノーVRできっちりと撮れるわけがなかった。。リハビリしてからもう一度撮りに行きたい。今度はちゃんと良いポイントも見つけよう。
あまりにも早朝にメインディッシュがアンカレッジへ飛び立ってしまったので、厚木へ行く事に。
構図もなにもないけど、久しぶりにファインダー越しに見る飛行機は力強くて美しくていいものだ。
曇りの日だって収差は出るさ。でもまあ、いい。飛行機を撮るだけなのに大分元気になれた。
2012年10月19日金曜日
雲南旅行記 Day4 麗江
移動の疲れと、山の疲れがどっと出たせいか、雨のせいか、昼前まで部屋でだらだらと過ごす。
今日は束河古鎮へ行く事にした。
古城の入り口からタクシーに乗り、古鎮の入り口まで。15元ぐらいで行ってくれるとのこと。メーターも回ってはいたけれどもメーターよりも安い金額の言い値だった。中国の田舎だとわりとメーターよりも相場を重視してそうな印象。
店先で売っている食べ物。見た目や揚げる音は美味しそうだけど、油の匂いがヤバイ。これは確実にヤバイやつだ。日本人の温室育ちな胃には無理です。
古鎮の中にはお店や宿の他にもチベット寺院があったりと見所は多い。
麗江や束河古鎮自体が茶馬古道のルート上にあり、チベットとの交易ルートとして栄えた歴史もあってか、ところどころにチベットとのつながりを示すものが多い。
犬が多いのも非常によい。どの犬も人懐っこく、いたるところで好き勝手に昼寝をしているのがとてもかわいい。
古鎮の中は結婚写真の格好の撮影スポットとなっているらしく、いたるところに写真屋さんがある。それにしても、この写真のセンス。日本ではない。。。
麗江同様に道という道に水路が張り巡らされていて、時にはこんなかんじに利用されていたり。なんだかカラフルで素敵。
三眼井実用中。
このあと、雲南名物の粑粑を屋台から買って食べた。甘いのかしょっぱいのかと聞かれて甘いのを頼んだらピーナッツ系の味のものが来た。想像してたふわふわな感じのものとは違いマッシブなデニッシュのような感じ。決して美味しくないわけではないのだけれど、ちょっと量が多すぎる、そして、クドすぎた。。。
中は結構お店が多く密度が高いようにも感じられた古鎮も、端まで来ると大分のどかな感じになってくる。建物と建物の間の路地や、道、などからこの外れのまちなみが比較的昔の姿をそのままとどめているのではないかと思わせる。
外れの路地を一歩入れば少し寂れてどこか贅沢な宿が連なる風景が。
そんなこんなでひと通り古鎮の中をぶらついたので古城へ戻ることに。
タクシーを捕まえようとしたら一緒に古城に戻るという女の人がいたのでシェアをすることに。
深センから来たこと、彼女もまた僕らと同じく明日大里に向かうということ、上司が日本人なのでちょっとだけ日本語が分かるということなどを話した。
古城前にタクシーで着き、その人と話しながら古城のゲートに向かっていたら、昨日玉龍雪山であった女の子たち数人とばったり。「友達?」「いや、タクシーに一緒に乗った人!」程度の会話しかしなかったけど、奇遇なものだ。小さい町とはいえ、外国人だから目立ちやすいとはいえ、ピンポイントで会うとは。
古城内に戻り、散歩をする。
古城内はクルマは基本入れない。なので、どのようにインフラを回しているのか疑問だったが、散歩の途中に幾つか面白いものを見た。
一つはゴミ収集車。なるほど、これ一台ならぎりぎり走れる通りが多そうだ。いろんなゴミをいちいち分類なんかせずに一気に突っ込んでく感じがわりとワイルド。
もう一つが消防署。小型のトラックサイズの消防車と、バギータイプの消防車が数台。水路が街中に張り巡らされているのでポンプを積んだバギー程度の消防車でもきっと十分なんだろうなとおもわれる。
休憩に入ったillyのコーヒーショップの値段がわりと(かなり)高かった。わりと外資系は容赦しない値段設定を付けてくるし、それに平然と入るお金持ちも多いのも今の中国らしいところか。
歩いて古城の縁の山を登ると景色の良いポイントが。おみやげ屋特製の展望台も盛況。
夕食を食べても満ち足りないお腹は屋台で満たそう!ということで夜の屋台が集まっているエリアに。いろんな料理ができたてで食べられるここは、屋台にありがちな不衛生な感じもないしとても良かった。
そんなこんなで4日目の夜も更けていった。
今日は束河古鎮へ行く事にした。
古城の入り口からタクシーに乗り、古鎮の入り口まで。15元ぐらいで行ってくれるとのこと。メーターも回ってはいたけれどもメーターよりも安い金額の言い値だった。中国の田舎だとわりとメーターよりも相場を重視してそうな印象。
店先で売っている食べ物。見た目や揚げる音は美味しそうだけど、油の匂いがヤバイ。これは確実にヤバイやつだ。日本人の温室育ちな胃には無理です。
古鎮の中にはお店や宿の他にもチベット寺院があったりと見所は多い。
麗江や束河古鎮自体が茶馬古道のルート上にあり、チベットとの交易ルートとして栄えた歴史もあってか、ところどころにチベットとのつながりを示すものが多い。
犬が多いのも非常によい。どの犬も人懐っこく、いたるところで好き勝手に昼寝をしているのがとてもかわいい。
古鎮の中は結婚写真の格好の撮影スポットとなっているらしく、いたるところに写真屋さんがある。それにしても、この写真のセンス。日本ではない。。。
