2016年12月30日金曜日

2016

今年もあと僅かということで、ご挨拶も兼ねて。

今年一年は沢山の峠を越えた、そんな一年だったように思えます。
今まで積み上げてきた事を沢山崩したり失ったりしながら、悪戦苦闘を繰り返した日々は、捉えようによってはとても苦しい時間だったのですが、こういう状況に置かれなければ見えてこなかったものに溢れていたようにも思えます。
驚くほど沢山の失敗をしながら、そんな状態の自分を突き放さずにいてくれた人々には感謝をいくらしても足りないのだと思います。


その一方で、ここまで全力を出し切って遊びきった一年も無かった気がします。
何年ぶりか分からないくらい久しぶりに飛行機に一度も乗らない一年を過ごしましたが、休みの多くの部分を小さな赤い相棒やら、自転車やら、新幹線やら、フェリーやらで関東以北のいろいろな場所に、色々な人々と訪れる事に費やした一年は、感覚が麻痺する程に刺激的でした。
東北というフィールドですら、まだまだこんなに行ったことのない場所や、食べたことのないモノで溢れているのですから、まだまだ何処かに行くことに躊躇したりしている場合ではないのでしょう。

まだまだ先の見えないノルドシュライフェのようなコースですが、コーナーの終わりは遠慮することなく立ち上がっていくべきなのかもしれません。


今年も大変お世話になりました。また、来年もどうぞよろしくお願いいたします。



2015年12月31日木曜日

2015

今年もあっという間に過ぎていったものです。
学生時代が終わり、働き始め、初めて地元を離れて暮らし、初めて一人で生活するというということに、悩んだり苦しんだり、得も言われぬ達成感を得たり、そんな日々でした。

そんな中でも、何人もの友人に仙台まで会いに来てもらったり、東京に帰った折に遊んでもらえたりしたことは、なによりも心強かったですし、仙台で事あるごとに共に遊びに行ってくれた武蔵時代からの友人には本当に何度も助けられていたと感じております。

行き急ぐように色々な決断を下しながらの日々ではありましたが、来年からはもう少し着実に歩んで行く必要があるのだとは思います。

今年も皆様に大変お世話になりました。
来年もどうかよろしくお願いします。

2015年3月19日木曜日

Lapland Skyline Day5

朝起きて、朝食を食べていると、中国人のおばさんがサンタビレッジへの道の説明を受けている。声をかけて、のっけていくことにする。荷物を預けて、車内を整理し、サンタビレッジ経由でC1を返却する最後のドライブに出る。

おばさんは南京から来たらしい。サンタビレッジで別れる。サンタビレッジでは手紙を書き、サンタさんに会いに行く。サンタさん、結構俗っぽい。でも、楽しませようとしてくれているのはとてもありがたかった。


サンタパークを早々に出て、シェルのスタンドに入る。給油。給油を終えたら最後のスティントへ。
ガッツリと回しながらC1と最後のコミュニケーションをとる。何の華もないけれど、真面目で可愛い車だったな。


C1を返して、空港から市内に戻ろうとしたら、エアポートタクシーは1時間半待たないとこないという。なので、ネットでもしながら待つ。散歩をしたりしながら時間を潰し、タクシーで市内に戻る。相変わらずフィンランドの人々は正直だ。駅でおろしてもらい、アアルトの図書館に出かける。


光と図書館というなかなか難しい課題をスマートに解決していてさすが巨匠。

その後は市内を歩く。極めて北の国にもかかわらず、オープンカフェのスペースや中心のプロムナードや広場が設定されているのは間違いなく「都市」だ。



こればかりは他のラップランドの街とは違う。その後は歩いてアルクティクムに向かう。

ラップランドを始めとした北極圏の文化や自然にフォーカスした博物館。見応えがありながら、見やすい展示が多く、結構夢中に時間を過ごす。気候変動や冬戦争など、ロヴァニエミの歴史はなかなかに凄惨なものがあり、決してのほほんと過ごしてきたわけではないことがよく分かる。



