2009年12月30日水曜日
足でかせぐということ
年末ということで観光に来ていた人も多かったようで、多くのお客さまに乗っていただくことができ、非常に充実した初陣となりました。
これほど忙しく、身入りも良い日はなかなかないでしょうけど、それを抜きにしても十分にやりがいがあるなあという印象。
いろいろと至らないところはあったので次からはしっかりと直して行かねば。
なんで、ロシアに惹かれるのか。
別にここ最近始まったものではなく、中学生になったあたりから強烈にソビエトに対する興味が絶えない。別に思想的にコミュニズムに傾倒したとかいうわけでもなく、無論ロシアに行ったことがあるわけでも、その時代に対してのリアリティーがあったわけでもない。
おそらく社会主義リアリズムから派生する様々なモノが良くも悪くも「馬鹿げた」「不条理な」ものであったからであろう。
スターリン様式の建物だって、軍用機だって、工業製品だって、コロリョフのロケットだって、いつも何も知らない僕の「怖いもの見たさ」を刺激するのには十分だった。
本やネットを繰る度に見えてくる不可思議なモノたちと、歴史的事実が示すアイロニカルなそれらの行方に異常なまでに興奮をしていたのかもしれない。
そういう社会主義リアリズムをパロディカルに使ったアートは単純で安っぽい分、わかりやすくて面白い。自分たちの包囲されていた(いる?)潮流を皮肉るためにシニカルにその流れをフォローするような感じ。YMOにおける「君に胸キュン」とおんなじ事態?
北京に行っていたときにイワタと大山子にある798芸術区に出かけたことがあった。昔中ソ関係が良かった頃にソ連の技術支援で建てられた工場の跡地がそのまま現代アートの基地となっている施設である。
展示内容は、マオイズムを皮肉った内容のモノが多く、もともとの敷地の歴史も含めて施設全体が大きな社会主義リアリズムのパロディーランドと化していたようにも思えた。
もう三年近く前になるので、今のそこの現状は分からない。もしかしたら中国のモダンアートが深化をしてそういったパロディから完全に脱却してしまっているのかもしれない。そうだとするとなぜか少し寂しい気もする。
なにはともあれ、「社会主義」が死んだ後の時代に育った人間だからこそ社会主義リアリズムに対して恐怖や憎悪を抱かずに純粋に「楽しむ」ことができるのかもなとも思えてくる。
死んでしまえば、その遺物でどう遊ぼうとこっちの勝手だ!というような乱暴な考え方でもあるけど。
社会主義リアリズムを悪趣味にパロったPet Shop BoysのPV。
ゲイでコミュニストって最悪の食い合せだと思う。
たのしいね。
2009年12月28日月曜日
ツインクラッチ初体験
午後にふとしたきっかけからVWのショールームに行ってみることにした。
我が家の車も結構な年で、いつ壊れるかわからないのでとりあえず次期導入車を選んでおかなければいけない。
そして、TSIとDSGにより恐るべき諸パフォーマンスと、お手頃な価格を持つGOLFのヴァリアントがその候補最右翼となっているため、その効果を見るためにも出かけてきた。
開放的でカジュアルな雰囲気のショールームはとてもいい印象。高級車メーカーではないけど、そこがいい。
試乗をさせてもらえる事になったので、ぜひといった感じでハンドルを握らせてもらった。
スーパーチャージャーとターボチャージャー(しかもインタークーラー付)のおかげか1.4lとは思えない加速。ちょっと踏み込むだけで車速は静かに伸びていく。日本車に比べてマッシブな操作系統のせいもあってか、異常に安定しているように感じられる。日本のCセグ車ではこの安心感はきっと味わえない。
気になるほどチャージャーが効くまでのタイムラグもなく、DSGでは理論上起り得ないクリープもソフト面の調整でうまい具合に演出されていて、システム全体での完成度の高さに感動した。さすがは世界のベンチマーク。
ギアがつながり、回転数が上がる感触はマニュアル車の気持ちよさそのもの。オートマ特有のトラコンが滑る感じが全く無く、完全にエンジンと車がつながっているような感じ。
それでいて実用燃費はカタログ数値以上に良いのだからびっくりだ。実用燃費ではハイブリッド系にも引けを取らない程いいのに、ハイブリッド系のように二次電池製造のための多大な環境負荷をかける事もなく、走りも気持ちいい。
少なくとも、生活に使う車としては現時点でのベストアンサーなんではないか?とすら思えた。
いろいろとディーラーの人の話を聞きながら日本でのVWの立ち位置の面白さを感じていた。
曰く、車が好きな人やワーゲンファンの人以外にもメルセデスやその他の高級外車に乗ってる人がよく来るらしい。その理由は、ワーゲンならイヤミにならずに他のドイツ車並の品質が手に入るからなのだとか。
そういうソーシャルアイコンとしての存在を否応なく持たざるをえない車という道具の面白い特性だと思った。
2009年12月27日日曜日
年末をゆく
基本的にレイアウト変更はナシで、散らかった部分を整理し、以前設定した規則を復活させることに終始していた。
こう考えると、案外自分の部屋も狭くはないのかもしれない。UFOチェアを広げても以前のようには息苦しくはならなくなった。
先日ウエノ君の引越しを手伝った時に、彼の荷物の多さにびっくりしたけれども、僕も自分の部屋だけで相当いろいろなモノを抱えていることに気づく。少しでも整理の規則が崩れると大変なことになってしまうのだ。もう少し身軽になりたい反面、いろいろなモノを見るとそこに思い入れを感じてしまい、捨てることはなかなかできない。直さなければいけない性格だ。
一昨日たまたまKula ShakerのHey Dudeのシングル盤の音源を入手した。
昔イオさんに教えてもらった時(たぶんフジに来日していた時だから3年ちょっと前?)に異常に好きになった記憶はあるのだけれども、ここ一、二年はあまり聴いていなかったのですごく懐かしい。
シンプルだけどカッコいい。ボーカルイケメンだし。
一度ライブ見てみたいな。
2009年12月25日金曜日
新戦力
新しいヘッドフォンを買った。今使っているFOSTEXには遮音性がなく筐体も大きいのであんまり通学には向いていないので、インナーイヤーホンを買い足すことにした。
さんざんインナーイヤーに拒絶反応を示しておきながら結局最後には買うことになってしまいました。
お店に行くまではUltimate Ears Metro.fi 170か節約してテクニカのATH-CKS50を買うつもりで
いたのに、気がついたらShureのSE102が手元にあった。
SE102の前身に当たるE2Cはゆっちーに貸してもらって何度も聴いたことがあるので、音自体に新しい発見は無いのだけれども、遮音性も高く、比較的フラットかつ元気よく音を鳴らしてくれるという魅力は大きく、結局は選ばれる事になった。
ただいまエージング中。ただ、そんなに化けそうな音はしていないなあ。明日の朝までで切り上げて外に持っていこう。
これで電車の中でも快適に音楽が聴ける。
ツイッターで知ったのだけれども、フジファブリックの志村さんが亡くなったらしい。
あんなに濃くて、一度知ったら忘れられないような強烈な個性を持った人が亡くなったという実感が未だに湧かない。
中3の時ぐらいに初めて出会った時の何とも言えない感じを未だに覚えている。彼なき後のフジファブリックはどうするのだろう。
イアン・カーティス亡き後のジョイ・ディヴィジョンからニュー・オーダーが生まれたように、強烈な個性の反動が起きるのだろうか。
ショックである。
好きな曲は数あれど、やはりこれが一番好き。あとは陽炎とかダンス2000とかかなぁ。
2009年12月24日木曜日
引越し屋さん
ウエノ君の引越しを手伝ってきました。
星川で2tダイナを借りて向かうは三ツ境。
シフトの配置が違ったり、サイドブレーキがプルターン式じゃなかったり、クラッチが重めだったりとなかなか楽しいヤツでしたが、特に特筆する事態は起こらず淡々と任務をこなしてくれました。
ウエノの部屋につくと部屋の前に数個のダンボールが。「なんだ、車がでか過ぎたか。」と思ったのもつかの間、彼の部屋には生活物資がまだしっかりと備えられているではないか。
タナカと三人で頑張って荷造りと積み込みを行い、日も傾いてきた頃に三ツ境を出発。彼の新居のある和田町へ。
荷降ろしをして車を返す。荷解きまでできなくてすまなかった。
家の車をトラックと引換えに受け取ってヒロタ君を横浜駅に送った後は第三京浜と目黒通り経由で目黒の祖父母の家へ。
一連の会の後さっき帰宅。
といった流れであった。
ミッション車の直後にオートマに乗るとしばらく加減速が怖い。スロットルワークだけで走るオートマって乗り物は実はすごく乱暴な操作系統だなと強く感じる。
2009年12月22日火曜日
お疲れ様でした
来てくれた人はありがとうございました。出演者一同はお疲れ様でした。
タジミタカヒコはチケ係でしっかりと見れず。
次のアニソンバンドは、曲こそ殆どわからなかったもののなぜか異常に楽しめた。多分ステージ上が楽しそうだったからかも。久しぶりのヤマチカドラムにグッときた。やっぱり彼のドラムは大好きだ。あと、和がめっちゃ頑張っていたのが印象的だった。サトケンさんは早稲田祭で見た時以上に上手くなっていた。ドコまで行くのだ・・。
我がMeltin'は今回はスギヤマがベース。前回に引き続き定ベース不在の状況が続く。パフォーマンスはまだDVDを見ていないからいかほどのものかよくわからないけど、今までで一番グダグダだったステージだったことは確か。ノンMC、最後にオザサソロという伝統は今回に限って完全になきものとなった。個人的には今回掛け持ちがなかったこともあってか喉の調子を殆ど悪くせずに臨むことができたので非常に気分は楽であった。いつかのT2だけで出演のヘッドパワーの時以来。
本当はもう少し練習して詰めて臨みたかったなあという印象はある。
コルピバンドは今回はモリモトがヴォーカルに入ってました。髪をかき分け器用にヴァイオリン越しにシャウトをするタジミがカッコよかった。そして相変わらず鵜飼くんはうまい。やっぱりコルピはいいね。コルピと喧嘩は江古田の華だ。
フロアの煙とモッシュのしすぎで気持ち悪くなりながら見たロザリオスバンド。良かった。いいパフォーマンス。
最後はぬらり。いつみてもぬらりはぬらりでした。安定感があるし、なにより見ていて引き込まれる。イオさんのベースが懐かしい。
終わった後は台湾屋台村さんにて打ち上げ。正直、武蔵生飲み史上稀に見る酷さだったと思う。
ここでは書けないようなことばっかりで、お店に対して本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
とりあえず、お疲れ様でした。また、いつかそう遠くないうちにライブをできたらなあ。
普段あんまりあえない人が元気でいるのが見れただけでも満足です。
2009年12月20日日曜日
金曜と土曜の境目は消えた
金曜の夜はスタジオだった。
いつぶりかのナイトパックで夜から朝まで。僕が倒れていた前回の練習でだいぶいろいろなことが改善していたようで、随所に妙な安心感を覚えながら歌っていた。
それにしても、掛け持ちで大量にスタジオ練を入れざるを得なかった当時に比べると、喉が元気になってくれる。高一ぐらいに戻ったような気分。当時より体力が落ちたのは目に見えてわかるけど。
前日に歌舞伎町の信濃屋さんで買った贈答用の日本酒を持って帰宅。
濃い青の空と白む東の方の景色、オレンジに照らされるドコモビル。冷えた手足の先と鼻の中にまで入り込んでくる朝の冷気が年末年始特有の不思議な感覚をくれた。
まだ明日は日曜日。いろいろと消化しなければいけないことは多い。
2009年12月17日木曜日
テレビを見ていた
嵐の日に多くの漁船が港に避難し、多くの漁師たちが街に戻ってくるといったような内容の番組だったのだが、今年の夏に気仙沼を訪れた時に入った銭湯が画面に登場したために思わずその続きからも目が離せなくなってしまった。
漁師の人が見せた陸に上り普通のおっさんと化してパチンコやスナックに入り浸る姿と、嵐が去った快晴の朝に仲間とともに船を操る凛々しい姿とのギャップが実にカッコよかった。
自然と対峙する職業の人々のより人間臭い一部を見ることができたからこそ、その海へ向かう姿はより印象的に見えてしまう。
今回はなんといっても漁師以外にも彼らを支える人々、コミュニティの姿が写っていたのがとても印象的だった。全国から集まる彼らの一時の家となり、生活の場となる。そんな性格を持った気仙沼の特殊性というのをすごく感じられた。
実際今年の夏に気仙沼の銭湯を訪れたときにもそれは強く感じていたことでもあった。
銭湯のロッカーの半分ぐらいは馴染みの船員の人のものと思しき洗剤や石鹸の類のストッカーと化していたし、同行していた某氏が洗濯をしようと洗剤を番台で買おうとした時も、番台のおばさんが「下駄箱の上にある誰かの洗剤をちょこっとだけ拝借しちゃいなさい」みたいな感じにフレキシブルに対応してくれたり。
きっと、外から来た人を受け入れ、そのコミュニティーに溶け込ませるという行為がある程度日常化しているのだろう。そしてその行為の核となっているのが銭湯だったりスナックだったりと言った人間の結節点の役割を果たす事のできる施設なのかもしれない。
