2009年8月28日金曜日

引き続きクルマの話

明日から軽井沢行ってきます。とはいっても、あさっての昼には東京にいるわけですが。

今日は効果測定とみきわめ。
だからどうよって話ではないけど、教習も学科もこれが最後と思うと不思議な感じだ。



この間、コスモスポーツやその時代の車はなぜかっこいいのかという話をしていた。
個人的には、1970年代を境にクルマは家電か創作上の兵器(もしくはそのどちらも)へと変遷して言ったのじゃないかなと強く思う。クルマがクルマらしかったのはその時代までというか。
日本メーカーが作りあげた家電としてのクルマと、欧州のスポーツカーメーカーが牽引した過剰に進化し、現実離れした斬新さがもてはやされるスペシャリティーカーがその両極にあるように思える。
前者は言うまでもなく、工業製品として最適化された存在としてのクルマで、他の分野の製品の工業化においても必然的に発生しうる形態なのだろう。
後者は電子デバイスと材料工学の進歩により、クルマの性能と表皮が以前ほどにはリンクしなくなり、機能とデザインの分離が始まったことにより発生した形態なんじゃないかなと。実際、そういう流れが生まれる前からも、ガイガーやサッコみたいな極めて優秀なカーデザイナーは多くいたけれども、彼らの仕事は現在名前を前面に押し出して仕事をしているカーデザイナー(クリス・バングルでも奥山さんでもいいけど)の仕事に比べてはるかに制約の大きなものだったんじゃないかなと思う。
実際、サッコがいたころまでのメルセデスは「最善か、無か」を体現する設計体系で、すべての造型に理由をもたせていたというし、そもそもカーボンはおろかFRPやアルミすら高精度に成型できない時代を彼らは生きてきたわけだから、今のようなデザイナーの個性をやたらにぶつけ合うようなことは起き得なかったのかもしれない。
きっと日本車流のコストダウンが浸透する前に作られた自動車たちは、無論日本のスペシャリティーカーを含めてとてもクルマらしく、それゆえに見る人間に説明しにくい感動を与えるんだと思う。そのクルマたちを作った人々も純粋にクルマ(それ以下でもそれ以上でもない、それ自体で憧れなどを喚起するような存在)を作るために躍起になっていたのかなとおもう。

日本流のコストダウンがまずアメリカに行き(ダウンサイジングと前輪駆動化が始まるも、品質面で日本車に追いつけないまま日本車の路線を追従し始めたアメリカ車暗黒時代。個性もだけは失った。アメリカ車は壊れるというイメージはこの時代のせいとも言われる。)、90年代にヨーロッパにも浸透(このころまでにはほとんどの普及価格帯の欧州車が何らかの形でプラットフォーム共有をして、コストダウンを図っていった。)していったなかで、大手メーカーでは最後まで「最善か、無か」を貫いていたメルセデスがコストダウンとより商業的なブランド展開を急速に進め(アメリカ工場稼動あたりからか)たことにより、脱クルマの流れは決定的なものになっていったのだと自分は考える。
そういった意味でも、W126やW140は最後のクルマらしいクルマなのかもしれない。W126は隅々まで本当にすごいクルマだった。中学生の自分でもその造りの合理性をいくつも見つけることができた。
最近のヨーロッパの高級車に乗せてもらう機会がごくたまにあるけれども、隅々のつくりはW126よりもずっと国産車に近いようにも感じられる。それは、日本流の設計思想が今の時代感覚によりフィットしているということの表れなのかもれないけれど、それはそれで寂しいものだと強く感じる。
グローバル化によって効率のいい方向に移っていくことはしかたないことなのかもしれないけど、モノ作りの思想といったものまで淘汰されてしまうのは考え物だ。
特に大量生産を前提とした工業製品だと、製造のコスト効率で一概に比べてしまいがちだからなおさら怖い。




ちなみに、コスモスポーツ、まだ中古車で買えるみたいですよ。ロータリーの宿命で寿命が来てしまっているかと思いきや、普通に機関良好らしいし、なかなかこれはすごいことですね。男の夢ってやつですね。

3 件のコメント:

  1. 俺は月曜日卒検!

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  2. すげぇ普通に中古で売ってるな。
    割と常識的な価格だし買ってもいいんじゃない?w

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  3. >じょに

    明日江東で会おう!

    >あざ
    これはなかなかそそられますね。
    ビッグになったらね!

    ただ、ナロー911とジュリアは譲れない!!

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