麗江同様に道という道に水路が張り巡らされていて、時にはこんなかんじに利用されていたり。なんだかカラフルで素敵。
三眼井実用中。
このあと、雲南名物の粑粑を屋台から買って食べた。甘いのかしょっぱいのかと聞かれて甘いのを頼んだらピーナッツ系の味のものが来た。想像してたふわふわな感じのものとは違いマッシブなデニッシュのような感じ。決して美味しくないわけではないのだけれど、ちょっと量が多すぎる、そして、クドすぎた。。。
中は結構お店が多く密度が高いようにも感じられた古鎮も、端まで来ると大分のどかな感じになってくる。建物と建物の間の路地や、道、などからこの外れのまちなみが比較的昔の姿をそのままとどめているのではないかと思わせる。
外れの路地を一歩入れば少し寂れてどこか贅沢な宿が連なる風景が。
そんなこんなでひと通り古鎮の中をぶらついたので古城へ戻ることに。
タクシーを捕まえようとしたら一緒に古城に戻るという女の人がいたのでシェアをすることに。
深センから来たこと、彼女もまた僕らと同じく明日大里に向かうということ、上司が日本人なのでちょっとだけ日本語が分かるということなどを話した。
古城前にタクシーで着き、その人と話しながら古城のゲートに向かっていたら、昨日玉龍雪山であった女の子たち数人とばったり。「友達?」「いや、タクシーに一緒に乗った人!」程度の会話しかしなかったけど、奇遇なものだ。小さい町とはいえ、外国人だから目立ちやすいとはいえ、ピンポイントで会うとは。
古城内に戻り、散歩をする。
古城内はクルマは基本入れない。なので、どのようにインフラを回しているのか疑問だったが、散歩の途中に幾つか面白いものを見た。
一つはゴミ収集車。なるほど、これ一台ならぎりぎり走れる通りが多そうだ。いろんなゴミをいちいち分類なんかせずに一気に突っ込んでく感じがわりとワイルド。
もう一つが消防署。小型のトラックサイズの消防車と、バギータイプの消防車が数台。水路が街中に張り巡らされているのでポンプを積んだバギー程度の消防車でもきっと十分なんだろうなとおもわれる。
休憩に入ったillyのコーヒーショップの値段がわりと(かなり)高かった。わりと外資系は容赦しない値段設定を付けてくるし、それに平然と入るお金持ちも多いのも今の中国らしいところか。
歩いて古城の縁の山を登ると景色の良いポイントが。おみやげ屋特製の展望台も盛況。
夕食を食べても満ち足りないお腹は屋台で満たそう!ということで夜の屋台が集まっているエリアに。いろんな料理ができたてで食べられるここは、屋台にありがちな不衛生な感じもないしとても良かった。
そんなこんなで4日目の夜も更けていった。
ゆったりと過ごすはずがたくさん歩いた一日だった。
2012年9月29日土曜日
雲南旅行記 day3 麗江一日目
まだ薄暗い中夜行列車は麗江に近づく。車窓からは薄くもやのかかった山々が見える。
同席の大学生たちにお別れをした後駅に降り立つ。できたばかりの駅はいかにも中国の新しい駅といった風情。どうやら麗江に至る鉄路も2009年にできたばかりのものなのだとか。
麗江は駅が市街と離れているのでタクシーで中心まで向かう。駅から市街まではのどかな風景が広がる。確かに田舎の小さな都市に来ているのだという実感が湧いてくる。
タクシーの車窓からは山の輪郭が綺麗に見える。
古城(中国の旧市街地はこう呼ばれることが多いそうだ)の入り口でタクシーを降り、本日の宿であるユースへ向かう。ユースも古城のに溶け込んだ造り。
チェックインをしようとしたら二人用部屋がいっぱいのようなのでしばらくロビーで待つ。
しばらくのゴタゴタの後(前に泊まっていた香港の若者が宿泊料でゴネてたり、ツアーに参加しないかと熱心に勧誘されたり)街に歩き出す。朝のもやのかかった景色とはまた別の鮮やかな色味の麗江古城がそこにはあった。
この日は玉龍雪山に向かおうということでガイドブックにあった「7路」バスに乗るために新市街地のバスターミナルまで歩く。「7路」の大きな看板と、行き先表示板を掲げたバンが止まっているのを見つけ、話を聞けば「玉龍雪山までは15元だが、満員に為らないと発車しない。急ぎなら包车(チャーター)をしてくれ」と言われた。数分待っても人が来ないので包车することに。。。
ちなみにその日の夜に先にあった人民広場まで歩いたところ中型バスのたくさん停まっている駐車場が。。。。そして、そこにも朝見た「7路」の同じ看板が。。。大きなバスのほうが本物で、僕らが最初に見つけたのは完全に偽バスでした。。。しかし、全く同じデザインの看板を用意するとは何事か。。。
してやられたことも知らず包车した中国製の越野车(野を超えゆく車→オフロードカー)で玉龍雪山へ向かう。ドライバーは途中止まって酸素ボンベのお店で酸素ボンベを買わせたりとまあ手馴れている。
何もないただただ雄大な景色の中を走っていく。ドライバー曰く「日本の車いいよね。欲しい」とのこと。僕らの中国語の発音があまり良くないこともあり、そんな簡単なやり取り以外の確実性の求められるやり取りはすべて筆談で行おうとするドライバー。ちゃんとしっかり説明してくれたりするのは非常にありがたいが、まあ、マメな人である。
一時間ぐらい走って入り口まで着き、そこからエリア内バスでロープウェイ乗り場まで行く。
ロープウェイに乗ると一気に海抜4506mの世界へ。
あいにく曇っていてなにも見えませんでしたが、空気が薄い!寒い!
