2009年8月31日月曜日

大風と嵐と卒業

総選挙すごいことになりましたね・・・。

個人的にはなんかファシズム的怖さを今回の民主大勝に感じてしまう。しかも極めて受動的かつ非生産的な消去法で導き出された。
いつかのハーケンクロイツのところを思い出してしまうよ。世界的な不景気のあとだとね・・・。
ひとまず、自民党の比例リストの高位にいる人々だけが生き残ったせいで、衆議院の自民議員から有能な人材がだいぶ減ったような・・・。
中川昭一とかかわいそう。パフォーマンス的には不味い事をしちゃったから仕方ないのかもしれないけど・・・・。


今日は嵐の中卒検。
教官が修了検定のとき並に怖い人だった。
同組の青年はそのプレッシャーにパニクって脱輪やホイールスピンまで大変なことに。
終わった後の教習車はラリーカーみたいに泥だらけに・・・。

明日は江東に行くことにしました。府中は遠すぎる。



週末は軽井沢に行ってました。
今回は特にどこに行くわけでもなく、ぶらぶらと。

春に行ったヴォーリズ展で見た建物に出会いにちょっと散歩。(写真は違う。市村記念館)
資料や写真で見た後だとこれまで見ていた姿と違うように見えるから不思議。

それにしてもやさしい建物たちだ。

他の別荘や商店たちもなかなか改めてみると素敵なものが多い。
軽井沢の別荘群は古いのも新しいのも協調と主張のバランスが取れたものが多いような気がするのは気のせいか。

2009年8月28日金曜日

引き続きクルマの話

明日から軽井沢行ってきます。とはいっても、あさっての昼には東京にいるわけですが。

今日は効果測定とみきわめ。
だからどうよって話ではないけど、教習も学科もこれが最後と思うと不思議な感じだ。



この間、コスモスポーツやその時代の車はなぜかっこいいのかという話をしていた。
個人的には、1970年代を境にクルマは家電か創作上の兵器(もしくはそのどちらも)へと変遷して言ったのじゃないかなと強く思う。クルマがクルマらしかったのはその時代までというか。
日本メーカーが作りあげた家電としてのクルマと、欧州のスポーツカーメーカーが牽引した過剰に進化し、現実離れした斬新さがもてはやされるスペシャリティーカーがその両極にあるように思える。
前者は言うまでもなく、工業製品として最適化された存在としてのクルマで、他の分野の製品の工業化においても必然的に発生しうる形態なのだろう。
後者は電子デバイスと材料工学の進歩により、クルマの性能と表皮が以前ほどにはリンクしなくなり、機能とデザインの分離が始まったことにより発生した形態なんじゃないかなと。実際、そういう流れが生まれる前からも、ガイガーやサッコみたいな極めて優秀なカーデザイナーは多くいたけれども、彼らの仕事は現在名前を前面に押し出して仕事をしているカーデザイナー(クリス・バングルでも奥山さんでもいいけど)の仕事に比べてはるかに制約の大きなものだったんじゃないかなと思う。
実際、サッコがいたころまでのメルセデスは「最善か、無か」を体現する設計体系で、すべての造型に理由をもたせていたというし、そもそもカーボンはおろかFRPやアルミすら高精度に成型できない時代を彼らは生きてきたわけだから、今のようなデザイナーの個性をやたらにぶつけ合うようなことは起き得なかったのかもしれない。
きっと日本車流のコストダウンが浸透する前に作られた自動車たちは、無論日本のスペシャリティーカーを含めてとてもクルマらしく、それゆえに見る人間に説明しにくい感動を与えるんだと思う。そのクルマたちを作った人々も純粋にクルマ(それ以下でもそれ以上でもない、それ自体で憧れなどを喚起するような存在)を作るために躍起になっていたのかなとおもう。