アルクティクムに行った後は世界最北のマクドナルドに行って食事。何故かビッグアメリカだけど。
そして、急いで宿に戻り、タクシーを待つ。とおもいきやおみやげの紙袋がない。なんとゴミだと思われて捨てられていたようだ間一髪。ハラハラしながらもタクシーに乗って出発。ロヴァニエミの空港につく。
チェックインをし、するすると搭乗。そのままぼんやりしている間に飛行機は離陸。あっという間にラップランドの大地は遠くに消え、ヘルシンキの懐かしい光景が。
ヘルシンキ周辺に来ると、ラップランドとは違って農地や宅地が多いことが当たり前だけど実感できた。ヴァンター着。1日パスを買って、荷物をロッカーに入れて615バスで市内へ。駅に着いたら干したカンタレリをスーパーで買って、宿のあるスオメンリンナへ。フェリーから見るヘルシンキの夕日は今までこの街で見たどの夕日よりも綺麗だった。

宿に着き、チェックイン。子どもたちの団体がいるらしい。ルームメイトはシンガポールから来たプログラマーの人と少しキッチンで話して寝る。


こうして、サマースクールの後に訪れた念願のラップランド旅行は終わった。何もない場所をひた走り、そこに息づく自然や人々の文化、具体的には彼の地に住むことの叡智とそれと対峙しつつも包み込む自然の圧倒的な力にそれなりにリアリティを持って接することができたことは何よりも良かった。決してドラスティックなものだけではなく、何度も反芻するように思い返しているうちにじわじわとその意味がわかってくるもの。そんなものにあふれていた旅行であったように思える。
すこし自分のモノの見方が変わった時にまた訪れられたらと思う。

2015年3月5日木曜日

Lapland Skyline Day4

朝起き、朝食を食べたあと、エノンテキオの街をぶらつこうと考えていたが、よく考えばあまり大きな街ではないので、情報はない。ということで、レセプションの人におすすめの場所を聞く。どうやら近くのトレイルの上の丘がオススメらしい。早速ネイチャーセンターまでクルマを走らせる。

宿からすぐにネイチャーセンターを発見。いそいそとトレイルに繰りだそうとしたら、昨日出会ったラップランドクラシックの方々が記念写真を撮ろうとしていた。とてもいいご縁だと思う。トレイルを歩き出す。


センターの人が言うとおり、ポストが短い間隔で設置してあって、それには分かりやすいサインが書いてあるので迷う心配もない。

まずはまっすぐに丘の頂上へ。湖と森が見下ろせる頂上は非常にいい所だ。冬はスキー場になるらしく、リフトもある。


山頂にはフィンランド独特のトンガリ屋根を持った小屋が。中ではシニアの方々が談笑していた。その中におじゃまして少しお話する。どうやら遠くから車できているらしく、遠い人は北カレリアの方から来ているらしい。トヨタのオーリスに乗っているらしく、僕の乗ってきたC1の写真を見せたら兄弟だと喜んでいた。


すこし話した後はゆっくりと歩き出す。コルピクラーニの出てきそうな小屋を経て、4kmのトレイルに入る。結局その後は一組しか会わなかった。時間帯のせいかもしれないけれど、大分ゆとりのある公園だ。

苔と、針葉樹、岩で構成されたまさにラップランドらしい道を歩く。

途中から車道になる。景色もさることながら、自動車の道から外れていた事もあって風の音以外は何もしない。

ゆっくりとこういうところを歩くのはやはり気持ちがいい。センターに歩いて戻り、そこからクルマをまた走らせる。今日は国境を縫うように走ろうと思う。まずはムオニオの街に足を向ける。

相変わらず走りやすいフィンランドの道。国境を超える直前のスタンドで給油。現金を消化しておこうという安易な考えでベンダーに50EUR札を突っ込んでしまった。給油を終えてお釣りを受け取ろうと事務所に向かうと、ここでは返金できないとのこと。大変参った。センターに問い合わせてくれとのことなので電話で問い合わせると英語対応をする権限のある人から1時間後に電話があるから待っててくれとのこと。仕方ない。走りだそう。