せっかくなので遊歩道の端っこまで歩いて行く事にする。
途中ハルビンから来た女の子たちに絡まれ、一緒にワイワイと登る事に。
ものすごい勢いではしゃいで、苦しくなったらボンベを吸うといったパワフルっぷりには脱帽。
登った先は海抜4680m。登っただけで息が切れる。酸素ボンベ缶一つで登っていい高さではないですよ。。。
ガスが晴れてきて、少しずつ山体が見える様になった。目の前には氷河が広がる。話によると北半球で最も南にある氷河なのだとか。そして、こんな高さまでロープウェイが来ているにもかかわらず、法律で禁じられているため玉龍雪山の最高峰は未だ未踏峰なのだとか。とても不思議な山である。
山から降り、バスに乗ると次は青い湖に降ろされる。玉龍雪山から流れて来た水で青くなっているんだとか。
中国では花嫁写真の撮影が盛ん。風光明媚な場所だと必ずと言っていいほどドレスを着た女の人と、カメラを持った撮影隊が歩いている。
ドレスの下がジーンズとスニーカーなのはさすが中国。
景色を存分に堪能した後、ドライバーのお兄さんに電話をして迎えに来てもらう。景色の良い所で車を止めてもらったりしながらゆっくりと古城へ戻る。聞けば15年も運転手をしているそうだ。いい人だった。思えば結構わがままも聞いてもらったし、包车も悪くなかったかも。
古城に戻り、散歩する。建物が密集し、いたるところに水路が流れている。茶馬古道の中で発展した麗江の街は文化的に豊かな雰囲気を持っていた。
新市街のお店で夕食を食べた後、古城を散歩する。夜も昼に負けず劣らず人であふれている麗江の街。
いろいろなバーやカフェで行われているライブの音が街中のいたるところから聴こえてくる。水路では灯籠のようなものを流したりしている人の姿も多く見られた。
広場に行けば中国の夜の広場でよく見られるゲリラダンスが。
麗江は中国らしいところと、中国にはなかなかない洗練が見られた不思議な街だ。
3日目終わり。
同席の大学生たちにお別れをした後駅に降り立つ。できたばかりの駅はいかにも中国の新しい駅といった風情。どうやら麗江に至る鉄路も2009年にできたばかりのものなのだとか。
麗江は駅が市街と離れているのでタクシーで中心まで向かう。駅から市街まではのどかな風景が広がる。確かに田舎の小さな都市に来ているのだという実感が湧いてくる。
タクシーの車窓からは山の輪郭が綺麗に見える。
古城(中国の旧市街地はこう呼ばれることが多いそうだ)の入り口でタクシーを降り、本日の宿であるユースへ向かう。ユースも古城のに溶け込んだ造り。
チェックインをしようとしたら二人用部屋がいっぱいのようなのでしばらくロビーで待つ。
しばらくのゴタゴタの後(前に泊まっていた香港の若者が宿泊料でゴネてたり、ツアーに参加しないかと熱心に勧誘されたり)街に歩き出す。朝のもやのかかった景色とはまた別の鮮やかな色味の麗江古城がそこにはあった。
この日は玉龍雪山に向かおうということでガイドブックにあった「7路」バスに乗るために新市街地のバスターミナルまで歩く。「7路」の大きな看板と、行き先表示板を掲げたバンが止まっているのを見つけ、話を聞けば「玉龍雪山までは15元だが、満員に為らないと発車しない。急ぎなら包车(チャーター)をしてくれ」と言われた。数分待っても人が来ないので包车することに。。。
ちなみにその日の夜に先にあった人民広場まで歩いたところ中型バスのたくさん停まっている駐車場が。。。。そして、そこにも朝見た「7路」の同じ看板が。。。大きなバスのほうが本物で、僕らが最初に見つけたのは完全に偽バスでした。。。しかし、全く同じデザインの看板を用意するとは何事か。。。
してやられたことも知らず包车した中国製の越野车(野を超えゆく車→オフロードカー)で玉龍雪山へ向かう。ドライバーは途中止まって酸素ボンベのお店で酸素ボンベを買わせたりとまあ手馴れている。
何もないただただ雄大な景色の中を走っていく。ドライバー曰く「日本の車いいよね。欲しい」とのこと。僕らの中国語の発音があまり良くないこともあり、そんな簡単なやり取り以外の確実性の求められるやり取りはすべて筆談で行おうとするドライバー。ちゃんとしっかり説明してくれたりするのは非常にありがたいが、まあ、マメな人である。
一時間ぐらい走って入り口まで着き、そこからエリア内バスでロープウェイ乗り場まで行く。
ロープウェイに乗ると一気に海抜4506mの世界へ。
あいにく曇っていてなにも見えませんでしたが、空気が薄い!寒い!