日本流のコストダウンがまずアメリカに行き(ダウンサイジングと前輪駆動化が始まるも、品質面で日本車に追いつけないまま日本車の路線を追従し始めたアメリカ車暗黒時代。個性もだけは失った。アメリカ車は壊れるというイメージはこの時代のせいとも言われる。)、90年代にヨーロッパにも浸透(このころまでにはほとんどの普及価格帯の欧州車が何らかの形でプラットフォーム共有をして、コストダウンを図っていった。)していったなかで、大手メーカーでは最後まで「最善か、無か」を貫いていたメルセデスがコストダウンとより商業的なブランド展開を急速に進め(アメリカ工場稼動あたりからか)たことにより、脱クルマの流れは決定的なものになっていったのだと自分は考える。
そういった意味でも、W126やW140は最後のクルマらしいクルマなのかもしれない。W126は隅々まで本当にすごいクルマだった。中学生の自分でもその造りの合理性をいくつも見つけることができた。
最近のヨーロッパの高級車に乗せてもらう機会がごくたまにあるけれども、隅々のつくりはW126よりもずっと国産車に近いようにも感じられる。それは、日本流の設計思想が今の時代感覚によりフィットしているということの表れなのかもれないけれど、それはそれで寂しいものだと強く感じる。
グローバル化によって効率のいい方向に移っていくことはしかたないことなのかもしれないけど、モノ作りの思想といったものまで淘汰されてしまうのは考え物だ。
特に大量生産を前提とした工業製品だと、製造のコスト効率で一概に比べてしまいがちだからなおさら怖い。




ちなみに、コスモスポーツ、まだ中古車で買えるみたいですよ。ロータリーの宿命で寿命が来てしまっているかと思いきや、普通に機関良好らしいし、なかなかこれはすごいことですね。男の夢ってやつですね。

2009年8月27日木曜日

ドイチェラントの素敵なアウト

今日は応急救護実習と高速教習でした。
いままでまともに応急救護を習ったことはなかったから、とてもためになったような気がする。

高速教習は赤く塗られたBMWのE90。後部座席に座って走り出した瞬間にドイツ車だとわかるブッシュの感じや走行音。昔のW126と同じ音がする。
実際にハンドルを握ってみて、これがドイツ車かあ、これがFR車の挙動かあ、なんて事を考えながら走っていた。
FRとFFじゃやっぱり、キツめのカーブとかだとだいぶ挙動は変わるんですね。
普段のアクセラよりだいぶ重い車体を軽々と引っ張る2400ccのストレート6は怖いくらい滑らかで、しっかりメーターを見ていないとあっという間に法定速度を超えてしまいそうで怖かった。
軽い車がいいね。飛ばせなくても。

2009年8月26日水曜日

クリアな日

風の感じがすっかり秋。気温が低いのもそうだけど、湿度がぐっと下がった。眠い。

久しぶりに予定のない日が来たので、今日は以前からためていたことをすることにした。

まず、リビングのCDプレーヤーを修理に出してきた。
アンプとかアナログ分が強いものはバラしたら案外うまく直せることがあるのだけれど、CDプレーヤーとかになると素人の自分には到底不可能・・・。

その足でフランフランで水出しコーヒーポットを買ってきた。
信頼のHARIO製。DURALEXとHARIOと我が家の付き合いは非常に長い。

これからは疲れたときに下に行って冷蔵庫を開ければアイスコーヒーが飲めるという夢の生活が待っている!