同じ東北とはいえども、一つ山を越える度にその街々のもつ性格は違う。昨日の夜に寝ぼけながらも先輩方とツイッターで語らったことに少し繋がるのかもと思いチマチマ打ってみた。
こないだなぜかツイッターで平沢師匠の話が出たので最近妙に平沢熱。
最近リカンベントについて調べていたら師匠もリカンベントユーザーだということがわかった。どうやらRIDE THE BLUE LIMBOのLIMBOはリカンベントのマシンの名前なんだとか。
PVでも乗ってた。このPVも平沢節全開で非常に中毒性が高いなあ。
なんか、リカンベントと似あうなあ。ロードではないだろうし、ましてや山系チャリではまずないからなあ。
高校のときに岩田あたりに教えてもらった当初はなかなか取っ付きにくかった平沢進ワールドでしたが、いつしかその味がわかるようになりました。
2009年12月16日水曜日
インフルエンザに罹っていました
検温をしたところそこそこ熱があったのでその日は仕方なく寝ることに。
夜にかけてどんどんと体調が悪化して行きインフルエンザの疑いが強まったので、翌日に近くの病院に行き診てもらう。
案の定インフルエンザにかかっていた。症状が厳しいと人は無力なもので、いつも以上に人の手に頼らなければならなくなる。いつもどれだけいろいろなことをしてもらっていたのか、いつも自分がどういう生活を送っていたのかがつぶさに分かるようでなかなか情けない。
おかげさまでなんとか熱も下がり、予備睡眠もたっぷりとったので現在はほぼ平常通りに戻った。医師と学校曰く熱が下がってから二日間は学校に行くなとのことなので、明日も自宅待機。
できたブランクを有意義に使わねば。
先週末に生まれたいくつかの中期目標(夢?)。今はまだいろいろと公にできる程にまとまっていないけど、以前から存在したものが発展したものともとらえられるので、大切に育てていきたい。
一生残るはず、これは。
一部ではDelay Linerと馬鹿にされていた787もついに初飛行。340みたいに初飛行してから更にもたついたりすることがないことを願います。
エンジン音は最近の大バイパス機の中でもかなりバラバラとしゃがれ系。
飛行中の羽のたわみ具合もすごい。さすがはカーボンファイバー製。
2009年12月12日土曜日
陽の当たるこの道は過去への逆走路
相変わらずめるてぃんの集合は非常にグダグダ。定時到着はなんと僕だけ。ああ、いつもの流れだとか思いながら練習へ。
メンバーが揃ったところでブランクを打ち破る定番曲から入る。
いや、いつのめるてぃんの初回スタジオよりもまとまっている。
リスキーな編成とブランクながら恐れていた自体は回避できた。特にスギヤマくんの努力によって。先週家でベースを発掘した人とは思えない。思えば厳しい時はいつもマルチロールな彼によって救われてきたのだと再認識。
にしても、音を合わせるのって楽しい。ブランクが大きい分、その喜びを切に感じる。まともに楽器ができるわけでもないけど。
スタジオあとはタジミくんと合流してドライブへ。大黒には走り屋さんしかいなかったけれども、異常に楽しかった。やっぱり、こう久しぶりにじっくりしゃべる機会があったってのが非常に良かった。いろいろとありがとうございました。
にしてもT-5Rはあのボディーからは想像できないくらい速かった。
思うのだけど、ボルボの車内って独特の匂いがあるよね。前に知り合いの車に乗った時と同じ匂いがした。
いろいろとゴタゴタしているうちに今日も終了。
今日は早く寝てしまおう。実は自覚がないままそこそこの時間起きっぱなしになってしまった。
2009年12月8日火曜日
日本晴れ
昨日湘南新宿ラインの中で手袋を外して寝たまま横浜についてしまい、急いで電車を降りた後で片方の手袋を車内に置き忘れたことに気づいた。
その昼に忘れ物センターに連絡してもないので、もう帰ってこないかなと淋しい気分で今日の昼に連絡を再度したところ、新宿駅でそれと思しき手袋が届けられているという回答が!
明日片割れとともに彼を迎えに行きます。よかったよかった。
今日はベロタクシーの研修。
路上をしっかりと走ったのは初めてなのでいろいろと新しいことの連続。
走るベロに向かって小さい子供たちや中高生が好奇の目と歓声を投げかけてくれるたびに、これがシンボリックな乗り物であるということを再認識させられる。きっとベロが横浜の町を走ることがパラダイムシフトへの小さな一歩になっているのだと感じた。
ものもらいにかかってしまったようだ。
帰りに横浜駅前の眼科に寄ったら「疲れてるんじゃない?」的なことを言われた。
ものもらいとなったらジャック・スパローみたいな眼帯をつけるのかと思ったけど、そうはならずに普通に点眼と飲み薬でゆっくり治療していくのだとか。外耳炎の点耳が点眼になったような感じ。
私信
ノセ君。例の山から撮ると。コンデジの光学ズーム(3倍モデルだけど、センサーサイズがわからないから画角は不明)いっぱいでとるとこんなかんじの構図が出来ました。
2002年か2003年に撮った写真だからいろいろとひどいのは許してね。
2009年12月7日月曜日
慌ただしく週末は過ぎ
お金も結構飛んでしまったけど、普通に飲んで使ってしまうよりもなぜかすごく有意義な使い方をしたような気がする。
某氏へPakerを渡したのだけど、あのブランドはなんであんな価格であんなに満足度の高いモノを作ってくれるのかと感動してしまう。
http://www.parkerpen.com/jp/discovery/range/iconic/parkerim_travels
こういう粋なサイトもまたとても素敵。僕はジョッターを持っているのだけれども、彼に渡したIMというモデルはその後継型のようで少し軸が太くなっている。
あのメーカーの下級シリーズは道具として洗練されている度合いが桁違いに素晴らしい。
どちらにせよ、空の男に持たせてみたかったってのはある。
今日は今日とていろいろな作業を用事の合間に挟めたので比較的充実した一日となったはず。
G1H化計画はうまくいったとは言えないかもしれないけど、まあ、久しぶりに髪を切るってのはすごく気持ちがいいです。
さあ、もう寝よう。
2009年12月5日土曜日
あっという間に一週間は過ぎ・・・
いろいろなタスクやイベントが集中していたせいもあってか余裕のない一週間を送ってしまった。
今月21日にめるてぃんでライブをやることになった。初のシンセベース体制で、期間も短いけれども、楽しみなことになんも変わりはない。
怖いのはブランク。ブランクの多いめるてぃん4年の歴史の中でこんなに長いブランクがあいたのは初めてなので、みんなどれくらいあわせられるのかが不安。
とりあえず、腹筋しよう。最近サボりっぱなしだ。
先週末が完全に旅行でつぶれてしまっていたので、週の前半は大体模型作りに費やしてしまった。自分が考えていた形は決してトリッキーであったり斬新ではないのだろうけど、それが模型という形で空間に成っていくプロセスは異常に刺激的だった。
水曜に図書館でやっていた二年の先輩たちの展示を見てきた。
なにか上手いことを僕がいえるわけではないが、この展示を見て何かすごくすっきりしたような気がした。
まだわからないうちはヘタに考えてもつまらない。建築は楽しいんだ。そういったシンプルな気持ちにさせてくれた一週間であった。
Y-PACradioのダウンロードも終わったし、聴きながら寝る準備を進めていこう。
2009年11月29日日曜日
金沢弾丸トリップ
金沢へ行ってきました。
金曜の夜に横浜でセレナを借りてひたすら走り、朝には金沢へ。
二時間ちょっと車内で仮眠を取った後は宿の駐車場に車を置いて市内へ。
とりあえず兼六園と金沢城という定番どころを押さえながら散策。
昼は金沢カレーを食べる。
その後は21世紀美術館へ。オラファー・エリアソンの展示会がやっていたりした。詳細は後ほど。とりあえず、とても楽しめた。
夕方は日本海に沈む夕日を見に日本海側へ。海に沈む夕日はやはり美しい。フェリーと北海道以外では初めてかも。
夕食は近江町市場で海鮮丼を食べた。そこのお店は回転寿司もやっているようなのだけど、その設備がやたらとハイテクでびっくりした。たいち調べでは金沢は回転寿司マシンのシェアが全国一位らしく、それが関係しているのかもしれない。
夜は宿ではなく近くの風呂屋さんへ。浴衣に下駄でからからとひがし茶屋町の街並みを歩く。これも宿の粋な計らい?寒いけどとても良かった。
軽く飲んで寝て、今日の朝はこれまた定番武家屋敷を見に行く。
途中人の家の庭に入れてもらったりとなかなか面白い散策になった。いろいろと丁寧に説明をいただけたのもまたありがたい。
12時前には金沢を出て北陸道と上信越道を経由して横浜へ戻る。
今回の旅行で一人当たり580kmぐらい走った。そして全体では東名走破。個人的には先週分とあわせて上信越道走破。となった。
オリックスさんが初心者対策で古い車を回したのかどうかは定かでないけど、セレナは10万キロ落ちの先代型でした。ブレーキのミートも遅く、パワーもなく、カーブではふらついて、燃費も悪く、ノイズも大きかったけど、健気に走ってくれました。
今夜は良く眠れそうだ。楽しい週末だった。
ソフトな吸収ばかりの月となったので、勉強をそろそろしっかりとしよう。
2009年11月26日木曜日
20h設計を終えた
比較的遊び心の少ないものを書いてしまったかも知れない。
学年横断ブレストで得たモノに引きずられた?いや、でもアレがなければ本当に考えを整理できないまま終わっていたことだし。
200字前後というテキスト指定が本当に厳しかった。そのシステムや理念を語らなければあれはただの住宅地にあるカプセルホテルだ。ただ、それを文字に頼らないで表現することが出来なければならないのだ。
こういう機会が与えられたことでそれを実感できたのだから非常にありがたいことだ。
20h設計があったにも関わらず、僕とハクビさんは北仲スクールへ速水健朗氏の講座を聴きに行く。本当に楽しめた。
わかりやすそうな図式を一回ばらして地道な作業でそれを読み込みなおし、それをもう一度目からうろこが落ちたような鮮明に結像させる速水氏のスタイルに非常にドキドキした。
メモを取りながら僕とハクビさんは感嘆符を発し続けていたのだった。
明日の夜からたいちとたくやとオキツグとおかじゅんといっしょに金沢へ行ってくる。無茶な旅だが、それゆえ楽しく思える。
2009年11月24日火曜日
ガジェットマニアな日記。久々のヘッドフォン
そういったわけで、ついにカナルに手を出そうと思う。あんだけカナルを毛嫌いしといていまさらかよ(笑)という声が聞こえそうだけど、ここは仕方ない。今のカナル式のラインナップは数年前では考えられないほどすばらしいし、なにより参入メーカーも飛躍的に増えて選べる音の幅も広くなった。
一年ちょっとぶりにヘッドフォン選びとしようか。
予算は去年みたいに出せるわけではないので今回は八千円まで。
本命
Ultimate Ears Metro Fi 170
こいつはやわらかくていい音。低音よりとはいえ、そんなに乱れてはいないし、なにより音場感がたまらない。過剰なまでの鋭さは望むべくもないけど、すごくいい味出してる。バスからハイハットまで全音域。
個人的にはめちゃくちゃ好み。シュアーと並んでミュージシャンのステージで見るブランドだけにイメージもよし。
対抗
Shure SE115
シュアーなのにダイナミック?と言いたいところだけどそれは小さな問題で、シュアーっぽく比較的フラットになってくれる。装着感も悪くはない。T-5Mでフラットに育った僕の耳にはある意味一番自然に聴こえる。ただ、シュアーがここまでメジャーになっているとかぶるしちょっと面白みが足りない。
単穴
Etymotic Research ER-6
ど定番。繊細な表現力はやっぱりすごい。けど、ちいと低音が足りなく感じてしまう。間違いない選択だろうけど、趣味でない。
連下
Klipsch Image S2
上位機種X10譲りの外観に期待は異様に高まったのに音は・・・・。いい感じに遮音性も高くて高音も伸びるのだけど、中低音がちょっと厳しい。なんというか響かない。繊細さが足りないのか、そもそもの量感がないのを小細工で盛り上げているからなのかとかはわからないけど、あんまりこの値段の商品としては芳しくない感じ。そういうべたっとした中低音のせいで音場感はいまひとつ。好みではない。
問題外
AKG K321
基本的に日本人の耳にあっていない。素性は悪くないのかもしれないけど、フィットしない以上遮音性もなく、ただ特徴的な低音がどろどろと流れていく感じ。
大穴
Audio Technica ATH-CKS70
値段のワリにはそこそこ良いのではないかと思った。どうせ通学専用ならば安く抑えたモデルを買ってしまうのもアリなのかな。
2009年11月22日日曜日
天文実習2009
朝に成増でゆっちーと待ち合わせて、関越圏央中央まわりで清里まで。
行きはゼロ休憩ですっぱりと。
少年自然の家は相変わらず質素。それが魅力。
ほぼ同時に到着したOBの方と話していたら一団が到着。
開式直後からこちらは準備。透き通った空。この頃から素晴らしい予感が立ち込める。
昼食をはさんで簡単なレクチャーをした後はセッティング。こないだした極軸調整の確認がしっかりと生きた…はず?