せっかくなので遊歩道の端っこまで歩いて行く事にする。
途中ハルビンから来た女の子たちに絡まれ、一緒にワイワイと登る事に。
ものすごい勢いではしゃいで、苦しくなったらボンベを吸うといったパワフルっぷりには脱帽。
登った先は海抜4680m。登っただけで息が切れる。酸素ボンベ缶一つで登っていい高さではないですよ。。。
ガスが晴れてきて、少しずつ山体が見える様になった。目の前には氷河が広がる。話によると北半球で最も南にある氷河なのだとか。そして、こんな高さまでロープウェイが来ているにもかかわらず、法律で禁じられているため玉龍雪山の最高峰は未だ未踏峰なのだとか。とても不思議な山である。
山から降り、バスに乗ると次は青い湖に降ろされる。玉龍雪山から流れて来た水で青くなっているんだとか。
中国では花嫁写真の撮影が盛ん。風光明媚な場所だと必ずと言っていいほどドレスを着た女の人と、カメラを持った撮影隊が歩いている。
ドレスの下がジーンズとスニーカーなのはさすが中国。
景色を存分に堪能した後、ドライバーのお兄さんに電話をして迎えに来てもらう。景色の良い所で車を止めてもらったりしながらゆっくりと古城へ戻る。聞けば15年も運転手をしているそうだ。いい人だった。思えば結構わがままも聞いてもらったし、包车も悪くなかったかも。
古城に戻り、散歩する。建物が密集し、いたるところに水路が流れている。茶馬古道の中で発展した麗江の街は文化的に豊かな雰囲気を持っていた。
新市街のお店で夕食を食べた後、古城を散歩する。夜も昼に負けず劣らず人であふれている麗江の街。
いろいろなバーやカフェで行われているライブの音が街中のいたるところから聴こえてくる。水路では灯籠のようなものを流したりしている人の姿も多く見られた。
広場に行けば中国の夜の広場でよく見られるゲリラダンスが。
麗江は中国らしいところと、中国にはなかなかない洗練が見られた不思議な街だ。
3日目終わり。
2012年9月18日火曜日
雲南旅行記 day2 上海~昆明
二日目。
ユースで5時前という異様な早朝に目覚める。
いそいそとチェックアウトをして南京東路から2号線の始発に乗る。
ここで、China UnicomのSIMを手持ちのちびXperiaに挿してみる。そして、所定のパスワードを入れる手続きをするとSMSが帰って来た。しっかりうちの子はSIMロックフリーであることがわかった。どうやら回線はちゃんと使えているようだ。
ならばと、料金プランの選択をSMSのコード入力でやってみる。しかし、カードのアクティベーションができていないの無効だという。。参った。
そもそもなぜ慌ててそんな事をしているかというとChina Unicomの料金体系が申し込み手続きをした翌月からのプラン適応になるからなのである。今回は11日間の旅行のうち3日目から月が新しくなるので都合がいい。そんなわけでカードを買って中国でのモバイル環境を体験してやろうと踏んだのである。
どうやら読むとSIMカードのアクティベーションには最初に電話での音声指示に従う必要があるのだということ。久しぶりの中国ということもあり、まだまだ全然中国語を聞ける耳になっていない。昆明でお店があったらそこでアクティベーションをやってもらうということにしよう。
そうこうしているうちに地下鉄は虹橋へ到着。あんまり時間もないのでさっさとターミナルに上がると春秋航空の文字はない。。。インフォーメーションカウンターに聞いてみるとどうやら虹橋の第一ターミナルから出るとのこと。そして、第一ターミナルまではバスはない(後で調べたら厳密にはあるのだが、本数があまりにもなく、遅いらしい。)ので地下鉄を使えとのこと。
急いで地下まで降りて10号線に乗り、第一ターミナルへ。
第一ターミナルは2年前の時に上海航空で降りたけれども、すぐバスで出てしまったのであまり記憶にないターミナルだった。改めて見ると、第二に比べてしょぼい。。LCCとか主体なのだから仕方あるまい。
前日に食べた火鍋のせいもあり、危ない時間をトイレに費やすことで更に危なくしてしまったが、なんとか無事セキュリティも通過してボーディングできた。同行のMくんには迷惑と心配をかけた。
前日に乗った春秋航空。日本線の機材はレザーシートなのに対して、昆明線はファブリックシート。シートの形状もマシなせいか結構ラクに寝ることができた。狭いは狭いけど。
寝ている間にあっという間に北緯25度東経102度の世界へ。とても南に来たはずなのに高度があるせいかとても涼しい。
空港の壁には各自治区が出している観光広告やお茶の看板が。ここは辺境雲南の入り口なんだと強く実感させられる。