まずはスウェーデンへ。国境は相変わらずあっさり。今回は狭い橋で川を渡るので少し風情はある方かも。スウェーデンの道は制限速度こそ低いものの、線形もカーブが多く、幅は狭く、舗装も悪い。制限速度いっぱいで走ると、限界の低いC1では本当にラリーカーのような気分が味わえる。

植生自体はノルウェーみたいに一気に変わるわけではないけれども、なかなか気分は変わる。国境から離れた地域ではフィンランドの電波が入らないので飛ばし、電波の入る川沿いの地域ではゆっくり走りを繰り返す。走っていると電話が。彼いわく銀行口座に振り込む形でしか返金はできないとのこと。色々話してメールでフォームを送ってもらうことに。その後はいいペースでロヴァニエミを目指す。途中何度かトナカイに遭遇したり、休憩を取ったりしながら夕方にロヴァニエミに到着。
ホステルに荷物をおいてから丘に向かう。

街を見下ろす丘には多くの人が寒いにもかかわらず結構な台数のクルマがいる。丘にはバスケットをもったグループもちらほら。フィンランドの人々は本当にお出かけに手を抜かない。丘の上には岩場と高射砲の跡が。そうか、ここは激戦地だったのだ。


近くのホテルに向かい、展望台に上る。こっちのほうが眺望は良い。アアルトがデザインした街のプランはここから見れないのが残念だ。丘に登るリフト下をダウンヒルバイクで走って行く若者がいた。街中にもDHバイクはいたし、こっちではメジャーなスポーツなのかもしれない。日本よりは少なくとも。よく考えたら今日は急いでいたせいもあって昼食もとっていなかった。

スーパーで安いハンバーグとインスタント麺を買って帰る。キッチンで自炊をし、たらふく食べて寝る。

出雲空港で見たサーブ

というタイトルを見て多くの人は旅客機のサーブ340のことであろうと想像するであろう。
しかし、実は意外なところにもう一つのサーブが隠れていた。

まれに重量級の車両の中にはアメリカ製ピックアップがいたりするものの、通常はほぼほぼ日本車で構成される空港のオフィシャルカー。出雲空港のオフィシャルカーが3台仲良く並んでいるなかにサーブ9000は平然と佇んでいた。日本ではもうあまり見る機会のないサーブの乗用車のなかでも、それなりに古い9000。見た感じ右ハンドルなのでディーラー車であろう。調べたところによると9000は1997年には日本への導入が終わっているようなので、このクルマは20年選手ぐらいになる可能性もある。
どんな経緯で導入されたかはよくわからないが、旅客機購入のバーターとしての導入とかだったら面白い。
なんと調べたところ、日本全国の空港にはランウェイのグリップをテストする特殊車両として、サーブが多数導入されているとの事だった。詳しくは下記のリンクを。
どうやらこれまで自分が見つけられていなかっただけでサーブは日本全国の空港にいたようだ。実際ブログなどでは山陰のみならず北陸や東北の空港でもサーブの目撃情報が見られた。

グリップテスターの動作風景は以下のとおり。この動きは前輪駆動の高性能車に定評のあるサーブならではなのかもしれない。



それにしても、耐久性や確実性が要求されるオフィシャルカーとしてそれだけの長い期間9000が活動している(隣のADやヴィッツよりも古いのは間違いないわけで。)というのは、サーブがきっと優秀なクルマであることの証明にもなっているのかもしれない。

きっと部品などの調達もこれからより厳しくなっていくのだろう。サーブが日本代理店のみならず世界からフェードアウトしつつある中で、島根の地でなるだけ生きながらえることを祈っている。

