2009年10月29日木曜日

仮設建築09から生中継にてお送りします。

仮設が立ち上がりました。



送信者 雑居雑食の日々 phase2


図書館のLANが動いていたおかげでPCから更新。
何とか無事に立ち上がって本当に良かった。






夜のライトアップされたトンネルはとても綺麗です。夕方に来ると結構いい雰囲気を感じられるのではないでしょうか?

2009年10月28日水曜日

日記を書こう

明後日、金曜日から横国の学園祭である常盤祭があります。
建築の一年有志で仮設建築をやっています。結構力を入れて進めてきたプロジェクトです。
お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りを。

それでもって、現場でみんなが作業を続けている中、明日の夜間残留に備えて早めに帰宅。
今日の作業で"かき揚げ"にも目処がたったのでよかった。
明日どれだけの戦力で棟上げを出来るかが勝負を決するな。
夜風はすっかり冬の感触。気がつけば10月も終わり。
あっという間だ。

2009年10月27日火曜日

写真のアップロードが遅いのでここで休憩がてら更新をしようと思った次第でして

昨日はY-PACミーティングが行われた。
少なくとも今中心となって活動している四年生の方々の情勢の変化もあるだろうから、今後この枠組みに何らかの変化が加わることは避けられないだろう。
そこで、Y-PACをサークルのような伝統社会的な思考停止型継承ではなく、枠組みを生かしつつ常に模索するために継承できたらと自分は考えている。
そのためには、まず僕らの世代がY-PACerとしての理念を体得していかなければならない。
自由な思考と試行が出来るこういった枠組みがすでにテンプレートとして用意されていることに感謝していかなければならない。
そういったスタンスであることをミーティングでは示したかったのだが、若干言葉足らずであっただろうか。

今回のミーティングは非常に有意義なものであった。各企画の拡充と、魅力的な企画発足などなど。
差し迫ったところでは11月1日に仮設建築内でY-PAC Radioの公開録音を行うことになった。
非常に楽しみである。

2009年10月25日日曜日

一気に変わる天気

朝からソケットの半田付けをし、午後からは仮設作業。といっても会議が長かったわけだけれでも。
昨日あたりから、総括企画のことを考えていた。
当然、後から見れば屁でもないようなものに鳴ってはしまうのだろうけれども、「数年後に見返すのが嫌でない」レベルの総括に、この仮設企画全体のコンセプトやポリシーをまとめていけたらと思う。

NHKスペシャルの自動車革命を見る。
この話題は父親がちょくちょく話していたのでいろいろ興味はあったのだけど、映像で見るのは初めてだったので非常に面白かった。
実際ヨーロッパの町にはレバを始め、電気自動車が多い。それは規制のゆるいヨーロッパの自動車行政によるところが大きいのかもしれない。(クワドリシクルや、イタリアのミニカーみたいに無免許で運転できる類の車があったり、イギリスのリライアントに代表されるような三輪車への異常な優遇政策があったりといったような小型自動車行政なわけで。)
そういったところから市場を獲得していって、世界進出の第一歩を作るというのはデウ・マティスとかでもやっていたことだし、王道といえるだろう。ただし、今回の場合規模や革新性の面では空前のものであるけれど。

アメリカでヒットするのに対して不足している点があるならば航続距離だろうか。ミネソタに行ったときも、お世話になった夫妻の車で一日数百kmを走ったりとかしていたわけだし、依然としてレジャー用途としての車にはガソリンエンジン車以外が入る余地はないのかもしれない。
しかしながら何台も同時に車を持つことが当たり前の社会ではあるだろうから、日常用のEVとレジャー用の内燃車っていう持ち方が一般的になるのかもしれない。往々にしてアメリカの人は車にヨーロッパ的なエンスー趣向を持たないから、EVが合理的であるとわかった瞬間からそっちにシフトしていくような気がする。