帰って一息ついていたら、隣のおじいさんから久木綾子著の瑠璃光寺五重塔ネタの小説をもらう。分厚いので、ゆっくり読んでいくかな。

夕方の虫の音とGoo Goo Dollsを聞きながら裏庭の草刈りをする。
鋏をふるい、草を引きちぎる度に立ち込める植物の匂い。
表の庭では野菜やらハーブといった作物や、芝や木といった意図的に配置された庭の構成物が寵愛を受けているのに、裏では雑草が邪魔者としてさっぱりと片付けられているのはどこか不思議だ。
人間のエゴだなんだって言ったって何も始まらないわけですけど。

テスト

Mail to Blogger なんて機能があったのか。

別に使うこともあまりないだろうけど、便利っちゃ便利かも。

2009年8月25日火曜日

妙に疲れた一日

午前中は久しぶりに映画館へ。

午後はセット教習。自分の運転すらまともにできない人間に、他人の運転を評価するなんて難しいですよ。しかも、気を使われてべた褒めされた日にはどう対処すればいいのやら。

午前中見た話題の映画が大変アレだったので、家に帰ってからは中和のためにカラッとしてわかりやすいライトスタッフを見る。
個人的にライトスタッフとアポロ13を見れば精神の平和を保てるので。どっちも宇宙開発モノですが。

しばらくその作品の事ばっかり考えちゃうような映画は大好きなんだけどね。

2009年8月23日日曜日

北海道縦断+RSR

今日北海道から帰ってきました。

気がついたら旅行先が北海道になってしまうのだが、一向に飽きない。

まずは新潟まで輪行。途中前橋でジョンと会ったりしながら夜の新潟の町に入り、ネカフェで夜を明かす。
夜明けとともに港へ走る。

フェリーには自分となぜかおしゃれなピストが一台いる以外は自転車はなし。代わりに大型バイクがたっぷり。
相棒の隣にはV-MAXとロシア製のサイドカーウラル!!
ウラルとここで出会えるとは思わなかった。


フェリーからはすばらしい夕暮れが。なぜだか今までの船旅の中で一番いい船旅だったような気がする。

小樽到着後は小雨ぱらつく中を石狩へひた走る。

会場到着後にモリモトと合流し、準備を済ませ、アクトを見る。
一日目は髭、POLYSICS、真心、スガシカオはフルで見て、BOOMやTOEは横からちょっとだけ見た。
二日目は50回転ズ、のあのわ、スクービードゥー、ユニコーン、モーサム、バースデー、ベンジー、ピロウズをフルで、奥田民生のソロはテント脇で寝ながら。

各アクトの感想は後ほど。基本どれも非常によかった。
にしても今回ほとんど発掘はしなかったなあ。スクービードゥー待ちで見たのあのわは初めてでしたが。出会いが最前列って贅沢だったなあ。




ピロウズとともに明けた朝は、札幌まで自走。駅前で輪行を始めようとしたら、通りがかりの出張中であろうおじさんに、ホテルが出してる屋台のとうきびを無料で食べられる券をもらった。

苫小牧で63482メンバーと合流。
5日間かけて宗谷岬まで走りきった!
内容はおいおい書きたいけど、書けるかな?人数も距離も密度もとてつもないから、DVDが完成するぐらいまで頭の中でゆっくり噛み砕いていこう。


宗谷岬で、横浜からR3で自走してきたアツい青年(タメ)と出会う。
彼のスポークが折れていたので、市内に戻った後でユニホーム交換よろしく我がR3のホイールと交換することにした。
東北旅行でもそうなのだったけど、自転車で旅をするといろいろな人の助けを借りて僕は(僕らは)旅をしているということを普段よりも強く実感できた。
こういう小さなことでも、誰かの役に立てているのならばそれ以上にうれしいことはない。
ホイールを返してもらうついでに彼の旅の話ももっと聞けたらと思う。

すばらしい旅だった。稚内から苫小牧へヤマチカが運転するカローラの助手席でそんなことを
ぼんやりと思っていた。



仮設チームのかたがたには本当に迷惑をかけてますごめんなさい。

2009年8月13日木曜日

とりあえず新潟

新潟のネットカフェで一夜を明かした。

今のところ何とかなっている模様。
明日は航海、あさってはオロロンラインを経て石狩へ。
今回も安全第一をモットーに、無理をしない操縦を心がけます。

そろそろ空が白みだす時間かな?