市内へ地下鉄で向かおうと空港の地下鉄駅に向かったら、なんとまだ地下鉄は開業したてで、市内まで繋がっておらず、外れの東部バスターミナルまでしか行けないとのこと。それらのことを券売機横に立っている人と話していたら市内まで行くから一緒に行こうというおじさんが現れた。ちょっと怪しいと思いつつ、券売機の人も「任せた!」と言わんばかりの態度でバトンタッチ。おじさんとちょっと距離を置きつつおじさんと話す。どこから来たのかとか、どこに行きたいのかとか、どんな予定なのかとか基本的なことを話しながら。行き先の話をしていたらなかなか単語が伝わらずどんどん周りの人が助け舟を出しに集まってくれたのは本当に恥ずかしいやら申し訳ないやら。そして、その中の誰もが英語を全く理解しないのもさすがである。上海や北京と違ってここはわりとぬくぬくとした地方都市なのかもしれない。
おじさんと話しながら市内へ向かう。どうやら息子が飛行機に乗るので見送りに空港まで出かけていたとのこと。近くに座っていたおばさんも交えていろいろと親切におすすめ観光場所をたくさん教えてくれた。なんだ、親切すぎて心配したけどとてもいい人だった。
結局おじさんは結局自分が乗るバスとは違う僕らの乗るバスの乗り場までついてきてくれた。なんという親切。何度も感謝を示しながらバスに乗り込む。落ち着いてみると圧倒的なバスと利用客や客引きの数のせいで東部バスターミナルはあまりにも混沌としてて、初めて訪れる人間には軽々と使えるものではなかった。これはたしかにおじさんの好意がなければ僕らは迷っていたかもしれない。30路バスに乗って昆明駅を目指す。しかし、このバス、出力無さすぎて坂もまともに登れない。。
そんなこんなで30分ぐらいかけて駅に着く。おじさんが「米線はうまいぞ」と言うものだからとりあえず駅の近くの食堂で米線を食べる。太くしたビーフンのような米の麺が辛いスープの中に入った感じのもの。他は中国でよくある牛肉面とそんなに変わらないかも。
中国の食堂。お店のスタッフもお客さんも警備員も渾然一体となって食事を食らう。ここは中国だ。
いかにも最近の中国の駅といった感じの昆明駅。見た目はかっこいいけど、中は例に漏れずあんまり綺麗には使われてはいない。
昆明はインフラ改造のまっただ中。道路工事も地下鉄工事もいたるところでしているものだから交通渋滞や土埃が常に舞っている。
5年前に北京に行った時、2年前に武漢や宜昌の街に行った時、それぞれそれなりに工事はしてたが、ここ昆明ではまさにピーク。ついに徐々に僕が中国の土木ペースに追いついたのかもしれない。
公園に行けば他の中国の都市以上におじいさんおばあさんが屯していて、例に漏れず麻雀やポーカーや将棋やマッサージや音楽演奏に興じている。賭け事と健康と音楽。なんと欲求に忠実。素晴らしい。
もう昆明では少なくなった古い建物が並ぶ地域。ここは看板屋さんの集まる通りらしく、昔ながらの木を使った看板から、LEDサイネージまであらゆる看板を作るお店が並んでいた。昆明の古い建築物は保存されている感じもなく、本当に古い(有り体に言うとぼろぼろ)なので、いつ壊されるてもおかしくはない感じであった。
昆明も他の都市と同じように強烈な勢いで自動車化が進んでいる。強いのは古参のワーゲンやトヨタやホンダの日本車、キャデラックやビュイック、シボレー等のGM系、そして最近急激に数を増やした中国車(ローバーの資産を買い取った南京汽車系の車などは比較的仕上げも先進国の車っぽい)など。
歩いて翠湖公園へ。
中国恒例の水書道おじさん。みんなえらく達筆。
昆明を出る前に絶対やっておきたかったことが携帯のSIMカードのアクティベーション。
とりあえず市内の大きな量販店の携帯売り場のお兄さんに泣きつく。事情を簡単に説明して、音声アクティベーションを代わりにやってもらう。感謝感謝である。多分携帯好きなんだろうなあ。僕のXperia miniを見て興味を示していた。
市内をひと通りぶらぶらして、ご飯を食べて駅へ向かう。駅へは地下鉄がなく、タクシーもやたら走っているのにどれもお客を載せているため結局バスで駅へ向かうことに。
麗江へ向かう列車に乗り込む。
この日の席は普通の3段寝台。いわゆる硬臥である。
同じコンパートメントだった麗江の大学に通う大学生と話が弾む。
こっちの拙い中国語を頑張って聞いてくれたお陰でいろいろと話すことができた。
少しだけ日本語の単語を知っていてくれていたりするとなんだか嬉しい気分になる。
いろいろと話しながら消灯の時間に。
明日起きる頃には麗江の山の中だ。
2日目終わり。
ユースで5時前という異様な早朝に目覚める。
いそいそとチェックアウトをして南京東路から2号線の始発に乗る。
ここで、China UnicomのSIMを手持ちのちびXperiaに挿してみる。そして、所定のパスワードを入れる手続きをするとSMSが帰って来た。しっかりうちの子はSIMロックフリーであることがわかった。どうやら回線はちゃんと使えているようだ。