そして、夕食。そのあたりから予感は実感に変わり、高揚が体をつつむ。
夕食終の空には文句のつけようのない空。一列に衛星を抱えた木星と夏の大三角と天の川がお出迎え。
観測計画のシステムがよいせいか、中三の面々はみんな真面目に観測していた。この空ならば彼らの努力も報われた。
観測後半では冬の星座がお出まし。オリオン大星雲もがっつりと見えた。
今回は立場上望遠鏡を思う存分使う訳にはいかなかったけど、寝転んで視界を満たす全天パノラマを見ているだけで最高の気分を味わえた。
肉眼で星雲が見たのは僕らの時の天文実習以来。
そんなこんなで12時に雲が来るまで観測をして撤収。
今朝は七時に起きて片付けやら掃除やらをバタバタしてる内に11時の閉式に。本当に充実した実習だったのではないかと思う。来年も手伝えたら嬉しい。それまでにいろいろ知識を増やそう。もうメシエ天体ぐらいは覚えるか。
帰りは141号で野辺山を越えて小諸へ。蕎麦を食べたあと上信越と関越を通って帰る。
疲れた。実は2日で500km以上運転してた。
今日は早く寝よう。
2009年11月17日火曜日
いきなり寒いな
事業仕分けがいよいよ進んできましたね。
GXはハズレっぽかったからこういう形でも止まるのは仕方ないかとは思うのだけど、JAXAを外れたところでは個人的にはカーボンナノチューブ関連の予算の削減などが許せない。
ああいう長い目が必要な事業こそ国がやらねばいけないのに。
昨晩は身空を上げてからハクビさんとスカイプしながらSTS-129の打ち上げを見た。
何度目かわからないけど、小学生の時からわくわくしながら見続けたSTSの打ち上げもあとわずか。
あのダイナミックさと切り離しのドラスティックな感じはSTSならでは。
いつになったら次の再利用型軌道往還機ができるのかはわからないけど、STSを見ながら育つ事が出来たのは本当に素晴らしい事だと思う。STSからいろんなものをもらったのは事実。
僕はまともな理系になれなかったけど、やっぱりパフォーマンスとしても科学の裾野をこれだけ広げられるダイナミックな事業は宇宙開発をおいて他にはないんじゃないのかな?と思う。
2009年11月16日月曜日
課題大詰め
「自分を表現しろ」の一文に思いっきり趣味に走ってしまった馬鹿が一名。もういいや。
あとは図面書いて合成して文章書いて寝ます。
がんばるぞ。
ここ一週間毎日のようにTopGearを見ている。ああいう馬鹿でユーモラスで本気な番組が作れるってのは本当に羨ましい。
おかげで英語のリスニング力が回復してきた。やっぱり自分の好きなことメディアから海外メディアを摂取するのはひとつの方法だと思う。用語は大体わかるし、話したい内容も大体わかるから対訳要らず。
今月末の金沢行きのレンタカーにスタッドレスの装備を追加した。僕の知る限り12月まで上信越道には雪は積もらないはずだけど、北陸道はわからないしね。念には念を。
おそらく今度乗るのはストリーム。
今のところ免許とりはじめてからマツダ2車種、三菱1車種、日産1車種、スズキ1車種、BMW1車種に触ったことはあるのだけれども、トヨタとホンダには乗ったことがない。そもそもメーカー間の差よりもモデル間の差のほうがずっと大きいとは思うのだけれども、どうせならいろいろ触ってみたい。
内燃機関はいつごろまで残るのかな。ただ、新エネルギー自動車は本当に早く浸透しなければいけない。
TopGearに出てきたカーコレクターのジェイ・レノ氏の言葉が印象的だった。「内燃機関の登場は多くの馬を救った。新エネルギー車の登場は私のおお喰らいの車たちを救う。」
まあ、なるほどだ。
2009年11月12日木曜日
ウエザーニュース
展示施設として来年から公開する模様。ちょっと見てみたいな。
あの独特のフォルムは本当に素敵だ。
南極観測船はどの船もドラマがあっていい。宗谷の波乱万丈の生涯とかは特にたまらない。
貨物船として生まれ、海軍の特務艦から引き上げ船になり、灯台補給船を経て南極観測船となり、最終的には巡視艇として活動した後にお台場で展示されていくまで。
そりゃそんなそんな育ちの船だけに南極物語のストーリーで何度もスタックしていたのもうなずける。よくがんばっていたなあ。
今週のブラタモリも面白かった。麻布、三田あたりは中学時代よく散歩しただけにより面白い。街の自分の知らなかった場所をあんな感じで知れるのは本当に楽しいことだ。
惜しむらくは、タモリ倶楽部ほどトークが馬鹿みたいな脱線をしないところだろうか。それはそれでNHK的ってことでいいのかもしれないけど。
また星を見よう
なぜかビジネスマンが相当な人数E-P1を持ってぶらぶらしていた。なんかのオフ会かなんか?
夜から武蔵の天文実習の打ち合わせへ。
まさか自分がタイカンOBとして実習監督をする日がこんなに早く来るとは。
写真は中二の天文実習の時の。あれから六年か。
久しぶりに赤道儀に触ったり、カワバタさんに連れられて久しぶりの天下一品にいったりした。
先生がいろいろと武蔵の今後について画策し、動いていることは話すたびに思い知らされるのだけれども、そういったブレーンの理念が全体に行き渡るようにすることは本当に大変なことなのだと常々感じさせられる。
とりあえず、実習が楽しみだ。ちょっとまた空を見るようにしよう。
あのころよりも目が悪くなったし、清里の環境でどのくらいの星が肉眼で見つけられるかはわからない。がんばるしかないな。
ヨシダは今でも星雲を肉眼で見つけられるのだろうかな?
今日は、なんだかのんびりすごしてしまった。たまにはこういうのもいいよね。
久々にJagを弾いてみたら恐ろしく弾けなくなっててショック。やっぱりヘタのうちは空けると一気に退化しますね。
こないだFELTに2週間ぶりに乗ったときも恐ろしく乗りこなせなくなってて辟易した。R3に用事で乗るとその操りやすさに驚く。その素性もあるのだろうけど、やはり乗っていた時間が長いからなのだろうなと。いわゆる手足のようなもんだしね。FELTもそのレベルまで早くもっていけたらいいなあ。
2009年11月9日月曜日
2009年11月8日日曜日
週末終了
週末はあっという間に過ぎてしまう。
昨日は6時に起きて箱崎までフェルトを走らせ、課題に使う写真を撮りに行く。帰りは皇居を逆回りして議事堂、最高裁、TFM、イギリス大使館経由で。最近走ってなかったから楽しい。
その後は買い物をした後、早稲田祭へ。
あんまり時間がなかったのでかいつまんで。サトケンのシャンソン研のステージを見に行く。シャンソン研といいながらシャンソンっぽいのはなかった。サトケンが普通に上手くてよかった。今までになくピロリスト。ジャコパスバンドや、ドリムシのキーボードの人のバンドのカバーなどそれはもうすばらしいステージでした。ピロリストとキーボード使いが多いのはすごい。
その後は横浜までコイズミさんとイシヅカさんの一学期の課題の打ち上げに参加。いろいろとためになるというありきたりな感想は言いたくないので割愛。本当にいろいろとありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。
今日も6時起きで奥多摩は日原へ親と紅葉ハイクに。そんなに歩いたわけではないけど、非常に充実感。紅葉と秋の空気はなんと心地の良いものか。
午後は課題に手をつけながらGT見つつダラダラ。
NSXの最終レースということで綺麗にARTAが優勝。あの鋭いフォルムを見れることもなくなるのか・・・。思えばNSX自体のデビューは20年以上前なんだよね・・・。これでNSXというモデルが本当に過去の車となる。
来年は何で走るのだろう?GT500規定を満たすスポーツカーを本田は欧州シビックぐらいしか作ってないよなあ。
とりあえず、ブックだなんだとか言われたってSuper GTは楽しいから好きだ。ハコ車レースはやっぱりいい。
高校時代WRCに入れ込んでいたのも、やっぱりその車体の動きってところはあるはず。
2009年11月5日木曜日
郷里はどこなの?