2009年8月11日火曜日

走って食って寝る!!


今日は63482北海道隊のトレーニング日。
朝から上井草のスポーツセンターのジムに集合し、エアロバイクで走りこむ!
風と変化がないと自転車って苦痛なもんだなぁ。

休憩時に体組成を三人で測った。

これにはさすがの僕でもヒいた。すべて適正以下。脂肪率にいたっては・・・・
ここまで自分が情けないとは思わなかったよ。
今日から体型増強計画スタートだ。

ちなみに、他より食べていないということはおそらくない。つまり燃費が悪いのだ。平常心拍数も他の人よりは高いようだし、エンジンならBMW型?
胃下垂の気はあるからなぁ・・・・・。


夕食はルミネの上でしゃぶしゃぶ食べ放題!久しぶりのぐっさん!いい意味で変わっていなくてちょっと安心。まあ、メッセでよく話しているからあんまりご無沙汰感はなかったのだけれども。
痛恨を胸にたくさん食べてきた。
今日の筋トレとしゃぶしゃぶが明日の糧にならんことを願う。

健康とはむずかしいものだ。

2009年8月9日日曜日

夏空



かねがね計画していながら順延を重ねていた城南島ツアーをついに決行。
僕以外はシティーサイクルのはずなのに、結構よさげなスピードで走っていたせいもあってか、予想よりもだいぶ余裕を持って行程をこなせた。

行きがけには雨も降り出していたのに、島に着いたときにはすっかり晴れて肌がジリジリと焦げ付きそうなくらいに。
さすが晴れ男と人間高気圧。


空気は揺らいでいたけどすごく綺麗に晴れていたので、撮っていて楽しい一日。
トリトンブルーが空に映える。


翼端渦の描く雲が夏空に消えていく。



空に虹のような帯ができ、その前をSFが飛んでいった。感動的だ。こんな景色はなかなか見られない。
ライトスタッフの音速突破シーンを思い出してしまった。


レンズの描画性能がいまいちなのが拡大すると結構わかってしまう。ただ、まあ腕でカバーしてこそ!!

暑かったけど楽しい一日であった。

2009年8月8日土曜日

まつりのあとのまつり

今日は数日分の疲れを癒すために寝倒すつもりだった。
しかし、朝遅く起きたら母親からバイトを持ちかけられる。金欠だし予定はないのでのってみた。
クラフト市でガラスを売るのを手伝うというバイトだったのだけど、なかなかあのフリマ的な雰囲気は楽しい。

折りしも今日は阿佐ヶ谷七夕祭り。今年も例年通り張子に気合が入ってました。

昼は同じ阿佐ヶ谷住人のアイウチ君と近くのちとおしゃれな中華料理屋で坦々麺を食べる。
魚介の味が利いたおいしい一品。阿佐ヶ谷はちょくちょくよさげなお店があるのに、開拓しきれていないのはちょっともどかしい。


フレンド商会さんで今回の合宿で失ったり消耗したものを補充する。結局Y'sとかよりも部品や工具はそろってるからフレンドさんを使ってしまう。
高円寺で食事をして帰宅後、タイヤの交換をする。
以前買っておいたデトネーターをフロント、今回買ったミシュランのシティーをリアに入れた。
最近の教訓から、リアはとにかく耐久性のあるごついタイヤにしたかった。これでリアキャリアに1?kgの荷物を積むヘビーデューティーなサークル合宿も安心して走れる。

おかげで前後のタイヤの重量差が二倍近くあるのは秘密だ。


新しいタイヤは気持ちがいい。剥がしたらばすぐグリップしまくるし、なにより痛みのない綺麗な見た目がいい。デトネーターは青いリボン付きのものを買ってしまったので全体で見たカラーバランスはどこかおかしいが。

合宿中にサングラスをなくしたので、OGKのビアントを注文した。レンズ交換もできるようだしちょっと楽しみ。

自転車関係って地味にお金がかかるなぁ。なるべく安く済ませているつもりなのに。まあ、いいパーツとかいい自転車は羨ましいけれど、安いのをなるべくよくしようとする努力は意外にも楽しい。
おかげで愛着が出てどんどん乗り換えにくくなってしまっているのだけれども。

2009年8月7日金曜日

Dance Baby Dance!