EVネタが出ると必ずや気になるのが電池寿命とトータルエミッションの問題。
特に中国とかの低価格EVは何回充放電出来るのやら。粗悪な電池を大量に使い捨てるように使えば環境負荷も恐ろしいことになりそうな気がする。
なによりも、10回乗ったら大して走らなくなったなんていうことがありそうだ。

FRPボディーのEVは革新的で、必ずやそっちへのシフトが進んでいく方向であろう。ただ、車と車がぶつかり合うことを想定して作っている現状では、FRPの車は危険すぎるとはおもう。
その強度ゆえにクラッシャブルゾーンが確保できず、車に大した損傷はないのにドライバーは死んでいたなんていう二昔前のF1みたいなことになりかねないなと。
だから、ビーコンにそって走るような全自動自動車のようなシステムになったりすれば間違いなくFRPなり軽い素材で自動車が作られるようになるんだろうなと思う。
今はきっとブレークスルーの始まりにあって、あの車は未来を先取りしているだけだろうか。

2009年10月24日土曜日

さあいよいよ仮設が建ちます

とはいっても今週後半にならないと建ちませんが。

昨日はY-PAC一年会を開いた。あんなことやらこんなことやとりあえずいろいろと話せたのでよしとしましょう。
未来の展望が少しずつ見れてきた感じ。後は動いてみないとわからないな。

今日は仮設。寝坊+湘南新宿ラインの遅延により大幅遅刻でコーナンへ。でももともと人の集まりは悪かった・・・。
すっかりおなじみの1.5tトラックで材を学校へ運び、その後は照明系の作業を全体でやった。
スポットの台座取り付けと行灯の試作を同時並行みたいな感じで。


帰り際に秋葉原のコイズミさんに寄って、仮設の演出機材となるスピーカーユニットを購入。
最初駅前のビルに入ったら、移転していてびっくり。結局駅の反対側のUDXの近くほうに移転していた。久しぶりに来るとえらく変化しているんだなあ、あの街は。
今日選んだモデルの型番はC085K03C。オーディオに使われるすっきりした型番のラインとは違ったロークラスラインの製品。9cmフルレンジで一発780円の代物だけど、これがなかなかいい鳴り。フォステックスはやはり侮れない。常盤祭が終わったら部屋にバックロードホーンだけじゃなくてもう一発作ろうかな。

帰りUDXの連絡通路を歩いていたら両端にLEDがライン状に引かれていて、「やられた!」と内心思った。うちのライン照明もうまくいきますように。

とにかく本番が楽しみだ。
課題もそこそこにってやつである。

2009年10月22日木曜日

初挑戦

照明資材を運ぶために車で学校まで出かけてきた。
朝の環八はひどい混雑で、玉川まで1時間20分ぐらいかかってしまった。予想以上にひどい。
ただ、第三京浜は恐ろしく空いていたので15分ちょっとぐらいで三ツ沢へ。実は一人で高速に乗るのは初めて。
近くのコインパーキングに車を預け、シンクウを受ける。評価は、まあ正当評価。前よりはがんばったけど、まだまだいけるはず。

午後の英語を終えたら絵画彫塑の手直しをして、帰宅。
帰りはハクビ君が同乗しての首都高経由。
彼は環状線を見たことがないというので環状線逆周りで目黒線目黒まで。
今まで見慣れた景色も自分の手で運転して走るとまた違った景色になる。
夕暮れの湾岸地域はいいなあ。
また機会があれば首都高クルーズしましょう。

2009年10月20日火曜日

三脚背負って歩けば晴天

課題を提出した後は、仮設の中で流す映像の素材を採りに三脚とD90を担いで新宿を歩く。
いつも何気なく通る場所も、映像のテーマに照らし合わせてみると当たり前でも見逃しがちだった性格が見えてくる。
週に何度も新宿で降りる理由は、帰り道にあるからというだけでも、便利だからというだけでもきっとない。その「生きてる」感じなんだろう。野蛮で躍動的なエネルギーがうまい具合に社会性によって隠されているというその雰囲気をファインダー越しに強く感じた。