今回初めて講評に上がった。
北山先生の前に立つといろいろと話したいことが内側からあふれてきてしまったが、それをうまい具合に纏め上げることはちょっと出来なかったな・・・
きっと修練が足りない。
ただ、北山先生回の最後になって何とか講評に乗れたのはこれからのモチベーションに大きく影響してくれることだろう。
昨日MUSEのHAARPのDVDを久しぶりに見た。
かっこいい。こうしてみると、HAARPの時点でThe Resistanceの路線は見えていたようにも思える。その味付けやあおり方からもHAARPはBHARよりもずっとThe Resistanceに近い。
ただ、逆に言えば、The Resistanceはライブ的な衝動的、刹那的な雰囲気に満ちているともいえる。以前の日記に書いたように、それまでのMUSEに比べて理づめな感じは薄れているようにも感じられるし、比較的アプローチがありがちな「ベタ」さをまとったようにも感じられる。それに対して賛否両論は出ているけれど、僕は少なくとも嫌いではない。
なんたって素直に直線的にドキドキする。そういうMUSEが一枚やそこらあっても悪くはないはず。
次はもうちょっと小難しいほうに振ってもらってもうれしいなあ。
とりあえず、明日の抽選発表が気になって仕方ない。どうか受かっていてくれ・・・。
これとかライブ映えしそうだ。素直にかっこいい。
休み明け
Y-PAC radioが更新されました。
先日の仮設建築で収録しました。「仮設建築」というものに対して、仮設に関わった1年とY-PACerの2年、4年仮設建築経験者の方々が語り合っています。非常に興味深い内容なので、ぜひとも。
一応進行のようなものをさせていただいているのですが、ガチガチで「えーと」が多くて恥ずかしいです。
いろいろと落ち着いて簡潔に物事を口で表現できるようなトレーニングをより積んで行かなければ行けませんね。
2009年11月4日水曜日
日々は続く
送信者 仮設09 no.2 |
常盤祭が終わり、仮設が終わった。
学祭自体はちゃんと見れなかったのだけど、パンフを見ると、学校側の協力が足りないことを実感。せめていろいろな研究室が発表をすればコンテンツがだいぶ充実するだろうに。
そして、日々は続く。息つく暇もなく身空の期限は迫った。
いろいろ見てから決めようというスタンスでいたため、課題に関係のない面白いものを結構見ることが出来た。
昨日の夕方になっちゃんとハクビさんと出かけたのは東京駅地下にある首都高八重洲線の「八重洲乗客降り場」。
にぎやかな八重洲地下街。
とある階段を下ると、
さらに階段が。
!?
どーん!
なんと、東京駅と首都高八重洲線はつながっていた!
ここは、首都高の中でも歴史の長い八重洲線が開業したときに、首都高を経由して東京駅へ人を送る用途のために作られたものなのだとか。
八重洲線から八重洲地下駐車場へ入る途中にさらにもうひとつ分岐があり、そこからアクセスは出来る。
しかし、今となってはあまり利用客もいないようで、昨日の訪問と、今日の待ち合わせの時間を含めても、自分たち以外にここを正しい用途で使っている人はいないようだった。
さあて、課題も上げたし寝るか。
2009年10月29日木曜日
仮設建築09から生中継にてお送りします。
送信者 雑居雑食の日々 phase2 |
図書館のLANが動いていたおかげでPCから更新。
何とか無事に立ち上がって本当に良かった。
夜のライトアップされたトンネルはとても綺麗です。夕方に来ると結構いい雰囲気を感じられるのではないでしょうか?
2009年10月28日水曜日
2009年10月27日火曜日
写真のアップロードが遅いのでここで休憩がてら更新をしようと思った次第でして
少なくとも今中心となって活動している四年生の方々の情勢の変化もあるだろうから、今後この枠組みに何らかの変化が加わることは避けられないだろう。
そこで、Y-PACをサークルのような伝統社会的な思考停止型継承ではなく、枠組みを生かしつつ常に模索するために継承できたらと自分は考えている。
そのためには、まず僕らの世代がY-PACerとしての理念を体得していかなければならない。
自由な思考と試行が出来るこういった枠組みがすでにテンプレートとして用意されていることに感謝していかなければならない。
そういったスタンスであることをミーティングでは示したかったのだが、若干言葉足らずであっただろうか。
今回のミーティングは非常に有意義なものであった。各企画の拡充と、魅力的な企画発足などなど。
差し迫ったところでは11月1日に仮設建築内でY-PAC Radioの公開録音を行うことになった。
非常に楽しみである。
2009年10月25日日曜日
一気に変わる天気
昨日あたりから、総括企画のことを考えていた。
当然、後から見れば屁でもないようなものに鳴ってはしまうのだろうけれども、「数年後に見返すのが嫌でない」レベルの総括に、この仮設企画全体のコンセプトやポリシーをまとめていけたらと思う。
NHKスペシャルの自動車革命を見る。
この話題は父親がちょくちょく話していたのでいろいろ興味はあったのだけど、映像で見るのは初めてだったので非常に面白かった。
実際ヨーロッパの町にはレバを始め、電気自動車が多い。それは規制のゆるいヨーロッパの自動車行政によるところが大きいのかもしれない。(クワドリシクルや、イタリアのミニカーみたいに無免許で運転できる類の車があったり、イギリスのリライアントに代表されるような三輪車への異常な優遇政策があったりといったような小型自動車行政なわけで。)
そういったところから市場を獲得していって、世界進出の第一歩を作るというのはデウ・マティスとかでもやっていたことだし、王道といえるだろう。ただし、今回の場合規模や革新性の面では空前のものであるけれど。
アメリカでヒットするのに対して不足している点があるならば航続距離だろうか。ミネソタに行ったときも、お世話になった夫妻の車で一日数百kmを走ったりとかしていたわけだし、依然としてレジャー用途としての車にはガソリンエンジン車以外が入る余地はないのかもしれない。
しかしながら何台も同時に車を持つことが当たり前の社会ではあるだろうから、日常用のEVとレジャー用の内燃車っていう持ち方が一般的になるのかもしれない。往々にしてアメリカの人は車にヨーロッパ的なエンスー趣向を持たないから、EVが合理的であるとわかった瞬間からそっちにシフトしていくような気がする。
EVネタが出ると必ずや気になるのが電池寿命とトータルエミッションの問題。
特に中国とかの低価格EVは何回充放電出来るのやら。粗悪な電池を大量に使い捨てるように使えば環境負荷も恐ろしいことになりそうな気がする。
なによりも、10回乗ったら大して走らなくなったなんていうことがありそうだ。
FRPボディーのEVは革新的で、必ずやそっちへのシフトが進んでいく方向であろう。ただ、車と車がぶつかり合うことを想定して作っている現状では、FRPの車は危険すぎるとはおもう。
その強度ゆえにクラッシャブルゾーンが確保できず、車に大した損傷はないのにドライバーは死んでいたなんていう二昔前のF1みたいなことになりかねないなと。
だから、ビーコンにそって走るような全自動自動車のようなシステムになったりすれば間違いなくFRPなり軽い素材で自動車が作られるようになるんだろうなと思う。
今はきっとブレークスルーの始まりにあって、あの車は未来を先取りしているだけだろうか。
2009年10月24日土曜日
さあいよいよ仮設が建ちます
昨日はY-PAC一年会を開いた。あんなことやらこんなことやとりあえずいろいろと話せたのでよしとしましょう。
未来の展望が少しずつ見れてきた感じ。後は動いてみないとわからないな。
今日は仮設。寝坊+湘南新宿ラインの遅延により大幅遅刻でコーナンへ。でももともと人の集まりは悪かった・・・。
すっかりおなじみの1.5tトラックで材を学校へ運び、その後は照明系の作業を全体でやった。
スポットの台座取り付けと行灯の試作を同時並行みたいな感じで。
帰り際に秋葉原のコイズミさんに寄って、仮設の演出機材となるスピーカーユニットを購入。
最初駅前のビルに入ったら、移転していてびっくり。結局駅の反対側のUDXの近くほうに移転していた。久しぶりに来るとえらく変化しているんだなあ、あの街は。
今日選んだモデルの型番はC085K03C。オーディオに使われるすっきりした型番のラインとは違ったロークラスラインの製品。9cmフルレンジで一発780円の代物だけど、これがなかなかいい鳴り。フォステックスはやはり侮れない。常盤祭が終わったら部屋にバックロードホーンだけじゃなくてもう一発作ろうかな。
帰りUDXの連絡通路を歩いていたら両端にLEDがライン状に引かれていて、「やられた!」と内心思った。うちのライン照明もうまくいきますように。
とにかく本番が楽しみだ。
課題もそこそこにってやつである。
2009年10月22日木曜日
初挑戦
朝の環八はひどい混雑で、玉川まで1時間20分ぐらいかかってしまった。予想以上にひどい。
ただ、第三京浜は恐ろしく空いていたので15分ちょっとぐらいで三ツ沢へ。実は一人で高速に乗るのは初めて。
近くのコインパーキングに車を預け、シンクウを受ける。評価は、まあ正当評価。前よりはがんばったけど、まだまだいけるはず。
午後の英語を終えたら絵画彫塑の手直しをして、帰宅。
帰りはハクビ君が同乗しての首都高経由。
彼は環状線を見たことがないというので環状線逆周りで目黒線目黒まで。
今まで見慣れた景色も自分の手で運転して走るとまた違った景色になる。
夕暮れの湾岸地域はいいなあ。
また機会があれば首都高クルーズしましょう。
2009年10月20日火曜日
三脚背負って歩けば晴天
いつも何気なく通る場所も、映像のテーマに照らし合わせてみると当たり前でも見逃しがちだった性格が見えてくる。
週に何度も新宿で降りる理由は、帰り道にあるからというだけでも、便利だからというだけでもきっとない。その「生きてる」感じなんだろう。野蛮で躍動的なエネルギーがうまい具合に社会性によって隠されているというその雰囲気をファインダー越しに強く感じた。
Y-PAC TVが始まりました。
今回は小泉さんが司会となってON designの西田氏と中山氏にインタビューをしています。ヨコハマアパートメント内で収録。
個人的にはこういった感じの内容のお話は聞いているだけでも楽しくなってきます。
どういうアプローチでコミュニティーに関わっていけるかにソリッドな答えはきっと存在しなくて、そこにどうやってたどり着くかを日々柔軟に考え続けて行かなければと思いました。
次の企画の収録の際にはぜひ現場に立ちあいたい次第です。
疲れを口にしてみたり
課題をやっているけど、出来ることの幅の狭さに辟易する。それは小さい紙に圧縮することの難しさという面もないわけではないが、何よりどうやって伝えたいことを視覚化できるかという面は大きい。
最近いろいろな人が話題にしていて聞き飽きたと思うけれど、明治のロゴが亀倉デザインから変わったのはいただけないということだけは言いたい。
現行クラウンが出たときに、それまで保持してきた亀倉デザインのエンブレムが外れて、新たにデザインされた大雑把なエンブレムがついた。それまでと打って変わって内外ともにエッジの強い性格を与えられたことから、キャラクターの違いを打ち出すためにはやむをえなかったことなのかもしれないが、それにしても安易な戦略のように当時は感じてしまった。
そして、今回また亀倉デザインが消えた。明治に何か大きな変化があって、そのシンボルとしてロゴを変えたならまだしも(だとしても良いとは思わないが。)、今回はそんな感じでもなさそうだし、いったいどういうつもりなのやら。
思い入れの強い商品が多いメーカーだけに、寂しい。
ロゴがブランド価値を生み出す上で重要だということは自明の理だろうに。
2009年10月18日日曜日
再び慌しい週末
久しぶりのジョンはジョンでした。
実はあんまり久しぶりでなかったりするが、それはまあ、そういうことだ。
夕食はクロサワも一緒に前橋の居酒屋へ。カジキは実においしかった。
その後はギネスとベルヴューを片手にいろいろ語らう。去年のヴェローチェでの日々を少し想う。
翌朝は群大医学部をちょっと見学した後、高崎までちょっと走ってサークルランに参加。
サークルランには初出動のFELTを見て多くのロード乗りの面々は「新車いいなあ!」といった。
実際サークルに限らずロード乗りの人と話すと、向こうのほうが良いグレードのバイクに乗っているにもかかわらず「新車いいなあ!」と来る。
でもその感覚はわからなくないものなのかもしれない。きっと新車になじんでいく最初の段階は特別なものなのであろう。ピカピカの車体と駆動系、それらを自分に合わせてゆっくりとセッティングを変えていく過程が幸せなのはきっとすべての自転車乗りが知っているに違いない。
その日の昼は水沢うどんを食べる。以前食べたお店よりも味も量もよくてなかなか満足度が高かった。
グリーン牧場で動物と戯れたりかぼちゃを運んだ後で坂を上り伊香保温泉街へ。
実は今年の四月にも家族旅行で伊香保には訪れていたのだけれども、一緒にいる人が違うとまた景色も違って見えるもの。
そして、今日。
伊香保温泉街から榛名湖まで駆け上がる。ちなみに、登る道は某ドリフト走り屋さんマンガでおなじみの道。時々意図的にアスファルトに溝切りがあったり、事故の跡と思しきガラスの粒が転がっていたりとなかなかすごい。
紅葉が進む山道を風を受けて走ることは自転車に乗る喜びの中でも結構大きいほうに違いない。
今年もこの時期が来た。何回山にいけるかはわからないけど。
榛名富士にロープウェイで登ったりした後は坂を下り榛名神社へ。
山の中の長い参道を歩いた先にある立派な本殿。大きな杉の木と岩に囲まれた幻想的な空間にたたずむ荘厳な姿はとても印象的だった。
参詣後は坂をひたすら下り、高崎駅へ。輪行をして家に帰った。
疲れはそこそこだったはずなのだけど、やたらと眠い。
身空の文のアウトラインができたので寝る。
2009年10月15日木曜日
風を受け
環八から国道一号に入って三ツ沢まで一直線。
41kmを1時間40分ぐらい。電車と変わらない。
朝の環八は混雑していたけれどこのタイムってことは、昼間なら1時間30分を切る?