ねぶた前東北合宿とねぶた合宿へ行ってきました。

一日目は仙台まで輪行。その後松島まで走ってキャンプ場で野営。

マスケンモリケンと三人で行った以来の松島。
夕暮れ時もなかなか風情があってよい。
夕飯はもちろん自炊。

お米を荷台に積んで気分はカブ東日本縦断編。

二日目は松島から石巻を経て迫まで。

野営地の近くに石ノ森章太郎の記念館があったので見学。


三日目は迫から海側に出て気仙沼まで。

天気にも恵まれ坂もまた愉しい一日だった。
気仙沼ではお店が開いていなかったので自炊に。


四日目は気仙沼から遠野へ。
海沿いからアップダウンの連続で、陸前高田からはずっとアップ。快調に上るも、結局最後の長い急坂にはヘトヘトになる。

遠野では、伝承園とかっぱ淵を見学。

かっぱは捕まりませんでした。
夕食の海鮮丼は感動の味。

五日目は遠野から花巻まで走って、そこから大館経由で青森まで輪行。
遠野からは下り道と思いきやかなりのアップダウン。しかも風も日差しも強くだいぶ苦しめられる。

青森でねぶたからの組や佐渡組と合流。
これにて東北合宿の走行部は終了。

ここからねぶた合宿!

二日酔いで起きた朝、それに屈さず八甲田丸見学やらで午後の着付けまで時間をつぶす。

八甲田丸は2004年に来たときよりも痛みが進行しているような気がした。もっといたわってあげてほしいなぁ。

飛鳥Ⅱも入港してました。


着付けも済んでいざねぶた!の前に飲み会。つぶれる人続出。みなさん自重してください・・・。人のこといえませんが。

ラッセーラー!ネブターズハイ!沿道とのCall&Response!!アドレナリンドバドバ!

いやあ、すごい祭りだ。


そして今日は昼から新幹線輪行で東京へ帰還。暑い。

まともに書いていたら三ヶ月ぐらいの長期連載になるので、超圧縮インデックス版でした。これでも長すぎるけど。
ちょっと濃すぎてまだ頭がヒリヒリしている。
自転車よりもねぶたで体力をだいぶ消耗したので、明日はゆっくり過ごそうかな。

夏はこれからだ!北海道への準備を明日から始めよう。

2009年8月1日土曜日

新しい夜明け

怒涛の木金が終わった。
木曜朝は教習所。これから一気に三連続で旅をするので次にいくのは八月の終わり。
今週試験の合間を縫ってちょっとづつ入れたので、八月終わりもそこそこ余裕を持って教習に望めそう。種子島が待ってる!
その後は岡田さんと新宿のカメラBOXさんにまたもやお邪魔し、横浜へ出向いて写真サークル呑みに参加、そして深夜からハウスハウスでの会議へ。北海道ツーリングへの話がより纏まったかといえば微妙だけど、何よりみんなで認識を共有できたことは大きいのでは??
とりあえず、こんどDX7を家から出そう。でかいからどうしてもしまったままになってしまう。弾いてやらないとかわいそうだ。
翌朝から合宿の資材で足りないものを調達し、午後は仮設会合のために横浜へ。夜は池袋で中国研修報告呑みに出て、そんなに遅くない時間に帰宅する。
そして今、荷物の最終チェックを終えて寝るところである。

合宿行ってきます。安全第一。とにかく安全第一で。
整備もしっかりしたし、後は寝るのみ。
遠野とか楽しみだなぁ!