ならばと、料金プランの選択をSMSのコード入力でやってみる。しかし、カードのアクティベーションができていないの無効だという。。参った。
そもそもなぜ慌ててそんな事をしているかというとChina Unicomの料金体系が申し込み手続きをした翌月からのプラン適応になるからなのである。今回は11日間の旅行のうち3日目から月が新しくなるので都合がいい。そんなわけでカードを買って中国でのモバイル環境を体験してやろうと踏んだのである。
どうやら読むとSIMカードのアクティベーションには最初に電話での音声指示に従う必要があるのだということ。久しぶりの中国ということもあり、まだまだ全然中国語を聞ける耳になっていない。昆明でお店があったらそこでアクティベーションをやってもらうということにしよう。
そうこうしているうちに地下鉄は虹橋へ到着。あんまり時間もないのでさっさとターミナルに上がると春秋航空の文字はない。。。インフォーメーションカウンターに聞いてみるとどうやら虹橋の第一ターミナルから出るとのこと。そして、第一ターミナルまではバスはない(後で調べたら厳密にはあるのだが、本数があまりにもなく、遅いらしい。)ので地下鉄を使えとのこと。
急いで地下まで降りて10号線に乗り、第一ターミナルへ。
第一ターミナルは2年前の時に上海航空で降りたけれども、すぐバスで出てしまったのであまり記憶にないターミナルだった。改めて見ると、第二に比べてしょぼい。。LCCとか主体なのだから仕方あるまい。
前日に食べた火鍋のせいもあり、危ない時間をトイレに費やすことで更に危なくしてしまったが、なんとか無事セキュリティも通過してボーディングできた。同行のMくんには迷惑と心配をかけた。
前日に乗った春秋航空。日本線の機材はレザーシートなのに対して、昆明線はファブリックシート。シートの形状もマシなせいか結構ラクに寝ることができた。狭いは狭いけど。
寝ている間にあっという間に北緯25度東経102度の世界へ。とても南に来たはずなのに高度があるせいかとても涼しい。
空港の壁には各自治区が出している観光広告やお茶の看板が。ここは辺境雲南の入り口なんだと強く実感させられる。
市内へ地下鉄で向かおうと空港の地下鉄駅に向かったら、なんとまだ地下鉄は開業したてで、市内まで繋がっておらず、外れの東部バスターミナルまでしか行けないとのこと。それらのことを券売機横に立っている人と話していたら市内まで行くから一緒に行こうというおじさんが現れた。ちょっと怪しいと思いつつ、券売機の人も「任せた!」と言わんばかりの態度でバトンタッチ。おじさんとちょっと距離を置きつつおじさんと話す。どこから来たのかとか、どこに行きたいのかとか、どんな予定なのかとか基本的なことを話しながら。行き先の話をしていたらなかなか単語が伝わらずどんどん周りの人が助け舟を出しに集まってくれたのは本当に恥ずかしいやら申し訳ないやら。そして、その中の誰もが英語を全く理解しないのもさすがである。上海や北京と違ってここはわりとぬくぬくとした地方都市なのかもしれない。
おじさんと話しながら市内へ向かう。どうやら息子が飛行機に乗るので見送りに空港まで出かけていたとのこと。近くに座っていたおばさんも交えていろいろと親切におすすめ観光場所をたくさん教えてくれた。なんだ、親切すぎて心配したけどとてもいい人だった。
結局おじさんは結局自分が乗るバスとは違う僕らの乗るバスの乗り場までついてきてくれた。なんという親切。何度も感謝を示しながらバスに乗り込む。落ち着いてみると圧倒的なバスと利用客や客引きの数のせいで東部バスターミナルはあまりにも混沌としてて、初めて訪れる人間には軽々と使えるものではなかった。これはたしかにおじさんの好意がなければ僕らは迷っていたかもしれない。30路バスに乗って昆明駅を目指す。しかし、このバス、出力無さすぎて坂もまともに登れない。。
そんなこんなで30分ぐらいかけて駅に着く。おじさんが「米線はうまいぞ」と言うものだからとりあえず駅の近くの食堂で米線を食べる。太くしたビーフンのような米の麺が辛いスープの中に入った感じのもの。他は中国でよくある牛肉面とそんなに変わらないかも。
中国の食堂。お店のスタッフもお客さんも警備員も渾然一体となって食事を食らう。ここは中国だ。
いかにも最近の中国の駅といった感じの昆明駅。見た目はかっこいいけど、中は例に漏れずあんまり綺麗には使われてはいない。
昆明はインフラ改造のまっただ中。道路工事も地下鉄工事もいたるところでしているものだから交通渋滞や土埃が常に舞っている。
5年前に北京に行った時、2年前に武漢や宜昌の街に行った時、それぞれそれなりに工事はしてたが、ここ昆明ではまさにピーク。ついに徐々に僕が中国の土木ペースに追いついたのかもしれない。