Y-PAC TVが始まりました。

今回は小泉さんが司会となってON designの西田氏と中山氏にインタビューをしています。ヨコハマアパートメント内で収録。
個人的にはこういった感じの内容のお話は聞いているだけでも楽しくなってきます。
どういうアプローチでコミュニティーに関わっていけるかにソリッドな答えはきっと存在しなくて、そこにどうやってたどり着くかを日々柔軟に考え続けて行かなければと思いました。

次の企画の収録の際にはぜひ現場に立ちあいたい次第です。

疲れを口にしてみたり

さすがに週末が毎回つぶれていると、地味に疲労が蓄積してしまうようだ。遊んでいるんだから疲れもへったくれもないのですがね。

課題をやっているけど、出来ることの幅の狭さに辟易する。それは小さい紙に圧縮することの難しさという面もないわけではないが、何よりどうやって伝えたいことを視覚化できるかという面は大きい。

最近いろいろな人が話題にしていて聞き飽きたと思うけれど、明治のロゴが亀倉デザインから変わったのはいただけないということだけは言いたい。
現行クラウンが出たときに、それまで保持してきた亀倉デザインのエンブレムが外れて、新たにデザインされた大雑把なエンブレムがついた。それまでと打って変わって内外ともにエッジの強い性格を与えられたことから、キャラクターの違いを打ち出すためにはやむをえなかったことなのかもしれないが、それにしても安易な戦略のように当時は感じてしまった。
そして、今回また亀倉デザインが消えた。明治に何か大きな変化があって、そのシンボルとしてロゴを変えたならまだしも(だとしても良いとは思わないが。)、今回はそんな感じでもなさそうだし、いったいどういうつもりなのやら。
思い入れの強い商品が多いメーカーだけに、寂しい。

ロゴがブランド価値を生み出す上で重要だということは自明の理だろうに。

2009年10月18日日曜日

再び慌しい週末

金曜夜からジョンに会いに前橋へ。
久しぶりのジョンはジョンでした。
実はあんまり久しぶりでなかったりするが、それはまあ、そういうことだ。

夕食はクロサワも一緒に前橋の居酒屋へ。カジキは実においしかった。
その後はギネスとベルヴューを片手にいろいろ語らう。去年のヴェローチェでの日々を少し想う。

翌朝は群大医学部をちょっと見学した後、高崎までちょっと走ってサークルランに参加。
サークルランには初出動のFELTを見て多くのロード乗りの面々は「新車いいなあ!」といった。
実際サークルに限らずロード乗りの人と話すと、向こうのほうが良いグレードのバイクに乗っているにもかかわらず「新車いいなあ!」と来る。
でもその感覚はわからなくないものなのかもしれない。きっと新車になじんでいく最初の段階は特別なものなのであろう。ピカピカの車体と駆動系、それらを自分に合わせてゆっくりとセッティングを変えていく過程が幸せなのはきっとすべての自転車乗りが知っているに違いない。

その日の昼は水沢うどんを食べる。以前食べたお店よりも味も量もよくてなかなか満足度が高かった。
グリーン牧場で動物と戯れたりかぼちゃを運んだ後で坂を上り伊香保温泉街へ。
実は今年の四月にも家族旅行で伊香保には訪れていたのだけれども、一緒にいる人が違うとまた景色も違って見えるもの。

そして、今日。
伊香保温泉街から榛名湖まで駆け上がる。ちなみに、登る道は某ドリフト走り屋さんマンガでおなじみの道。時々意図的にアスファルトに溝切りがあったり、事故の跡と思しきガラスの粒が転がっていたりとなかなかすごい。