とりあえず、ロードバイクは脅威の乗り物だということがよくわかった。軽くてぐんぐん伸びるから最高に気持ちがよい。
身空は、あんまり時間をかけなかっただけに芳しくない評価に。正当評価でしょうね。しっかりがんばります。
アウトプットの手段をしっかり持ちたい。出し切れなかった自分がみっともなくて仕方がない。
授業終了後は、マルチの榑沼先生と久しぶりにお話させてもらう。
毎回テーマは存在してこそいないが、演繹的にさまざまな分野にクロスオーヴァーした会話を繰り広げることで、考えのすりあわせができるのが非常に面白い。
僕は、アンテナから得た情報を自分ひとりでは処理しきれない。それゆえ、いろいろな人と話すことでグリッド・コンピューティングのようにその人々から解釈をもらって自分とすり合わせているのだろう。
いろいろな情勢の変化があってても、これだけはずっと続けていきたいと強く願う。
仮設の照明が一進一退を繰り返している。どうしても頭の中でのシュミレーションと違うので、そこがつらいところ。どうにかしたいものだ。
帰り着いて、明日からの合宿の準備を進めているところ。
本当はもっと余裕があればいいのだけれども。
2009年10月13日火曜日
Break through!
晴れてベロタクシーに乗務できることになりました。週一から乗せてもらえてよかった。
これから研修を経て横浜の路上に出ます。関内とかみなとみらいのあたりを走る予定。
タクシーというよりは、浅草の人力車やヴェネチアのゴンドラのようにゆったりとした交通機関。
事務所の人々も気さくな感じでこれからが非常に楽しみである。
結構ドライバーの人の中には建築系の人も多いようで興味深い。
面接の後は早稲田に直行。週末手伝わせてもらったヤマチカの課題が講評に上ったという話を聞いてわくわくしながら。
いろいろな人のプレゼン、それに対する先生方のコメントを聞くだけでいろいろと考えることがいっぱいで興味深いもの。
自分が少しでも手伝えた製作の講評ならばそこから得られるものは何倍も多いのだと強く感じた。
ボードに自分がシャッターを切った写真があったのがちょっとうれしかった。
個人製作もできる限り手伝わせてもらいたいです。
帰宅後は自転車屋さんへFELTをとりに行った。
しっかり交換が終わっており、帰り道だけでも十分に楽しめた。週末が楽しみだ。
慌しかったけど、いい一日だった。
羽田のハブ化でもめているようだけど、なんだかなあ。
中長期的な戦略で成田のキャパが東京の国際競争力のボトルネックになるというのは自明なんだから、羽田国際化は誰もが言っていることなわけだし。
国際空港がひとつしかないという認識はいかがなものかと。
NYにもJFKとニューアークがあるんだし。うまく割り振ってでも、分けていかないと空港のキャパシティーが流通のボトルネックになってしまう。
短くまとめられそうにないから書けない。
もっと深いレベルの話を携帯メールでアイウチとやり取りしていた去年の今頃。
一応受験生だったはず。
Y-PAC Radioを聞こう。
2009年10月12日月曜日
三連休終了
Archi-TVにも出れず、課題も終わらずと情けないこと極まりなしだけど、やれることをできる限りやったようなそんな気分。
今日は仮設に行ってきた。
早速寝坊で遅刻という失態。コーナンに遅れて到着。そこから木材を1.5t車に乗っけて運搬。
2度目ともなるとそれほどビクビクはしないで済むようになった。
途中イトウさんから椅子を受け取る。朝方からご迷惑をおかけしました。
運搬終了後学棟裏に戻り、切り出しと組み立てを行う。
今回は椅子の屋根のあしの取り付けと、座面の完成。人数がもっとほしいのは言うまでもないが、みんなの献身的な働きで割合いい進捗だったのではないかと思っている。
あとでサイトの更新もしなければ。
そういえば、メルセデスの新型フラッグシップクーペがお披露目になった。
http://openers.jp/car/exclusive_auto_collection/mercedes_benz/sls_amg_090914.html
SLR自体でも300SLを彷彿させるデザインだったのに、今度は直球で300SL。
こういうリバイバル戦略が最近の自動車業界でははやっているけど、過去の遺産を食いつぶしている感じがして僕はあんまりいいとは思えないなあ。
それだけ、昔のデザイナーの作品に普遍的なよさを見出せるということなのかもしれないけれど。
PTクルーザー、ビートル、ミニ、チンク、マスタング、チャレンジャー、カマロ・・・・
MINIとかは広告戦略や全体のパッケージングで先代の香りをポップな色でうまく隠しているようにも思えるけれど。
ちなみに、このSLSは今後完全な電気自動車ヴァージョンが発表される予定だとか。コイズミさんがTwitterで発言していた通り、グリルなど電気自動車に必要のないデザインはどうなるのか。いまだに世界のカーデザイントレンドに影響力をもつメルセデスのプロダクトデザインだけに、SLSがどうその問題を扱うかが今後の流れを決めていくのではないかと思っている。
メルセデスの購買層はコンサバだから、グリルが無思想に残ってしまう可能性もありますが。
さあて課題。
2009年10月11日日曜日
2009年10月8日木曜日
2009年10月7日水曜日
2009年10月6日火曜日
ドック入り
こういうときにミニバンは強い。
FELTの対応も迅速であった。明日には部品を発送してくれる模様。週末ぐらいには復帰できる見込み。
秋ランにも間に合いそうだ。
トヨタが作るFRボクサーがやっとプロトタイプになった!
詳細はこちら。
コンセプトとしてはハチロクをモチーフにしているらしい。スバル色は薄いなあ。
300万を下回る程度の価格だとか。
2リッタークラスだし、エイトが結構安価で売られていることからも、インテグラクラスの値段が妥当にも思えてしまうのだけど、そういう安価で基本的なスポーツカーってのは最近は流行らないんだろう。そこはハチロクの時代とは違うに違いない。
スポーツ系を買うのはあくまでエンスーか中高年って感じなのかな。何年か前の発表のときからプレミアム路線で売れば活路は見出せると判断していたのだろう。
にしても、どこか中途半端だ。
あえてのボクサー+FRなのに、車体が質素でない。せっかくライトウェイト風のコンセプトなら、もっと尖らせればいいのにともおもうのだけど、前述の通り買う層を考えての配慮なのか。
そもそもクーペ買うような余裕があってスバルにこだわらない人はZとかに流れてしまう気もするし。
S2000にしてもそうだけど、00年代に2リッタースポーツを売るのは難しいんじゃないかなぁ。。。
大叔母がスバリストなこともあって小さいころからスバルには思い入れが強い。トヨタ傘下に入ることが知らされたときには結構ショックでも合った。それだけに、トヨタに吸収されたときから持ち上がっているこのプロジェクトは気になって仕方がない。
鳩山氏の献金問題が夕刊一面にぜんぜん出てこないのはなぜ?
2009年10月4日日曜日
2009年10月3日土曜日
なんということでしょう
昨日の飲み会と睡眠不足のせいかだいぶ遅めに起きた今日。
午後になれば雨も止んでいたので、ディレイラーの調整を再度した後で走りに出かけてみた。
環八から笹目に入り、和光市近くの荒川河川敷へ。
道が速いので地図で見る以上に近い。
慣れないポジションに苦労しながらも、25分くらいで着いてしまう。実際近いのだけれども、新入りにまたがっていると感覚的にもあっという間。
河川敷をちょっと流したりしながらのんびりとすごす。
写真は河川敷から見えるとある工場。
やたらと配管が多く、コンパクトながら見ていて楽しい。
暗くなる前に帰ろうと河川敷を出て道を走っていたとき、ギアが突如として外れた。
「ああ、調整がまだ甘かったかな・・」とか思い、ちらりと足元を見たら・・・・・
あってはいけないものがそこに・・・・・
「・・・こんにちは・・・・」
しばらく唖然とした。
結論としては、ディレイラーハンガーがポキりと折れていただけで、フレームにはなんら影響はなかったのだけれども、まさかのタイミングでのまさかのトラブルだけになんとも言いがたい脱力感が・・・・
これで部品到着しばらく乗れないしなあ。販売店へ戻すと結構な時間もかかってしまうし、なかなか残念だ。
帰りは和光市の駅まで歩いて、ビニール袋輪行。
テストなんてこんなもんさ!と言えればいいのだけど、変に気分が盛り上がっていたのでこういう事態は飼い殺しのようでつらい。
早く乗りたい。
2009年10月1日木曜日
学校はじめっ!ぐうたらやめっ!