公園に行けば他の中国の都市以上におじいさんおばあさんが屯していて、例に漏れず麻雀やポーカーや将棋やマッサージや音楽演奏に興じている。賭け事と健康と音楽。なんと欲求に忠実。素晴らしい。
もう昆明では少なくなった古い建物が並ぶ地域。ここは看板屋さんの集まる通りらしく、昔ながらの木を使った看板から、LEDサイネージまであらゆる看板を作るお店が並んでいた。昆明の古い建築物は保存されている感じもなく、本当に古い(有り体に言うとぼろぼろ)なので、いつ壊されるてもおかしくはない感じであった。
昆明も他の都市と同じように強烈な勢いで自動車化が進んでいる。強いのは古参のワーゲンやトヨタやホンダの日本車、キャデラックやビュイック、シボレー等のGM系、そして最近急激に数を増やした中国車(ローバーの資産を買い取った南京汽車系の車などは比較的仕上げも先進国の車っぽい)など。
歩いて翠湖公園へ。
中国恒例の水書道おじさん。みんなえらく達筆。
昆明を出る前に絶対やっておきたかったことが携帯のSIMカードのアクティベーション。
とりあえず市内の大きな量販店の携帯売り場のお兄さんに泣きつく。事情を簡単に説明して、音声アクティベーションを代わりにやってもらう。感謝感謝である。多分携帯好きなんだろうなあ。僕のXperia miniを見て興味を示していた。
市内をひと通りぶらぶらして、ご飯を食べて駅へ向かう。駅へは地下鉄がなく、タクシーもやたら走っているのにどれもお客を載せているため結局バスで駅へ向かうことに。
麗江へ向かう列車に乗り込む。
この日の席は普通の3段寝台。いわゆる硬臥である。
同じコンパートメントだった麗江の大学に通う大学生と話が弾む。
こっちの拙い中国語を頑張って聞いてくれたお陰でいろいろと話すことができた。
少しだけ日本語の単語を知っていてくれていたりするとなんだか嬉しい気分になる。
いろいろと話しながら消灯の時間に。
明日起きる頃には麗江の山の中だ。
2日目終わり。
2012年9月17日月曜日
雲南旅行記 day1 茨城~上海
旅行記はつけた方がいい。
まだ僕が中3ぐらいの時に、友だちとどこか旅行に出かけたりしたおみやげとかを持って行くと隣にすむおじいさんに、そう言われた。
確かにそのとおりだと思い、だけれどもなかなかマメにできずに大学生ぐらいになった。思い返してみればあの時どうだっただろうと当時の旅行を思い出してみてもなかなか思い出せないことが多い。これはまずいと思い、最近はちょっとづつ行った旅行の記録はつけて、後で思い出せるように、後で別の事に気づいた時に複合的な認識が得られるようにと考えている。
8月の終わりから9月の前半にかけて中国に行ってきた。 なにをまたこんな時期にと思われるかもしれない。おかしいもので、初めて中国に行った高校の交換留学の時も、大学2年の時も、だいたい日中関係が悪い時期だった。なので、まあ出る時点ではこんな程度だったら問題無いだろうという訳の分からない予感はあった。とは言え、小心者でもあるし、周りの人の反対もあったので成都はルートから外して上海~昆明~麗江~大理~昆明~上海と回ることにした。四川が消えたので完全に雲南旅行である。
院試と京都旅行から間髪入れずに出発は迫る。事前に作っておいた三井住友の銀聯カードと、だいたいOKであろう人民元とパスポートと飛行機の予約番号と常備薬さえあれば最悪なんとかなるだろうということで愛用のバックパック一個に荷物は収まってしまった。寝間着を入れてみたり今までの海外で一番少ない荷物!AndroidとかのUSBチャージャーやズボンは無駄に2セット入っているのに、折り畳み傘が入っていなかったりとなかなかひどい。まあでも、今までの中国経験上、クオリティを問わなければどこでもなんでも売っているので困った時はその時だということで。
地味に楽しみにしていた中国LCCの春秋航空。就航当時から訳の分からない格安運賃で、一度トライしてみたいと思っていた。 しかしまあ、席が狭いこと。。。
うまく寝られないくらいには席が狭い。なので、着陸前に体操をして身体をほぐすという笑 中国人は体操大好きだけど、ここで体操に出会えるとは思わなかった。体操が終わってからすぐベルト着用サインつけるあたり手馴れている。
そうこうしているうちに上海につく。割高だと思いつつChina UnicomのSIMを空港の売店で買って、淡々と市内へ移動。前来たときは通っていなかった2号線が浦東空港まで乗り入れていたのを知らずにバスで市内まで。
どうしても火鍋が食べたかったのでユースに荷物をおいて近くの火鍋屋へ。
火鍋とこの上海サントリーが本当に合う。辛かったり油っぽかったりする味に、薄くてすっきりとした上海サントリーはわりとものすごくよく合う。
これをやらずして中国に来たとは言いたくない!!