紅葉が進む山道を風を受けて走ることは自転車に乗る喜びの中でも結構大きいほうに違いない。
今年もこの時期が来た。何回山にいけるかはわからないけど。



榛名富士にロープウェイで登ったりした後は坂を下り榛名神社へ。





山の中の長い参道を歩いた先にある立派な本殿。大きな杉の木と岩に囲まれた幻想的な空間にたたずむ荘厳な姿はとても印象的だった。

参詣後は坂をひたすら下り、高崎駅へ。輪行をして家に帰った。

疲れはそこそこだったはずなのだけど、やたらと眠い。
身空の文のアウトラインができたので寝る。

2009年10月15日木曜日

風を受け

今日は授業開始が遅かったことと、天気がものすごくよかったことから、FELTに跨って学校に行ってみた。
環八から国道一号に入って三ツ沢まで一直線。
41kmを1時間40分ぐらい。電車と変わらない。
朝の環八は混雑していたけれどこのタイムってことは、昼間なら1時間30分を切る?
とりあえず、ロードバイクは脅威の乗り物だということがよくわかった。軽くてぐんぐん伸びるから最高に気持ちがよい。

身空は、あんまり時間をかけなかっただけに芳しくない評価に。正当評価でしょうね。しっかりがんばります。
アウトプットの手段をしっかり持ちたい。出し切れなかった自分がみっともなくて仕方がない。


授業終了後は、マルチの榑沼先生と久しぶりにお話させてもらう。
毎回テーマは存在してこそいないが、演繹的にさまざまな分野にクロスオーヴァーした会話を繰り広げることで、考えのすりあわせができるのが非常に面白い。
僕は、アンテナから得た情報を自分ひとりでは処理しきれない。それゆえ、いろいろな人と話すことでグリッド・コンピューティングのようにその人々から解釈をもらって自分とすり合わせているのだろう。
いろいろな情勢の変化があってても、これだけはずっと続けていきたいと強く願う。

仮設の照明が一進一退を繰り返している。どうしても頭の中でのシュミレーションと違うので、そこがつらいところ。どうにかしたいものだ。

帰り着いて、明日からの合宿の準備を進めているところ。
本当はもっと余裕があればいいのだけれども。

2009年10月13日火曜日

Break through!

今日は中国語の授業のあと課題を提出、その後石川町でバイトの面接に臨む。

晴れてベロタクシーに乗務できることになりました。週一から乗せてもらえてよかった。
これから研修を経て横浜の路上に出ます。関内とかみなとみらいのあたりを走る予定。
タクシーというよりは、浅草の人力車やヴェネチアのゴンドラのようにゆったりとした交通機関。
事務所の人々も気さくな感じでこれからが非常に楽しみである。
結構ドライバーの人の中には建築系の人も多いようで興味深い。


面接の後は早稲田に直行。週末手伝わせてもらったヤマチカの課題が講評に上ったという話を聞いてわくわくしながら。
いろいろな人のプレゼン、それに対する先生方のコメントを聞くだけでいろいろと考えることがいっぱいで興味深いもの。
自分が少しでも手伝えた製作の講評ならばそこから得られるものは何倍も多いのだと強く感じた。
ボードに自分がシャッターを切った写真があったのがちょっとうれしかった。
個人製作もできる限り手伝わせてもらいたいです。

帰宅後は自転車屋さんへFELTをとりに行った。
しっかり交換が終わっており、帰り道だけでも十分に楽しめた。週末が楽しみだ。

慌しかったけど、いい一日だった。


羽田のハブ化でもめているようだけど、なんだかなあ。
中長期的な戦略で成田のキャパが東京の国際競争力のボトルネックになるというのは自明なんだから、羽田国際化は誰もが言っていることなわけだし。
国際空港がひとつしかないという認識はいかがなものかと。
NYにもJFKとニューアークがあるんだし。うまく割り振ってでも、分けていかないと空港のキャパシティーが流通のボトルネックになってしまう。
短くまとめられそうにないから書けない。
もっと深いレベルの話を携帯メールでアイウチとやり取りしていた去年の今頃。
一応受験生だったはず。

Y-PAC Radioを聞こう。

2009年10月12日月曜日

三連休終了

ごたごたしているうちに三連休は終わってしまった。
Archi-TVにも出れず、課題も終わらずと情けないこと極まりなしだけど、やれることをできる限りやったようなそんな気分。