返ってきた成績には不満もあるけど、落としたりしてないしまあ気にしないことにします。相変わらず文系の成績でしたね。
急いで帰宅して、ちょっとメンテの後新入りの初乗りをしてきました。
いやあ、ロードらしいガツンとした加速や、ダイレクトな乗り味はちゃんとありました。
悪くないね。
フロントの調整がまだ終わっていないので大した距離は走ってないけれど、好感触。
買い物でR3にも乗ったのだけど、この二台は仲良くやっていけそうな気がした。
2009年9月30日水曜日
こんな夜にお前に乗れないなんて・・・・
ということでお預け。もう、乗りたくてうずうずきてます。
今日は、ヤマチカの敷地調査に同行してきた。
神楽坂をああいう風に歩いたのは初めてだったので、なかなか新鮮であった。
住宅と銭湯が一体化した塚本由晴さんが好きそうな建物があったりとか、諸々。
連れてってもらえるのはいろいろと参考になる点ばかりで、ありがたいものだ。
2009年9月29日火曜日
みんな大好きロシアネタ
普段はなかなか見れないようなものの写真も時々あり、この写真の更新を毎日ひそかに楽しみにしている。
なぜ話題に出したかというと、今日の写真は特別すごいものだったからである。
それがこちら。
R-7のエンジン!(たぶん亜種だけど、まあ細かいことはわからない)
コロリョフが作った世界一安全なロケット!(むしろICBM)
今までサイドから画像しか見たことがなかったので、今日の画像を見たときには思わず飛び上がってしまうような思いであった。
本当にすごい設計だ。
設計から55年以上、宇宙空間に初めての人工物スプートニクを運んだロケットにして、いまだに有人無人問わず第一線を張りつづける脅威のロケット。
細いフェアリングにどこから見ても強引なエンジン。同時期の西側のアトラスのスマートな雰囲気と相対するそのいかにもロシア機的な外観はとても魅力的だ。
NASAのサービスなのに、ロシアネタが来るとは思わなかった。
ちなみに、スプートニクの形をしたランプがあるらしい。
http://www.yankodesign.com/2009/06/17/spunky-sputnik/
ほしいなあ。
2009年9月28日月曜日
bike stealer phobia
安かったことにつられ、斉工社のWSN-1200という無駄にゴツいモデルを買ってしまった。
重い。
高い自転車ではないとはいえ、愛情をかけているものを盗られるのは忍びないのでついつい。
長く駐輪したりするときには活用できればと思う。
これでも東京はアムステルダムとかに比べれば自転車盗難は少ないのだとか。
動画は平井にある駐輪場。これはかなりSFちっく。
ママチャリは本来不憫な乗り物なのかもしれない。
勝手に消失たり、オンデマンドに第三者によって乗られ、捨てられたり、時には海を越え異国の地で平然と仕事を続けたり。
そんな存在の彼らを収容することを主眼に置きながら、この凝りっぷり。
こういう過度に芸が細かいところは日本人だなあ。
何もない日々
夕方には練馬区立美術館へ。
自宅から自転車で五分。一番近い美術館でもある。
今回見た展示は「小野木学―ナヤミノタネ―展」。
特に目的があったわけではなかったけど、先日下の図書館に本を借りに行ったときに見た小野木学という画家の特別展のフライヤーにあった絵が妙に引っかかっていたからでもあった。
ちなみに小野木学とという画家を僕は知らなかった。
彼の晩年のパステル、水彩作品と、彼の代表的な作品とされる抽象的な油彩画が今回は飾られていた。
二つの世界は一見かなりかけ離れているのだけど、不思議とスムーズに感覚に入ってくる感じは妙に共通していた。
「この絵では何を書きたかったのだろう?」というような問いかけをするまでもなく感覚にすんなりと入ってきて、その後で頭が追いついてくるというような按配に。
最近見た展示の中で最も身体になじんだもののひとつでした。
常設展示室では太田昇の作品展をやっていた。
こちらの感想はまた後で。
練馬区立美術館は戦後の前衛作家が強い傾向にあるようで、いろいろな展示がなかなか面白い。
展示室がこじんまりとしている分、ゆっくりと作品と触れ合えるというのは実は大変ありがたいことなのかもしれない。どうしても大きな美術館に行くと展示の全作品に触れたいという欲求を抑える必要が出てしまうような気がする。素人だけに。
2009年9月26日土曜日
人が手放した土地へ
家から青梅まで自走。そこで一団と合流し、鳩ノ巣まで走る。
鳩ノ巣からは山道に入るので、MTBの人以外は自転車をおいて歩きで上る。
MTBの人も担いで上るのだが・・・・。
風化し、森に覆われて薄暗い集落の中は極めて彩度の薄い世界。
その中でひとつだけ目をひくピンクのオブジェクトが僕の目を捕らえた。
ビニールはなかなか自然に帰らない。
プリントに時代を感じる。
もともと人の生活があった峰の集落。
探訪には手放され風化したとはいえ、人の家を覗いているような後ろめたさが常に付きまとっていた。
ただ、不思議にも恐怖や不気味さは感じなかった。
そこに生活の痕跡は生々しく残されているのに。
人の営みの跡が静かに自然に還って行く姿は、なぜかあたたかさや妙な安心感を帯びていた。
2009年9月25日金曜日
U can see anything U want....
http://www.oshimaland.co.jp/
事故物件をGoogle Mapにプロットして掲載しているとか。
基本的に事故物件であることを隠してはいけないことになっているようだが、二代前より前の情報は公表されないことも多いのだとか。
そんな中でこのサイトの運営主は事件事故が発生した物件を逐一調べてマークしているのだとか。
従来だったら不動産情報は不動産を扱う業界によってのみ提供されるものだったため、忌避される情報はなるべく公表しない方向に向かうのは致し方なかったのかもしれない。しかし、第三者がこういったコンシューマーがほしがる情報を自由に提供できるような手段があるというのは本当に面白いことなのだと思う。
ただ、このサイトの運営者も不動産を扱っている人のようなので、このコンテンツにしても他の事業者との差別化のためにやっている若干ビジネスライクなものである側面は否めないのかもしれない。
しかしながら、ここまで徹底的にやっているということで独立コンテンツとしての意味すら持ってしまっているのがすごい。
インターネットというメディアをどう運用していくかという話をする時のいい肴になるような気がしてちょっと取り上げてみました。
Scudelia Electroのファーストを久しぶりにフルで聞いた。
こう、レトロフューチャー的な匂いがショーキチさんのプロジェクトからは常にするんだよね。
彼の懐古趣味的な一面(ユーラシアやポルシェ914とかが相棒だったり、すごく生き生きと往年のヒット曲をカヴァーしたり)は、きっと彼の楽曲やプロデュースワークに確かな影響を与えているのではないかと感じている。
僕は、その回顧の対象となる時代を生きたことはない。だから厳密に言うと自分のレトロフューチャーフェティシズムは懐古ではなく幻想に近いものなのだろう。
PANAMのマークが空を翔けていた時代は知らないけれど、また現れるわけでもないそういった光景を空想の中で作り上げるような感じに。
2009年9月24日木曜日
すごい。の一言
いやあ、構成がすごい。
比べてみるとどこか近作のほうがより直感的になっている印象を受けた。
BHaRにあったようなどこか理詰めな雰囲気はその圧倒的なパワーにかき消されて表面からはもう見えないように感じる。
ある意味少しOoSとかのスタンスに戻ったのかもしれない。
それでも各パーツの配置は破綻をきたすことないように絶妙になされている。
ギターシンセと空間系エフェを以前以上多用しながらも、曲によってはちょっとスタイリッシュに振ってみたりと思う存分飛び回っていて、今までのアルバムの中でもかなり楽しんでる部類ではないかと思う。
とりあえず、MUSEは期待の斜め上をしっかり押さえ続けてくれるのでずっと目が離せないでいる。
試聴とかいかが?損はないですよ。
ここ二日の出来事
昨日の朝は両親が野火止用水を散歩するというので同行した。
東大和から電車に乗って帰る前に駅近くの足湯に入った。
どうやらその足湯は地下水を隣の清掃工場で発生した余熱で温めることで提供されているという代物で、なかなかうまいシステムだなあと思った。
そこに魅力的な施設を作ることで地域のミニコミュニティーセンター的な役割も付加させることができ、さらには入浴施設のような大規模な設備もないので費用も最小限で済むと。
最近全国に無料足湯が広まっているのはそういう意味もあるんだろうなあ。
夜からはオキツグ主催の飲み会へ参加。
みんな気分よく飛ばしすぎたせいで店を出るころにはオキツグ以外はひどい状態に。思い出せる範囲でも相当ひどかったな。。。
泥酔者ということでカラオケにも断られ、結局5人でネカフェに。
気がついたら朝。
とりあえず解散して帰宅。
一寝入りした後に七輪で秋刀魚を焼く。
これをやらなければ秋が来たとはいえない。
ガスグリルで焼いたのとは本当に別物に仕上がるからすごい。
そして今晩はわよーとヤマチカと一緒に新宿で食事をしてきた。
気がついたら帰宅は11時過ぎ。武蔵生と食事すると普通に時間感覚がおかしくなるような気がする。
録画した白洲次郎を見る気力もなく、そろそろ眠りに就こうと思う。
ちいと遊びすぎた。
2009年9月21日月曜日
2009年9月20日日曜日
感謝の日
メールその他をくれた人や、いろいろとしてくれた人、本当にありがとうございます。
午前中はベクターをいじってみたり、ちょっとギターを持ってみたりしながらだらだらと過ごした。
午後はヨシダ君達が開いてくれた集まりに出る。池袋メンバー恒例の屋上ケーキ式。
夫妻の絆は以前にも増して強固になっていたような感じがする。
いろいろともらってしまった。
甘いものやら速いものやら豊作を期待できるものやら。
ヨシダ君から貴腐ワインをもらってしまった。貴腐ワインだなんて飲むのは初めてです。心してゆっくり飲ませていただきます。
みなさん本当にありがとう。
帰宅後、小学校のときに書いた「20歳の自分への手紙」なるものを親から渡された。
存在自体を僕は忘れていたのだけど、母親はなぜか覚えていてくれたようだ。
ちょうど中学受験直前に書いたものだったようで、内容は若干不安げでもあった。
当時進もうとしていた未来とはまた少し違う方向には来たけれども、それはそれで楽しいので大アリなんだろうな。
いろんな人の助けと導きによってここにいるということをなぜだかえらく実感した一日であった。
2009年9月19日土曜日
2009年9月17日木曜日
節約できてない
移動は最近の金欠事情からもちろん自転車。
いわゆるエコですよエコ。
23区内ならだいたいこっちが速いしね。
ここ三日間で何キロ走ったのやら。
書籍代を全部図書券でまかなおうとしたら若干オーバーしてしまい、さらに自らの首を絞めてしまった。
これで図書券も使い切ってしまった。今度から借りられる分は図書館を使うか・・・。
最近周りでツイッターユーザーが増えてきている模様。地味にフォローしている人の発言が一気に全部は読めなくなりつつある。
実は新しい首相は新制東大出身者で初の首相らしい。
前の東大卒(帝大時代)の首相は宮澤さんまでさかのぼる。
この20年近い間のうちに政治家の世代も戦前世代から戦後世代に移り変わっているんだよね。当たり前なんだけど。
そもそも、宮澤政権の時の記憶はないなあ。村山内閣ぐらいからしかリアルタイムの記憶がない。
2009年9月16日水曜日
ぷかぷか