2014年12月31日水曜日

2014

今年も残すことあと僅かということで、すこしだけ。

今年は、何かと欲張った一年だった気がします。初めてやったこと、行った所も多かった一方、念願となっていた久々の再会を沢山果たせた、そんな感じの一年間でした。

3月の半ばに来年からの進路が決まって、急に将来が迫ってくるような感覚を覚えたせいもあるかも知れませんが、常に残弾を使い切るつもりで楽しむ事ができたと自分では思っています。
その、欲張りすぎた故に自分が自分のキャパシティの使い切る事があまり上手でないことなども強く感じることとなりました。

まずは研究、そして、4月からの新生活をしっかりとこなしていくことが来年のミニマムサクセスとなります。

今年も様々なことでお世話になりました。また、来年からもどうかよろしくお願いいたします。
楽しく、実り多い一年になりますように。

思い出深い初上陸
・キーウエスト
・長崎県


思い出深い初挑戦
・棚田で田植え
・自転車レース


得たスキル
・技術士補登録資格
・ホタテ焼き


ベスト買い物
・ダッチオーブン
・クロームキャスト



2014年8月19日火曜日

サロマ湖畔ユースを思う

先日北海道に行った際に、宿泊したサロマ湖畔ユースホステル。
まさに道東といった具合の自然に囲まれた湖畔に、ぽつんと佇むユースホステル。
大してまじめに建築をやってこなかった鈍い自分ではあるが、宿泊をすることでその建築をじっくり摂取して、その味わいを知ることは最も心に残る接し方の一つだと常々感じている。





今回はちゃんと調べることなく訪問をしてしまったが、この建物は遠藤新とならぶライトの弟子、田上義也氏の作品とのこと。ライト風だとは思っていたけど、そのような由緒正しき建築だったとは。
夜が明けて、他の宿泊客が出て行った後にすこし館内を探検すると、実にユースホステルに対しての愛情に満ちた建築だと感じた。


エントランスの目の前にある階段は入り口から左右に男女を振り分け、そのそれぞれの踊場にはいかにもライト的なあつらえものの小さな机を持った談話室が。男女ゾーンの廊下を隔てるのは壁ではなくガラスで、秩序と開放感を重視したユースホステルの古き良き健全さを余すことなく表現しているようにも思えた。
食堂や一回の談話室もユースらしさのなかに、そのスタンダードを越えた華美でない贅沢さを感じた。





























帰ってから調べて初めて知ったのだけれども、田上義也氏は北海道でのユースホステル建築の大家でもあったらしい。この他にも幾つものユースホステルを設計しており、その一部は現存しているとのこと。
以前宿泊した美幌ユースホステルも彼の設計だったようだ。
山留めが上手く行っていないらしく、基礎のメンテが大変であるというペアレントの談。汽水湖であるサロマ湖の湖畔にあって、細かなところの痛みもひどいらしい。
明日館講堂にも似て、塔のルーバーが破損していたり、やはりライト風建築の風化の仕方は似てしまうのかも知れない。
ただでさえ北海道のメジャーな観光ルートからは外れ、人の少ないサロマにあって、この凝った建築のメンテナンスを考えると大赤字の経営のようで、近い将来取り壊しを検討しているとのことだった。
明るく、気立ての良いペアレントの口から語られる言葉は何処か寂しげで、残酷でもあった。
2004年の夏に宿泊した美幌ユースも去年の春に閉館してしまったようだし、この建築もまた一般の人がその生きている姿に触れることのできる最後の時期を迎えてしまっているのかもしれない。
昔、彼の地に走っていた鉄道もとうに絶え、そもそも旅行のあり方が変わってきている時代にあって、それまでの社会的な意義を終えようとしている一つのあたたかな建築をいと惜しくおもう。

2014年8月7日木曜日

Lapland Skyline Day3

今日は昨日ホステルで仲良くなった青年と一緒に朝食。このノールカップユースは食事が豪華だ。マリネやパンですっかりお腹いっぱいに食べる。

部屋の件も色々ととりはからってもらったし、なかなかにアタリのホステルな気がする。
出発の準備を整え、今日の旅の友に声をかけて出発。今日は一緒にアルタまで行くのだ。
朝のE69は本当に交通量が少ない。そもそも、昨日夜も道路の音は殆ど聞こえなかったし、この時期はオフシーズンなのかもしれない。彼といろんなことを話しながらクルマを進める。1人旅の良さは何にも代えがたいが、たまには誰かと一緒もいい。途中何度もクルマを止めながら進んでいく。
彼はミスチルが好きらしい。