今日は仮設に行ってきた。
早速寝坊で遅刻という失態。コーナンに遅れて到着。そこから木材を1.5t車に乗っけて運搬。
2度目ともなるとそれほどビクビクはしないで済むようになった。
途中イトウさんから椅子を受け取る。朝方からご迷惑をおかけしました。
運搬終了後学棟裏に戻り、切り出しと組み立てを行う。
今回は椅子の屋根のあしの取り付けと、座面の完成。人数がもっとほしいのは言うまでもないが、みんなの献身的な働きで割合いい進捗だったのではないかと思っている。

あとでサイトの更新もしなければ。


そういえば、メルセデスの新型フラッグシップクーペがお披露目になった。
http://openers.jp/car/exclusive_auto_collection/mercedes_benz/sls_amg_090914.html
SLR自体でも300SLを彷彿させるデザインだったのに、今度は直球で300SL。
こういうリバイバル戦略が最近の自動車業界でははやっているけど、過去の遺産を食いつぶしている感じがして僕はあんまりいいとは思えないなあ。
それだけ、昔のデザイナーの作品に普遍的なよさを見出せるということなのかもしれないけれど。
PTクルーザー、ビートル、ミニ、チンク、マスタング、チャレンジャー、カマロ・・・・
MINIとかは広告戦略や全体のパッケージングで先代の香りをポップな色でうまく隠しているようにも思えるけれど。
ちなみに、このSLSは今後完全な電気自動車ヴァージョンが発表される予定だとか。コイズミさんがTwitterで発言していた通り、グリルなど電気自動車に必要のないデザインはどうなるのか。いまだに世界のカーデザイントレンドに影響力をもつメルセデスのプロダクトデザインだけに、SLSがどうその問題を扱うかが今後の流れを決めていくのではないかと思っている。

メルセデスの購買層はコンサバだから、グリルが無思想に残ってしまう可能性もありますが。

さあて課題。

2009年10月11日日曜日

ここ2=?iso-2022-jp?B?GyRCRnwbKEI=?=

密度の濃い週末になった。
そしてまだサタディナイ。
体力が持つかな?心配だ。

2009年10月8日木曜日

通勤は戦争か

台風が通り過ぎていく晴れた空の下。
いつもは1時間半で通学できるルートを2時間40分かけて通学。
強い風の中でも新宿はいつもの朝の顔。薬局や服屋の野外陳列もいつもどおり。飛ばされてしまわないものなのか?

授業を受けた後は企画団体総会へ。
リーダーお疲れ様でした。

帰ってからはバイトの履歴書書いたりなんだりしているうちにこんな時間。
すばらしいバイトにつけるかもしれない。決まったら何らかの形で報告します。

2009年10月7日水曜日

嵐の前哨戦

今朝は朝から横須賀線で人身事故が発生したようで、湘南新宿ライン、東海道線あたりが止まってしまった。
新宿乗換えをあきらめて、渋谷で東横線に乗り換えた。運よく特急がつかまり、20分遅刻で済んだ。
事故が起きると東京は一気に血栓が詰まったようになってしまう。特に詰まりやすい山手、湘新を使ってると、2週に一度は障害に出くわす。

秋の夜長はToto。



Totoにマイルスが参加したこれとかもかっこいい。

2009年10月6日火曜日

ドック入り

学校を上がってからすぐに帰宅し、FELTを車に乗せて販売店へ。
こういうときにミニバンは強い。
FELTの対応も迅速であった。明日には部品を発送してくれる模様。週末ぐらいには復帰できる見込み。
秋ランにも間に合いそうだ。