メンバーに彼の友達とわれらがハクビ君を迎えて。
朝八時小岩集合なので自転車で家を六時半ぐらいに出る。ぼちぼち走って予定10分前につけたので、小岩ぐらいまでだと自転車と電車の所要時間差は大してないことがわかった。
今日は風が強く、潮流も速かったので東京灯標や風の塔での釣りは早々にあきらめて、貯木場での釣りやロックゲート経由での定番コースめぐり、さらには午後の荒川での釣りといったメニューになった。
今回もオイカワには苦労ばっかりかけたなあと感じた。本当にいつもありがとう。
次はもう少し何か手伝えたらね。
とりあえず、船メンバーはお疲れ様でした。
地味に疲れたので今日はおやすみなさい。
2009年9月15日火曜日
借金の理由+MUSE
理由は、もう一台自転車を買い足すため。
ロード買います。
といっても10万クラスの安いモデルだし、フォークはカーボンとはいえフレームはアルミだけど。
モデルはFELT F95。
「FELTかよw」とか、「このクラスでチームカラーw」とか言われても仕方ないなぁ。
特売で安かったのです。あと、地味にガーミンチポレのカラーが好きだったりもする。だからって、エントリーモデルには不釣合いだよなあ。
フレームは上位のF85と共通の模様だし、レースに出るわけでもないから105でなくともそこそこ楽しめるのではないかと。リアはSORAかと思いきやTIAGRAだし。
安物買いのなんちゃらではないが、これ以上は学生の経済力では厳しいなあ。
それ以前にちゃんと自転車に乗れるわけではないから、こいつでしばらく勉強します。
現用R3は近距離とキャンプツーリング用に継続して入る予定。ロードには荷物つめないしね。
がんばって秋からのバイトで取り返します。
ああ、これから自転車地獄にはまりそうで怖いよ。
MUSEの新作が出た模様。
Youtubeで試聴した感じでは以前にも増して壮麗になってる。数少ない「生きている」スタジアムロックバンドだね。
これとかクイーンみたいだなあ。
ここまでくるともはやメルティンではカヴァーするのが難しい・・・。最後のコーラスとかね、何人でやればいいんだっていう・・・。
はやく通しで聴きたい。
2009年9月14日月曜日
帰ってきました。
鹿児島から昨晩帰ってきました。
睡眠不足と疲労がたたって今日は大体寝てました。
旅行最終日の昨日は、朝4時51分鹿児島中央発の列車で枕崎を目指す。
途中JR最南端の西大山を通る。
これで、JR最東端の東根室と最北端の稚内を含めてJRの最果ては三つ目。後は最西端の佐世保のみ。足掛け5年のチャレンジも最後は比較的簡単な駅だ。
ついに到着した枕崎。小さいころからJRの端っこを走る路線の先っぽに書かれた「枕崎」の文字に憧れを抱いていた。稚内と同じくらい。
そして今回その最果てへやっと到達できたのだ。感動もひとしおである。
枕崎からの帰りは、大阪から乗りつぶしに来たというおじさんと話しながら指宿へ戻る。
一人だと長かった道のりも誰かとならば一瞬。
指宿では砂むしを初体験。
波の音と心音が体に響く。汗が吹き出、芯から身体が浄化されていく感触は最高だ。鹿児島へお越しの際はぜひとも。
砂むし上がりの風呂で出会ったおじいさんと話しながら入浴。
曰く名古屋から来たらしい。
連絡先も聞かないし、名前も知らない。けれども、旅先での出会いはなぜだかずっと残る。いいもんだ。
その後は、潮風で体を冷やしながら駅に戻り、そこから鹿児島へJRと市電を乗り継ぎ戻る。
サークルの鹿児島出身の仲間と昼を食べたり、資料館を案内してもらったり、白熊を食べたりしながら午後を過ごし、空港へ向かう。
帰りのSNAは気流のせいもあってか結構ゆれていた。しかし、寝ていたらあっという間に羽田についてしまった。
所持金も体力もギリギリになりながら家に帰り着いたときには日付をまたいでいた。
いつになくぎっしりな旅行だった。これは消化にも時間がかかりそうだ。
あと、H-2Bの打ち上げ風景をアップしときます。
カメラに集中してなかったので追尾とかしていない+音声がぼろぼろなので、適当に音声とかくっつけてます。編集時間10分なんでクオリティーには目をつぶってください。
HD推奨。
JAXA廃止論とかが出ているみたい。
あそこは、ロケット打ち上げているだけではないんだ。
メーカーだけではできない航空機関係の試験を始め、科学のみならず日本の国益にも大きく関係しているのだ。
勘弁してほしい。
2009年9月11日金曜日
種子島ロケットジャーニー2
高速船の欠航によって、プリンセスわかさは満員になってしまい乗れず、臨時寄航の屋久島からのフェリーに乗って何とか戻ることができた。
細かいレポートなどは後日。
夜の打ち上げは本当に想像を絶するものだった。
昼のように明るくなる空。腹に来る爆音。あれは病みつきになってしまうだろう。
ちなみにD90でHD動画も撮れました。機会があったら。
今のところ、HTVのミッションは順調のようで何より。
これで、HTVはSTSミッションがなくなった後のISSへのさまざまな物資の輸送を担うことになる。
ひいては、有人飛行技術へもつながる非常に大きな一歩である。
この記念すべき打ち上げに立ち会えたのは非常に幸せなことだ。
明日は5時前の列車に乗り、指宿で砂風呂に入ってきます。
東京帰還は夜の予定。
帰ったらためてしまった仕事を一気にやらねば・・・
2009年9月9日水曜日
2009年9月8日火曜日
種子島ロケットジャーニー
ロケットの打ち上げ見学は初めて。H-ⅡBも初号機。ビギナーズラックで無事に上がってくれることを祈ります。
今日は武蔵にお邪魔して、太観から双眼鏡をお借りしてきた。
Vixenの20×80というバケモノのようなおなじみの双眼鏡。
武蔵の教室は様変わりしていた。とりあえず前のレイアウトの印象が強すぎて、なじめないなあ。卒業生には。
ただいま荷作り中。
三脚、カメラ、レンズ、双眼鏡、着替え、ブルーシート、免許証、パソコン、帽子、日焼け止め、どこでもベープ、オーディオプレーヤー、CD、初心者マーク、サングラス、あとは・・・
まあ、何とかなるだろう。
2009年9月7日月曜日
夢を追わなくなったら人間は野菜とおんなじさ
ただ、時計仕掛けのオレンジ(初見)とフォーンブースを見たせいでやけに胸焼けがするんで、以前から見たかった世界最速のインディアンを見ることにした。
スピードマニアにはおなじみボンネビルスピードウィークものの映画。主人公のバート・マンローは実在する人物で、今でも1000cc以下流線型クラスの世界記録保持者。
こういう映画は素直に大好きだ。
主人公を取り巻くすべての登場人物がとても人間的な魅力でいっぱいで、何より主人公に対してとてもおおらかである。きっと、彼みたいに本気な人の邪魔をする気には誰もなれないに違いない。
伏線がありそうな(フラグ立ちまくりってやつだろうか?)シーンも、ほとんどその後のシーンに意味を持たない。失敗しそうでもうまくいったり、いきなりトラブルが襲ったりとある意味実際の世界に近いその感覚も、映画の魅力を高めていると思う。
なにより、アンソニー・ホプキンスが素敵過ぎる。やっぱり年輪を重ねた役者にしかできない表情は格好がいい。
ライトスタッフでもそうだったけど、アメリカのカラッとした景色と一途なチャレンジャーはよく似合う。
今度アメリカに行くときは、スピードウィークの時期に行きたいな。映画を見てよりその気持ちが強くなった。
もしくはリノのエアレースの時でも。生ムスタングもいいな。
2009年9月6日日曜日
旅を想うことも旅の一部
今日は渋谷でヨコタくん(宗谷岬で出会ったR3乗り。)と昼を食べ、交換していたホイールを再度交換するなどしてきた。
カフェ的なところで昼を食べながら、彼の旅の話をはじめとしていろんなことを話した。
彼の旅先での出会いの話を聞くだに、また一人で走ってみたくなった。
人と走るのは楽しいのだけど、一人で走るのとはまた別だ。
とりあえず、彼とまた旅の話を共有できたら、と思う次第。
ゲオの100円キャンペーンを利用して、見たかったけどそのままにしていた有名作をいくつか借りてきた。
近くのゲオは品揃えはよくないから、見たいと思った作品が必ずあるわけではなさそうだけど、有名作なら必ずあるのでこのキャンペーンを利用しないわけにはいけない!
2009年9月5日土曜日
江古田な日
その前にスギヤマにも会えたりと微妙についている。
いろいろと話した後、ヨシダ君も合流。
2年ぐらい前の二学期を髣髴させるメンバーでいろいろとグダグダと目白まで歩く。
テレをジョンに貸す。これで手元にはジャグマスしかなくなってしまった。あのテンション感とはしばらくお別れ。
朝起きたときからなぜか頭の中を回り続けているコレ。
リアルタイム世代には懐かしいのだろうけれども、僕も無性に懐かしく感じてしまう。唐突に出会ったのも4年ぐらい前だし。
最初から最後まで突っ込みどころ満載。
おなじみスティーヴ・ヴァイのトリプルネックや、ギター回しほか、大規模にバカ(ほめ言葉)をやっているステージングなどかなり好きなPV。
ちなみに、レコーディングまではビリー・シーンがプレイしていたのだけれどもPVでは代わりのベーシストになっています。
ビリー・シーンをわざわざ使うようなベースでもなかったから不満で抜けたのかもね・・・。
2009年9月4日金曜日
二日分
昨日は、午前中微妙に暇だったので、2001年宇宙の旅を寝ないで見るのに挑戦。
今回も呼吸音と暗闇のシーンでうとっときたけど、見ていないシーンはほとんどなくなったのではないか。
結果としてまだ最後の結末はよくわからないのだけど、昨日イワタと話しているときにアレは日本文学と同じでとっぴな解釈に毒されているだけだと言われ妙に納得した。
ただ、あの映像は大好きだ。
夕方から午後にかけて。
ハウスハウスでのイシガミ君バースデイパーティーに顔を出す。
カオティック。
とりあえず、カメラを持っていかなかったのは正解だった。
今日。
朝起きて星川コーナンへ。
校内へ資材を運ぶ。
校内に戻り仮設の実験。
小学生の木工に毛が生えたような木工技術で、大きなものを作っていく無謀さに唖然となりながらも、何とか知恵と学習能力で乗り越えていかなければいけないと痛感。
がんばらねば。
そのためにはもう少し人手が必要なんだろうなあ。
最近テレビで流れているキムタク出演のタマホームのCMがすごい。
しかも、あれはただ声の似ている人を連れてきたのではなく、どうやらリッチー・コッツエンに歌わせているらしい。本家のデイヴィッドにしか聴こえないから怖い。
それにしてもお金かけてるな。インパクトありすぎるけど。
ちなみにベースには内山肇、キーボードには難波弘之。もうわけがわからん。
ぶっ飛んでる。
2009年9月2日水曜日
初運転
モーサムの最新盤他いくつかを借りてきた。
久しぶりにバックロードホーンをちょっと大きめに鳴らして聴いた。
ツイーターなしでも気持ちよく高音が伸びるし、ホーン経由のたっぷりな低音も含めてなかなかロックにも向いているのかもしれないと思った。ジャズやクラシックだけではなく。
もうすぐ作ってから5年になるのに、飽きる気がしないな。
夕方にたまたま家にいた父を助手席に乗せて初ドライブ。
種子島までに慣れないとね。
最近Goo Goo Dollsの各アルバムを集中的に聴きなおしているのだけど、改めて聴くとどれも完成度が高い事がわかる。
比較的簡単だし、意表を突くような展開もないのに、なぜこんなに飽きないのだろう。
なんだかんだで付き合いの長いバンドの一つ。
2009年9月1日火曜日
2009年8月31日月曜日
大風と嵐と卒業
個人的にはなんかファシズム的怖さを今回の民主大勝に感じてしまう。しかも極めて受動的かつ非生産的な消去法で導き出された。