 途中フィヨルドの海岸に立ち寄る。フィヨルド全体の水はその岩の地面を流れて最後に海岸にたどり着く。海への道の最後は海岸の小石の間からにじみだした短い川になって地上を走る。長さにしてわずかに数百メートルの旅ながら、ドラマチック。



途中道を間違えてハンメルフェストの手前まで行ってしまいそうだったが、途中で引き返し、アルタへ再び向かう。ハンメルフェストにも憧れがあったので、行ってみても楽しかったのだろうけど。






途中燃料が足りなくなって、警告灯を点けてしまうが、それでもなんとかしながらアルタに。給油を終えた後、彼に昼食を御馳走になる。いやあ悪いですね。その後は一緒にアルタの石絵を見にいく。とてもすごい。こんなに昔の人々が残した記録が今もこうして屋外にある石に残っているというのがなんとも衝撃的だった。









北極海ともここでお別れ。
彼を宿でおろして、1人で一路エノンテキオを目指す。今日はどこか太陽が夕暮れ時の表情をしている。

カウトケイノの街までは渓谷から丘陵まで非常に変化に飛んだいいドライビングロードだ。狭いし、流れも速いし、シフトチェンジも頻繁なのでなんども景色を撮るために足を止めながら,
息つく暇もないエキサイティングな道を走る。












岩の壁のノルウェーフィヨルドの谷。泥で出来たノルウェーの丘陵部。そして、石と森で作られたラップランド。そのどれも雄大で、本当に飽きない。






カウトケイノの町はとても小さく、川沿いにこぢんまりとした教会があるのが目立つ。心が癒やされる。









ラップランドはまだ8月の終わりなのにどこか秋の足音が聞こえるような、そんな淋しげな雰囲気にも満ちていた。クルマを止め、道を離れれば色鮮やかながら穏やかな景色が広がる。




夕日の中国境を越え、エノンテキオの街につく。ここは宿が多く、どちらかと言うとラップランド観光の基地となっているようだ。遊歩道や町に張り巡らされたトレイルのつくりをみて、ここがフィンランドなのだと実感する。
ノルウェーはとても美しいけど、やはり僕はフィンランドが好きなのだとよく分かる。

宿について、車を停めると、ここ毎日最低でも400kmずつ、今日一日で500km弱走ったとは思えないくらいにまだまだ走りたいと感じている自分がいた。
1Lマニュアル、リアウィンドウも開かない極めて簡素で健気な旅の相棒とこれほどまでに仲良くなれるとは思ってもいなかった。

宿に着き、部屋に入るとどうやら清掃が行われていなかったようだ。フロントに清掃を頼みに行ったら、すぐに対応してもらえた。サウナに入って体を温め、フロントで飲み物を買おうとしたらお代はいいと言われる。こちらこそもしわけない!ということで、フィンランドに敬意を評してヤッファを飲む。砂糖とライムのクラシカルな味わい。この垢抜けない感じがなんともいい。

Wi-Fiが通じるロビーでPCを開いていたら、団体さんと話すことに。この人達はなんと一週間で130kmの距離を歩くラップランドツアー「Lapland Classic」の参加者なんだとか。聞けば、毎年開かれているツアーらしく、世界中から多様な参加者が集まって、ひたすら歩くというものらしい。
それはすごい。結構年配の方ばかりに見えるのに。色々と話して仲良くなる。その団体のうちフランスから来たご夫妻は息子さんの奥さんが日本人なのだとのこと。すこし色あせた結婚式の時の写真をずっと大事に持ち歩いているようで、とてもあたたかい気分になった。
色々と話して親交を深めているうちに夜はふける。