トヨタが作るFRボクサーがやっとプロトタイプになった!
詳細はこちら
コンセプトとしてはハチロクをモチーフにしているらしい。スバル色は薄いなあ。
300万を下回る程度の価格だとか。
2リッタークラスだし、エイトが結構安価で売られていることからも、インテグラクラスの値段が妥当にも思えてしまうのだけど、そういう安価で基本的なスポーツカーってのは最近は流行らないんだろう。そこはハチロクの時代とは違うに違いない。
スポーツ系を買うのはあくまでエンスーか中高年って感じなのかな。何年か前の発表のときからプレミアム路線で売れば活路は見出せると判断していたのだろう。
にしても、どこか中途半端だ。
あえてのボクサー+FRなのに、車体が質素でない。せっかくライトウェイト風のコンセプトなら、もっと尖らせればいいのにともおもうのだけど、前述の通り買う層を考えての配慮なのか。
そもそもクーペ買うような余裕があってスバルにこだわらない人はZとかに流れてしまう気もするし。
S2000にしてもそうだけど、00年代に2リッタースポーツを売るのは難しいんじゃないかなぁ。。。

大叔母がスバリストなこともあって小さいころからスバルには思い入れが強い。トヨタ傘下に入ることが知らされたときには結構ショックでも合った。それだけに、トヨタに吸収されたときから持ち上がっているこのプロジェクトは気になって仕方がない。


鳩山氏の献金問題が夕刊一面にぜんぜん出てこないのはなぜ?

2009年10月4日日曜日

運んで運んで組む

朝から仮設。
コーナンから大量の木材を軽トラで運び出し、学棟裏まで運んで切り出す。
幸い多くの人が集まったおかげで、全体としては非常にいいペースでいろいろなことが進んだのではないか。

送信者 仮設09



世間ではいろいろなことが起きているようで、鈴鹿がもう終わっていたり、中川昭一が死んでしまったり。
F1最近見てないからなんともいえないけど、鈴鹿は面白いよね。前に鈴鹿でやってたのはこないだのように感じられるけれども、もう三年も前になるのか・・・
GTで時々見るせいもあるのかもしれない。

2009年10月3日土曜日

なんということでしょう


昨日の飲み会と睡眠不足のせいかだいぶ遅めに起きた今日。

午後になれば雨も止んでいたので、ディレイラーの調整を再度した後で走りに出かけてみた。
環八から笹目に入り、和光市近くの荒川河川敷へ。
道が速いので地図で見る以上に近い。
慣れないポジションに苦労しながらも、25分くらいで着いてしまう。実際近いのだけれども、新入りにまたがっていると感覚的にもあっという間。

河川敷をちょっと流したりしながらのんびりとすごす。
写真は河川敷から見えるとある工場。
やたらと配管が多く、コンパクトながら見ていて楽しい。

暗くなる前に帰ろうと河川敷を出て道を走っていたとき、ギアが突如として外れた。
「ああ、調整がまだ甘かったかな・・」とか思い、ちらりと足元を見たら・・・・・


あってはいけないものがそこに・・・・・

「・・・こんにちは・・・・」


しばらく唖然とした。
結論としては、ディレイラーハンガーがポキりと折れていただけで、フレームにはなんら影響はなかったのだけれども、まさかのタイミングでのまさかのトラブルだけになんとも言いがたい脱力感が・・・・
これで部品到着しばらく乗れないしなあ。販売店へ戻すと結構な時間もかかってしまうし、なかなか残念だ。

帰りは和光市の駅まで歩いて、ビニール袋輪行。
テストなんてこんなもんさ!と言えればいいのだけど、変に気分が盛り上がっていたのでこういう事態は飼い殺しのようでつらい。

早く乗りたい。

2009年10月1日木曜日

学校はじめっ!ぐうたらやめっ!

始まってしまいました。後期。
返ってきた成績には不満もあるけど、落としたりしてないしまあ気にしないことにします。相変わらず文系の成績でしたね。

急いで帰宅して、ちょっとメンテの後新入りの初乗りをしてきました。
いやあ、ロードらしいガツンとした加速や、ダイレクトな乗り味はちゃんとありました。
悪くないね。
フロントの調整がまだ終わっていないので大した距離は走ってないけれど、好感触。

買い物でR3にも乗ったのだけど、この二台は仲良くやっていけそうな気がした。