いつかのハーケンクロイツのところを思い出してしまうよ。世界的な不景気のあとだとね・・・。
ひとまず、自民党の比例リストの高位にいる人々だけが生き残ったせいで、衆議院の自民議員から有能な人材がだいぶ減ったような・・・。
中川昭一とかかわいそう。パフォーマンス的には不味い事をしちゃったから仕方ないのかもしれないけど・・・・。
今日は嵐の中卒検。
教官が修了検定のとき並に怖い人だった。
同組の青年はそのプレッシャーにパニクって脱輪やホイールスピンまで大変なことに。
終わった後の教習車はラリーカーみたいに泥だらけに・・・。
明日は江東に行くことにしました。府中は遠すぎる。
週末は軽井沢に行ってました。
今回は特にどこに行くわけでもなく、ぶらぶらと。
春に行ったヴォーリズ展で見た建物に出会いにちょっと散歩。(写真は違う。市村記念館)
資料や写真で見た後だとこれまで見ていた姿と違うように見えるから不思議。
それにしてもやさしい建物たちだ。
他の別荘や商店たちもなかなか改めてみると素敵なものが多い。
軽井沢の別荘群は古いのも新しいのも協調と主張のバランスが取れたものが多いような気がするのは気のせいか。
2009年8月28日金曜日
引き続きクルマの話
今日は効果測定とみきわめ。
だからどうよって話ではないけど、教習も学科もこれが最後と思うと不思議な感じだ。
この間、コスモスポーツやその時代の車はなぜかっこいいのかという話をしていた。
個人的には、1970年代を境にクルマは家電か創作上の兵器(もしくはそのどちらも)へと変遷して言ったのじゃないかなと強く思う。クルマがクルマらしかったのはその時代までというか。
日本メーカーが作りあげた家電としてのクルマと、欧州のスポーツカーメーカーが牽引した過剰に進化し、現実離れした斬新さがもてはやされるスペシャリティーカーがその両極にあるように思える。
前者は言うまでもなく、工業製品として最適化された存在としてのクルマで、他の分野の製品の工業化においても必然的に発生しうる形態なのだろう。
後者は電子デバイスと材料工学の進歩により、クルマの性能と表皮が以前ほどにはリンクしなくなり、機能とデザインの分離が始まったことにより発生した形態なんじゃないかなと。実際、そういう流れが生まれる前からも、ガイガーやサッコみたいな極めて優秀なカーデザイナーは多くいたけれども、彼らの仕事は現在名前を前面に押し出して仕事をしているカーデザイナー(クリス・バングルでも奥山さんでもいいけど)の仕事に比べてはるかに制約の大きなものだったんじゃないかなと思う。
実際、サッコがいたころまでのメルセデスは「最善か、無か」を体現する設計体系で、すべての造型に理由をもたせていたというし、そもそもカーボンはおろかFRPやアルミすら高精度に成型できない時代を彼らは生きてきたわけだから、今のようなデザイナーの個性をやたらにぶつけ合うようなことは起き得なかったのかもしれない。
きっと日本車流のコストダウンが浸透する前に作られた自動車たちは、無論日本のスペシャリティーカーを含めてとてもクルマらしく、それゆえに見る人間に説明しにくい感動を与えるんだと思う。そのクルマたちを作った人々も純粋にクルマ(それ以下でもそれ以上でもない、それ自体で憧れなどを喚起するような存在)を作るために躍起になっていたのかなとおもう。
日本流のコストダウンがまずアメリカに行き(ダウンサイジングと前輪駆動化が始まるも、品質面で日本車に追いつけないまま日本車の路線を追従し始めたアメリカ車暗黒時代。個性もだけは失った。アメリカ車は壊れるというイメージはこの時代のせいとも言われる。)、90年代にヨーロッパにも浸透(このころまでにはほとんどの普及価格帯の欧州車が何らかの形でプラットフォーム共有をして、コストダウンを図っていった。)していったなかで、大手メーカーでは最後まで「最善か、無か」を貫いていたメルセデスがコストダウンとより商業的なブランド展開を急速に進め(アメリカ工場稼動あたりからか)たことにより、脱クルマの流れは決定的なものになっていったのだと自分は考える。
そういった意味でも、W126やW140は最後のクルマらしいクルマなのかもしれない。W126は隅々まで本当にすごいクルマだった。中学生の自分でもその造りの合理性をいくつも見つけることができた。
最近のヨーロッパの高級車に乗せてもらう機会がごくたまにあるけれども、隅々のつくりはW126よりもずっと国産車に近いようにも感じられる。それは、日本流の設計思想が今の時代感覚によりフィットしているということの表れなのかもれないけれど、それはそれで寂しいものだと強く感じる。
グローバル化によって効率のいい方向に移っていくことはしかたないことなのかもしれないけど、モノ作りの思想といったものまで淘汰されてしまうのは考え物だ。
特に大量生産を前提とした工業製品だと、製造のコスト効率で一概に比べてしまいがちだからなおさら怖い。
ちなみに、コスモスポーツ、まだ中古車で買えるみたいですよ。ロータリーの宿命で寿命が来てしまっているかと思いきや、普通に機関良好らしいし、なかなかこれはすごいことですね。男の夢ってやつですね。
2009年8月27日木曜日
ドイチェラントの素敵なアウト
いままでまともに応急救護を習ったことはなかったから、とてもためになったような気がする。
高速教習は赤く塗られたBMWのE90。後部座席に座って走り出した瞬間にドイツ車だとわかるブッシュの感じや走行音。昔のW126と同じ音がする。
実際にハンドルを握ってみて、これがドイツ車かあ、これがFR車の挙動かあ、なんて事を考えながら走っていた。
FRとFFじゃやっぱり、キツめのカーブとかだとだいぶ挙動は変わるんですね。
普段のアクセラよりだいぶ重い車体を軽々と引っ張る2400ccのストレート6は怖いくらい滑らかで、しっかりメーターを見ていないとあっという間に法定速度を超えてしまいそうで怖かった。
軽い車がいいね。飛ばせなくても。
2009年8月26日水曜日
クリアな日
久しぶりに予定のない日が来たので、今日は以前からためていたことをすることにした。
まず、リビングのCDプレーヤーを修理に出してきた。
アンプとかアナログ分が強いものはバラしたら案外うまく直せることがあるのだけれど、CDプレーヤーとかになると素人の自分には到底不可能・・・。
その足でフランフランで水出しコーヒーポットを買ってきた。
信頼のHARIO製。DURALEXとHARIOと我が家の付き合いは非常に長い。
これからは疲れたときに下に行って冷蔵庫を開ければアイスコーヒーが飲めるという夢の生活が待っている!
帰って一息ついていたら、隣のおじいさんから久木綾子著の瑠璃光寺五重塔ネタの小説をもらう。分厚いので、ゆっくり読んでいくかな。
夕方の虫の音とGoo Goo Dollsを聞きながら裏庭の草刈りをする。
鋏をふるい、草を引きちぎる度に立ち込める植物の匂い。
表の庭では野菜やらハーブといった作物や、芝や木といった意図的に配置された庭の構成物が寵愛を受けているのに、裏では雑草が邪魔者としてさっぱりと片付けられているのはどこか不思議だ。
人間のエゴだなんだって言ったって何も始まらないわけですけど。
2009年8月25日火曜日
2009年8月23日日曜日
北海道縦断+RSR
気がついたら旅行先が北海道になってしまうのだが、一向に飽きない。
まずは新潟まで輪行。途中前橋でジョンと会ったりしながら夜の新潟の町に入り、ネカフェで夜を明かす。
夜明けとともに港へ走る。
フェリーには自分となぜかおしゃれなピストが一台いる以外は自転車はなし。代わりに大型バイクがたっぷり。
相棒の隣にはV-MAXとロシア製のサイドカーウラル!!
ウラルとここで出会えるとは思わなかった。
フェリーからはすばらしい夕暮れが。なぜだか今までの船旅の中で一番いい船旅だったような気がする。
小樽到着後は小雨ぱらつく中を石狩へひた走る。
会場到着後にモリモトと合流し、準備を済ませ、アクトを見る。
一日目は髭、POLYSICS、真心、スガシカオはフルで見て、BOOMやTOEは横からちょっとだけ見た。
二日目は50回転ズ、のあのわ、スクービードゥー、ユニコーン、モーサム、バースデー、ベンジー、ピロウズをフルで、奥田民生のソロはテント脇で寝ながら。
各アクトの感想は後ほど。基本どれも非常によかった。
にしても今回ほとんど発掘はしなかったなあ。スクービードゥー待ちで見たのあのわは初めてでしたが。出会いが最前列って贅沢だったなあ。
ピロウズとともに明けた朝は、札幌まで自走。駅前で輪行を始めようとしたら、通りがかりの出張中であろうおじさんに、ホテルが出してる屋台のとうきびを無料で食べられる券をもらった。
苫小牧で63482メンバーと合流。
5日間かけて宗谷岬まで走りきった!
内容はおいおい書きたいけど、書けるかな?人数も距離も密度もとてつもないから、DVDが完成するぐらいまで頭の中でゆっくり噛み砕いていこう。
宗谷岬で、横浜からR3で自走してきたアツい青年(タメ)と出会う。
彼のスポークが折れていたので、市内に戻った後でユニホーム交換よろしく我がR3のホイールと交換することにした。
東北旅行でもそうなのだったけど、自転車で旅をするといろいろな人の助けを借りて僕は(僕らは)旅をしているということを普段よりも強く実感できた。
こういう小さなことでも、誰かの役に立てているのならばそれ以上にうれしいことはない。
ホイールを返してもらうついでに彼の旅の話ももっと聞けたらと思う。
すばらしい旅だった。稚内から苫小牧へヤマチカが運転するカローラの助手席でそんなことを
ぼんやりと思っていた。
仮設チームのかたがたには本当に迷惑をかけてますごめんなさい。
2009年8月13日木曜日
2009年8月11日火曜日
走って食って寝る!!
今日は63482北海道隊のトレーニング日。
朝から上井草のスポーツセンターのジムに集合し、エアロバイクで走りこむ!
風と変化がないと自転車って苦痛なもんだなぁ。
休憩時に体組成を三人で測った。
これにはさすがの僕でもヒいた。すべて適正以下。脂肪率にいたっては・・・・
ここまで自分が情けないとは思わなかったよ。
今日から体型増強計画スタートだ。
ちなみに、他より食べていないということはおそらくない。つまり燃費が悪いのだ。平常心拍数も他の人よりは高いようだし、エンジンならBMW型?
胃下垂の気はあるからなぁ・・・・・。
夕食はルミネの上でしゃぶしゃぶ食べ放題!久しぶりのぐっさん!いい意味で変わっていなくてちょっと安心。まあ、メッセでよく話しているからあんまりご無沙汰感はなかったのだけれども。
痛恨を胸にたくさん食べてきた。
今日の筋トレとしゃぶしゃぶが明日の糧にならんことを願う。
健康とはむずかしいものだ。
2009年8月9日日曜日
夏空
かねがね計画していながら順延を重ねていた城南島ツアーをついに決行。
僕以外はシティーサイクルのはずなのに、結構よさげなスピードで走っていたせいもあってか、予想よりもだいぶ余裕を持って行程をこなせた。
行きがけには雨も降り出していたのに、島に着いたときにはすっかり晴れて肌がジリジリと焦げ付きそうなくらいに。
さすが晴れ男と人間高気圧。
空気は揺らいでいたけどすごく綺麗に晴れていたので、撮っていて楽しい一日。
トリトンブルーが空に映える。
翼端渦の描く雲が夏空に消えていく。
空に虹のような帯ができ、その前をSFが飛んでいった。感動的だ。こんな景色はなかなか見られない。
ライトスタッフの音速突破シーンを思い出してしまった。
レンズの描画性能がいまいちなのが拡大すると結構わかってしまう。ただ、まあ腕でカバーしてこそ!!
暑かったけど楽しい一日であった。