ものは試しと銀聯カードでお会計。たらふく食べて2人で150元。前来た時よりは確実に物価が高くなって入るけど、まだ日本の金銭感覚で生きているので、むしろお得感すら。上海は物価も人々のファッションも走っている車(上海のほうが高級車多いかな)も中国の他の都市よりもずっと東京に近い気はする。
面白いけど、ワイルドさには欠ける。
明日の飛行機は朝7時過ぎに虹橋を出るので夜更かしせずに早く寝る。
一日目終わり。
まだ僕が中3ぐらいの時に、友だちとどこか旅行に出かけたりしたおみやげとかを持って行くと隣にすむおじいさんに、そう言われた。
確かにそのとおりだと思い、だけれどもなかなかマメにできずに大学生ぐらいになった。思い返してみればあの時どうだっただろうと当時の旅行を思い出してみてもなかなか思い出せないことが多い。これはまずいと思い、最近はちょっとづつ行った旅行の記録はつけて、後で思い出せるように、後で別の事に気づいた時に複合的な認識が得られるようにと考えている。
8月の終わりから9月の前半にかけて中国に行ってきた。 なにをまたこんな時期にと思われるかもしれない。おかしいもので、初めて中国に行った高校の交換留学の時も、大学2年の時も、だいたい日中関係が悪い時期だった。なので、まあ出る時点ではこんな程度だったら問題無いだろうという訳の分からない予感はあった。とは言え、小心者でもあるし、周りの人の反対もあったので成都はルートから外して上海~昆明~麗江~大理~昆明~上海と回ることにした。四川が消えたので完全に雲南旅行である。
院試と京都旅行から間髪入れずに出発は迫る。事前に作っておいた三井住友の銀聯カードと、だいたいOKであろう人民元とパスポートと飛行機の予約番号と常備薬さえあれば最悪なんとかなるだろうということで愛用のバックパック一個に荷物は収まってしまった。寝間着を入れてみたり今までの海外で一番少ない荷物!AndroidとかのUSBチャージャーやズボンは無駄に2セット入っているのに、折り畳み傘が入っていなかったりとなかなかひどい。まあでも、今までの中国経験上、クオリティを問わなければどこでもなんでも売っているので困った時はその時だということで。
地味に楽しみにしていた中国LCCの春秋航空。就航当時から訳の分からない格安運賃で、一度トライしてみたいと思っていた。 しかしまあ、席が狭いこと。。。
うまく寝られないくらいには席が狭い。なので、着陸前に体操をして身体をほぐすという笑 中国人は体操大好きだけど、ここで体操に出会えるとは思わなかった。体操が終わってからすぐベルト着用サインつけるあたり手馴れている。
そうこうしているうちに上海につく。割高だと思いつつChina UnicomのSIMを空港の売店で買って、淡々と市内へ移動。前来たときは通っていなかった2号線が浦東空港まで乗り入れていたのを知らずにバスで市内まで。
どうしても火鍋が食べたかったのでユースに荷物をおいて近くの火鍋屋へ。
火鍋とこの上海サントリーが本当に合う。辛かったり油っぽかったりする味に、薄くてすっきりとした上海サントリーはわりとものすごくよく合う。
これをやらずして中国に来たとは言いたくない!!
ものは試しと銀聯カードでお会計。たらふく食べて2人で150元。前来た時よりは確実に物価が高くなって入るけど、まだ日本の金銭感覚で生きているので、むしろお得感すら。上海は物価も人々のファッションも走っている車(上海のほうが高級車多いかな)も中国の他の都市よりもずっと東京に近い気はする。
面白いけど、ワイルドさには欠ける。
明日の飛行機は朝7時過ぎに虹橋を出るので夜更かしせずに早く寝る。
一日目終わり。
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